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AIが増やしてくれた選択肢

AIが花開き進化していく、今の時代に生きている。なんて素晴らしい!
毎日が幸せ。
AIは、私がアファンタジア故に諦めていた表現方法を手助けしてくれる。

想いとかけ離れたものが生成されてしまうなら、それは私の作品ではない。でも、たいてい、言葉での指示をうけたAIは、不思議なほどに心に描きたかったものを生成してくれる。
そう! めざしていたのはこれ!
そんな感情がほとばしる。

幸せ。

小さい頃から、ずっと創作したかったみたいだ。いつも何か作ってた。
でも、アファンタジアの私には(当時はアファンタジアなど言葉もなかったが)、だいたいの芸術は諦めざるを得なかった。
切望しても不可能。理由もわからないままに、限界を無意識に感じて諦めてきた。

残ったのは、文字を綴り、写真を撮ること。
でも、違う。

特に写真は、高校の頃から色々な方法で撮ってきた。父の趣味が写真だった影響はある。
けれど出来上がった写真は、目でみたときの美しさとは別物だ。見たときと違っても、別の美しさがそこにあれば良いとは思う。

でも、映像美を伝えられるほどに気に入った写真は、撮れたことがない。

実際に目で見た美しさ。それって凄い。だけど、私には、二度と思い出すことができない。キレイだったことは覚えていても、映像を脳裡に甦らせることは不可能なのだ。

記憶に留めさせる補助の写真も撮れなかった。
タージマハルですら。観光案内のような美しさに撮れたけど、目をみはるような出来映えの写真だったけど。でも、それは目で見た実際の景色には全く及ばないものだった。

大量に撮りながらSNSにほとんど写真を投稿しないのは、目で見たものとの差異のせい。見たのと同等の美が、そこにはない。

写真家の皆さまにはマジで憧れる。映像美の素晴らしさに感服する。実際に見にいかれない場所の最高の美しさを届けてくれる。
本当に有り難い存在だ。


美大を目指し玉砕し、浪人は不可だったので宝飾デザインの専門学校で学んだ。けれど……2年目のあるとき、不意に限界がきた。


書くか、撮るか。
その選択肢が残ったけれど、撮るほうのプロを目指すつもりは元よりなかった。私が描きたいものは、この世に存在していないもの。存在していても目に見えたり撮ったりできないもの。脳内の画像なきイメージとか、ね。それは撮れない。

だから、アファンタジアを補完する資料としてしか写真は活用できていない。

この間、珍しく写真をnoteの見出し画像に使った。「アフリカの花」のドライフラワー。
それは、実際に部屋に飾られているドライフラワーよりも、写真の映像のほうがキレイだったから。
キレイな写真が撮れて、とても嬉しく満足だった。


書くか、撮るか。それしか選択肢のなかった私に、AIは無限の選択肢を提示してくれている。無意識に諦めてきたことを、AIに補助してもらって全部掘り起こそうと思っている。


AIイラストはPixAIで生成。

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