人生に正解はないけれど。



 ドラマ、マイダイアリー2話。

佐野勇斗さん演じる数学科の学生、徳永広海が、

周りの友人たちが就活に勤しむのを見て、自分の道が見えなくなっているとき、徳永くんの教授、喜田先生が、徳永くんに言ったことば。


「他人の人生のスピードに引っ張られ過ぎないこと」


 わたしみたいなぼんくらと徳永くんを一緒にしちゃいけないけど、妙に響いた。



 本田健が、

ほとんどの人が、意識を向けたものによって、感情がコントロールされ、人生で起こる影響に対して気づいていない。

と言っていた。


物事を変えるには、現状をそのまま見続けるのではなく、自分が「望む状態」を見ることが必要で、それでも、思考の大部分を占めているのが「いま」見ているもの。したがって、いまあるものが自分の思考や関心である。でも、多くの人は現状に意識を向けているため、変化はゆっくりしか起きないか、変化が起きにくい状況になる、

わたしもきっとそう。


自分が望む状況というものを見つめることができていないのだろう。今、足りないものとか今にばかり目がいって、どうしても今、友人が持っているものと、今自分が持っていないもの、
今持っていたかったはずのものと、現状の自分とのギャップに悩む。

どう意識を向けているかでそれが人生にまで影響していて、なんて、考えない。

そういう意味でも、
「他人の人生のスピードに引っ張られすぎないこと」は、たしかに、大切なのだろう。


だけど、人生いつまでも生きていられるわけじゃないし、自分の人生のゴールを見つめた時の、backcasting的な動きができていない、どんどん年齢制限に潰されていっている。


 何も動けないうちに31歳も2ヶ月半終わった。


それから、

ドラマで、虎之介のアルバイト先でいつもくる客の、美鈴がレストラン前で雨に濡れてうずくまっているのを見て、傘を差し出した虎之介が、家まで送った時の会話。


「社会人って、なんで社会人って言うんですかね。学生は、学生人とは言わないのに。ちゃんと、社会に出ないと、人として認められないってことなんですかね」虎之介
「社会人になるってね、生きてるふりがうまくなることだよ。生きてるふりしてるうちに、生きてるか分かんなくなっちゃった」美鈴


その優しさを素敵だなと思って見ていたら、虎之介は、次の日面接があったのに、結局朝まで美鈴の家にいて付き添ってあげて、大事な面接に遅刻してしまう。それでもヘラヘラしていた虎之介に、愛莉がいった

「自分を犠牲にして、誰かを癒してあげるなんて、そんな関係性、恋なわけないでしょ」

「自分を犠牲にして、誰かを癒してあげる関係性なんて、恋な訳がない」 

の部分がぐさっときた。


 自己犠牲型の人間は、自分のために絆創膏を貼ることができない。誰かの傷には気づけても、自分の傷には気づけない。


 そして、気づいたら心も身体もボロボロで、自分の人生は閉ざされて、得たいものもやりたかったことも、得られない歳になってしまって、過去をああだこうだ言っても仕方ないじゃん、とか、
前見て進まなきゃとか言われるけれど


わたしにとって、過労で倒れたことはまだ過去ではなくて、これからも過去ではなくて、今も服薬して、持病で、もちろんありがたいことに発作も7年間起きてないし、あれから過労になる状態にもならなくなったけれど、もう健康な身体は、戻らなくて、まだ健全な心に戻れない。


ここまでに失ったことを見つめるし、その失ったものによって今も未来も選択が消えて、どうすればいいかわからない。



自分が望む状況というものを見つめることができていないのだろう。今、足りないものとか今にばかり目がいって、どうしても今、友人が持っているものと、今自分が持っていないもの、
今持っていたかったもはずのものと、現状の自分とのギャップに悩む。


だけど、人生いつまでも生きていられるわけじゃないし、自分の人生のゴールを見つめた時の、backcasting的な動きができていない、どんどん年齢制限に潰されていっている。


 結局何も、できない。実らせられない、過去のことも病気のことも、自分では抱えきれなくて、でも自分しか抱えられなくて、どんなことでも結局、自分の人生だから、自分が背負わなければならなくて。


 そして、その事実に時々、心が潰される。


 そうして、うまくいっている友人を見ると、夢を叶えている友人を見ると、努力のベクトルとタイミングが適切にできて、ちゃんと歩んでいる友人を見ると、自分の、"クソみたいな"24〜31歳が、恥ずかしくて、辛くてきつくて、孤独になる。


 友人たちが夢を叶えたり、転職したり、結婚したり、子どもを産んだり、進んでいくたび、孤独になる。

 こんなに何もできないで何も進めないで、何もないままなのは、自分だけなんだと思ってしまう。


他者との心のつながりを感じられなくなっていく。


 過去のあらゆることを、今も抱えたままのことを、時々抱えきれなくて、苦しくて、動けなくなって。


 でも、家族にも友人にも
「過去は過去なんだから」とか
「今それ言っても仕方ないから」とか
言われる。

そんなことは、わかってるよ、とひとり心の中でつぶやく。


それがたまって、たまって、


定期的に苦しい。


真っ暗な海に溺れたように苦しい。


ひとりだけもがいてももがいても、溺れていく。もがくから溺れていく。


そう思っていたら、

3話で、自分の過去の、誘拐未遂された記憶を話した時広海がまひるにいった言葉が、わたしの耳に飛び込んできた。

「人生に命題はないんじゃないかな。乗り越えるのが正しいとか間違ってるとか、忘れるのが正しいとか間違ってるとか、そんなの誰にだって決める権利ないんじゃないかな。人生の道の途中に乗り越えられないくらいの物を置いたのは誰?って。勝手に置かれた物になんで立ち向かわなきゃいけないのかな。」

