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「母の独り言」~モノローグは、決して孤独な行為ではない~【エッセイ】

「テレビに向かって、いつも独り言を言うの?」
 以前勤めていた会社の休憩室で、私は同僚とドラマに夢中になっていた。たぶん、無意識に独り言を言ったのかもしれない。

 同僚の思いがけない指摘に、私は五年前に74歳で亡くなった母の姿を思い浮かべていた。首都圏で20年以上働いた後に、私は田舎に戻った。その間、母はずっと一人暮らしをしていたのだ。

 その母の寂しさを、まぎらわしてくれたのがテレビだったのかもしれない。よく番組を観ては笑ったり、もらい泣きをしたり、独り言を言ったり、母にとってはテレビが喜怒哀楽のけ口だったのだろう。

 しかし、当時の私にはそんな母の無邪気な姿がうとましく思えた。会社での人間関係や自分の将来について悩んでいた私には、母とテレビを楽しむ心の余裕などなかった。

 母の独り言が耳障りになって、声を荒げることもあった。その時の萎縮した母の姿を今でも忘れることが出来ない。

 あんなにも母の独り言をなじった私自身が、なぜ職場の休憩室で同じ行為をしたのだろう。一人でテレビを観ている時に、自分は果たして独り言を言うだろうか?

 確かに舌打ちをしたり、笑ったりすることはある。しかし、独り言はめったになかった。自分の行動を振り返りながら、ある考えがふと浮かんだ。

 それは、もしかしたら独り言というよりも、周りの同僚に対して共感や同意を求めて、無意識に発した言葉ではないのか。「自分はこう思うけど、どう思う?」と独り言の形を借りて、間接的に問い掛けているのではないか。

 そんな風に考えると、一人ではあまりしない行為が、複数になると頻繁に起きるのも納得できる。独り言は、決して孤独な行為ではなく、自分自身との対話であり、周りの人との繋がりを求める行為でもあるのだ。

 もしもそうだとしたら、母はテレビを観ながら私に何度も問いかけていたことになる。私が声を荒げた時に、まるで叱られた子供のように俯いた母の姿を思いだして、私はこみ上げる感情を抑えきれなかった。

 あの時、母の独り言を疎ましく思った自分が恥ずかしかった。20年以上も一人暮らしだった母の思いを、受け止める余裕がなかった自分が情けなかった。今なら、母の独り言に耳を傾け、一緒に笑ったりするだろう。

 現在は首都圏で働いている私だが、昨年の大晦日は妹の家で「NHK紅白歌合戦」を数十年ぶりに観た。久しぶりのテレビだったが、無意識に独り言を言う自分がいた。あなたは、誰かの独り言に耳を傾けたことがありますか?



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