#197 大切なのは「子どもが動く力」

日々、子どもからは多くの気付きをもらっている。ほんとに、どっちが先生だか分からないものだ。先日、学校文集の作文を書かせた。その作文を読んで、また、子どもから学ばせてもらうことになった。

言葉において大切なのは、「人を動かす力」ではなく、「人が動きたいと思わせる力」である。


僕が学級経営で大切にしていること。それは、子どもたちに多くのイメージをもたせることだ。朝の会では、様々な「人の姿」を伝えている。何のために?それは、子どもになりたい自分を少しでも具体的にイメージして欲しいからだ。

正直、「こうなって欲しい」という願いがないわけではない。しかし、僕が意図するように仕向けるようなことは、子どもに通用しない。このことを、子どもの作文から気付かされた。

体力づくりのマラソン。「どうせやるなら全力でやる。その方が力が付くし、自分に自信がもてる。」そんな話をしたことがあった。ある子がマラソン大会後に、急に全力で取り組むようになった。理由は、作文の中に書かれてあった。マラソン大会で、自分が全力を出せることを知った自分は全力で物事に取り組める人間であることを初めて実感できた。そこから、日々のマラソンを全力で取り組みようになった。作文は、「私は、なりたい自分になれました。」と結ばれていた。

この子が変わったのは、自分自身の力だ。では、僕の言葉は無駄だったか?いや、なりたい自分をイメージできるように、「言葉」で子どもの未来のイメージを補助し続けたのだ。

「子どもを動かす」ことと「子どもが動く」ことは、同じように感じられるが、真逆の意味をもっている。「子どもを動かす」は教師の意図するように仕向けるもので、子どもは受動的になる「子どもが動く」は子ども自身の意志で動き出すので、能動的になる。

僕ら教師は勘違いしてはいけない。一見、自分が全力でやるように話したから、子どもが変わったように見えるが、それは奢りだ。

子ども自身が変わりたいと思った瞬間、子どもは自らの意志で動き出す。その結果、子どもが変わった姿を僕らに見せてくれるんだ。

僕らが「子どもを動かす」ことは不可能であり、「子どもが動きたい」気分や空気をつくることしかできないと自覚することが大事だ。

船を造りたいのなら、男どもを森に集めたり、仕事を割り振って命令したりする必要はない。代わりに、広大で無限な海の存在を説けばいい。

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

教師がやらせたいことを命令するのではなく、子どもの心をワクワクさせたり、ときめかせるしかないのだ。そうすれば、子どもは「動く」。

僕らにとって「言葉」は最も多く使う手段だ。
言葉において大切なのは、「子どもを動かす力」ではなく、「子どもが動く力」=「子どもが動きたいと思わせる力」である。


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