 2話の最初で、周囲の人の動きと比較して、自分はこのままでいいのかと不安になっていた広海が、3話でこの発言は、幼少期から知識欲旺盛で、数学が得意だった広海が、小学生の頃ギフテッドと判定されてクラスで孤立したことをきっかけにホームスクーリングを選択した過去、アメリカの大学に進学するも挫折し、3年生の春から優希が通う大学に編入してきた、という周囲には、天才で羨ましがられる広海の、苦悩の思いと経験が凝縮された言葉だったと思う。


 彼みたいな苦悩は経験していないけれど、


乗り越えるのが正しいとか間違ってるとか、忘れるのが正しいとか間違ってるとか、そんなの誰にだって決める権利ない、

人生の道の途中に乗り越えられないくらいの物を置いたのは誰?って。勝手に置かれた物になんで立ち向かわなきゃいけないのかな。

という言葉が、ふと心を掬いあげてくれた気がして、初めに書いた、2話の、教授の言葉が戻ってきた。


「他人の人生のスピードに引っ張られ過ぎないこと」

人生に正解がない、人とは違うそれぞれの人生がある、とわかっていても、

自分の欲しいものをちゃんと得ている人、夢を叶えている人、前に進んでいる人、無理しても身体が壊れるほど心が壊れるほどにはならなかった人が目に見えてしまう。話が聞こえてきてしまう。その度に、自分は得られない、得られなかったものを、得ているのが、その人の努力によるものだとちゃんと、わかっていても、


どうして彼女は無理をして、「お母さんがプレッシャーかけてるからよ、頑張ってるんだから」とまわりの方に言ってもらえるんだろう、
どうして彼女は無理をして倒れても脳を壊し、持病になってしまう重い事態にならなかったのに、わたしはそうなってしまったの?
どうして彼女は、ちゃんと、自分のやるべきこと、やりたいことに専念できて、親御さんも応援してくれる体制があったのに、わたしはあんな風に言われながら2年間過ごさなきゃいけなかったの?
どうして彼女は、ちゃんと愛されるのにわたしは、愛される人間になれないの?愛される価値がないの?

と、どうしても思ってしまう時が定期的にくる。


「他人の人生のスピードに引っ張られ過ぎないこと」が、大切であると同時に、

だけど、人生いつまでも生きていられるわけじゃないし、自分の人生のゴールを見つめた時の、backcasting的な動きができていない、どんどん年齢制限に潰されていっている

現実にぶつかる。次々にぶつかる。



親に、「みんなは、働いているのに」と、大学院の2年間ずっと言われ続けた。

働いてない院生のわたしは、親から見たら、留年と同じ扱いだった。


"ちゃんとした歳"に、社会人になれることが、
適切な人生だと、言われてきた。


でも、失敗した。仕事をすぐ辞めてきてしまった。



虎之介の言葉がまた降ってくる。


「社会人って、なんで社会人って言うんですかね。学生は、学生人とは言わないのに。ちゃんと、社会に出ないと、人として認められないってことなんですかね」


 31歳、非正規短時間勤務、転職活動もずっとうまくいってなくて、正規雇用されなくて、自立できていないわたしは、人として世の中に認められていない。学生でもないのに、社会人でもなくて、


社会的な意味の人になれない。社会に出た友人たちと、話が合わなくなっていく。それもちゃんと実感している。わたしが未熟。


やっぱり、ある程度社会人、になる人は、(社会的意味での)人で、なれない間は、社会的意味での人、じゃないんだと、社会的"非人"のわたしは、思う。


だけれどもね、真っ暗な海に溺れたように苦しい。


ずっと、渦の中にいるんだよ。


抜けたいんだ。この、渦の中にいて、わたしは、


ラーメンのスープの中でかき混ぜられた無気力なコーンのように、


潮の渦の中を泳ぐ群れのなかでまわりの魚の泳ぐ波に乗って動かず流されている回遊魚たちのように、


流されてここまできてしまってここがどこなのかわからない。いま、自分は何者なのか、どこにいるのか、わからなくて、わからないうちに時間と波に流されながら、無気力になっていく。


他人の人生のスピードに、この世の中のあらゆる平均の人たちのスピードに、ついていけないけどその、だんだん速くなる時代の渦のなかに溺れたまま、ただ怒涛に流されて気づいたら31歳、なんだよ。

そうして、自分が望む状況というものを見つめることができないまま、時が進んでいく。


それでも、いやだからこそ、


「他人の人生のスピードに引っ張られ過ぎないこと」

は真に重要なんだろうね、


こういう波の中にいるからこそ、大切なんだろうね。


人生いつまでも生きていられるわけじゃない、から。


わかってるんだよ。

#マイダイアリー

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