そうだnoteに引っ越そう。( それと2025年の総括 )
こんにちはnote
言語化しアウトプットする能力は、感性を育み、結果として自身の幸福感を高める。自分はそう考えている。

例えばリンゴを齧ったとき。
「甘くておいしい」で終わるのと、
「シャキッとした爽快な歯応えと共に、若葉を思わせる緑の香りが鼻を抜け、口の中いっぱいに甘味と酸味が広がる」と言えるのとでは、同じリンゴでも体験の密度はまるで違う。きっと齧っている本人の幸福度も後者のほうが高いはずだ。
時間や物理的、金銭的な制約がある以上、経験の「数」を無制限に増やすことはできないが、見聞きするものや体験への解像度を上げることができたなら、同じ経験でも得られる充実感は何段階も深まるはず。そんなことから、自分にとってのクライミングをもう一段深く味わうために、日々の感覚や思考を言葉にして、僕はこうしてブログを書くようにしている。

そして自身の言語化だけでなく、他者がどんなふうに体験を咀嚼しどんな思想を言葉にしているのかにも強く惹かれている。そんなことから、人のブログを読むのは面白い。
( みんなブログ始めてほしい )
そこで表題に戻るのだが、僕が読んでいるブログの多くはnoteで公開されている。
より多くの思想に触れるためには、そこに身を置くのが1番早いだろうという理由で、このたびnoteに越すことにした。
僕のブログを読んでくださっている何人かの物好きの方にむけて、前半はこんなお話をさせていただきました。
やかましい自己満ブログですが、こんなんで良ければ今後もどうぞよろしくお願いします。

そんなわけで、ここからは2025年の話になる。
子どもの成長、そして妻の育児休業が終了したことに伴ってジムや岩に行く頻度は激減した。
それは分かってはいたし覚悟もしていたことだが、クライミングができないことに対してのストレスは、自分にとって想像以上のものだった。
SNSを開けば毎日のように成果を出す友人たちの華やかなクライミングが映し出され、反対に成長が止まるどころか、弱くなっていくような自身に対してどうしようもない不安を抱いた。正直にいうとそれは今も継続している。
ただ、そんな中でも自分史に残るような印象的な登攀ができた年でもあった。
天と地

4年前に見つけて以来、目標の中心から一度も動かなかった岩。これを年明けに初登し「天と地」と名付けた。自分が初登してきた岩の中では圧倒的な存在であり、同時に葛藤の多い岩でもあった。
天と地の登攀を成立させるためには上部の草木を根こそぎ取り除くという、気が引けるほどの自然破壊が不可欠だったが、それでも掃除をしながら奥底で眠っていたホールドが出現する瞬間の連続には胸が躍らずにはいられなかった。
しかし全貌が明らかになり「登れる」と確信した瞬間、未知の一手は既知に変わり冒険は失われた。
自分にとって、冒険を失うことがどれほど大きな意味を持つのかを思い知らされた瞬間でもあった。
昔、尊敬しているあるクライマーからこんなことを言われた。
「ロープを出した時点でそれはもうボルダリングの範疇にはない岩なんだよ。自分には登れない岩。それでおしまいだね」
この言葉には深く共感したはずなのに、結果的に自分のエゴを突き通している現実にはなんとも言えない感情がわいたし、その言葉を何年も維持して体現し続けている氏との圧倒的な格の違いを感じた。
そんなわけで自分にとって最高の一本であると同時に、どこか煮え切らない感情もあった「天と地」だったが、再登者(石松大晟)の登りを目の当たりにして一変した。
彼は当然全貌を知らずに岩に対峙したわけだが、トライ中の情動や息遣い、高所でブラインドホールドに出した魂の一手はまさに冒険そのものだった。
初登者が葛藤を背負うことで、こんなにも再登者が純粋に冒険を楽しめる。その姿を見て真に「天と地」というラインが完成した気がした。
彼には感謝でいっぱいだ。
黎明
大木輝一氏初登のハイボール。
アメブロの方で語り尽くしたので、ここで多くは書かないが、本当に忘れがたい一石だった。
それは、先ほど【天と地】で話した“ボルダリングの範疇”に見事に収まったハイボルダーだったからだ。
というより、クライマー大木輝一氏がその範疇に収めてみせたと言った方が正確かもしれない。
ロープを出さずにグラウンドアップでトライをし、道中でダメだと思えば水に飛び込む。非の打ち所がないボルダースタイルで切り拓かれたこのラインを再登できたことは幸運だった。

ところで、「すでに人によって登られている」という事実がもたらす安心感は凄まじい。ポイント・オブ・ノーリターンではその事実が背中を押し、着実に一手一歩を進めることができた。
あのセクションにおいて、全くの未知の状態で高度を上げていった氏の心境を想像し噛み締めながら登る時間は本当に有意義で、まさに「初登者に感謝」という感情に浸ることができた。
改めてまたここでお礼申し上げたい。
中立主義
これもアメブロに詳細は残してあるが、この一本は自分のこれまでのクライミングの集大成だと思っている。
このラインは、なんといっても、かなりの高度で明白に用意されている核心が素晴らしかった。肉体的な強度だけではとても繰り出せない一手。ブラインドの取り先に馳せる思いとの精神戦は、他の課題ではなかなか味わえないだろう。
そして、そのポイントに至るまでの下部も決しておざなりにはできず、容易にクライムダウンをさせてくれないその作りには本当に感動した。
「黎明」でも触れたが、中立主義の再登もまた、先人によって登れることが証明された上でのトライだった。その事実は、核心の一手を出すうえで揺るぎない安心材料だった。
とはいえ、完登者はいずれも物凄い実力者ばかりで、「本当に自分に止められる一手なのか?」という不安は最後まで消えなかった。
あの見えない不明瞭な一手、自分だったら出せただろうか。登った今となってはYESと言いたいところだが、それは開拓の現場に立たされてみないと分からない。これ以上味わえないくらい初登と再登の違いを感じた。

憧れの倉上さんが、グラウンドアップで登り切った
あのとんでもない迫力のポスターの岩。
それを、自分が体現できる最高の手段で登れたことは、生涯忘れることのない体験だった。
振り返ると、序盤に弱音を吐いていたとは思えないほど、納得のいくクライミングができていた一年だった。
自宅でのトレーニングに気持ちが乗らない日には、
この2025年を思い出して、自分を鼓舞していきたい。
