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世界史の飾り窓182大衆消費社会アメリカの誕生その1

 第1次世界大戦から最大の利益を得たのはイギリス・フランスに資金を援助し、戦争国債を引き受け、武器や軍需物資を売り捌いたアメリカである。「世界最大の債権国」となり、ニューヨークには世界最高(当時)のエンパイア・ステート・ビルが建ち、巨大な広告やネオンが人々の消費意欲を刺激した。大衆消費社会のシンボルとも言えるのが大衆車T型フォード、コカ・コーラ、クリスマスのイベント化である。
①T型フォード(Ford Model T)
 T型フォードは他社が1000ドルを超える1908年に850ドルで発売され、以後1927年まで基本的なモデルチェンジのないまま、1500万台以上が生産された(これを上回った自動車は2100万台以上を生産された「国民車」フォルクスワーゲン・タイプ1だけ)。「フォーディズム」の語に象徴されるベルトコンベア方式による大量生産は車体価格を下げつづけた。1910年に950ドルに値上げされたものの、翌1911年には780ドルへ下がり、その後は年に50ドルから100ドルの割合で値下げが繰り返され、1917年には360ドルまで価格が下がった。1918年にはアメリカの第一次世界大戦への参戦の影響を受けて物価は上がり、T型フォードも525ドルに値上げされたが再び値下げが進み、1922年には355ドル、1925年には290ドルという法外なまでの廉価車になった。インフレーションを考慮して換算した場合、2005年時点の3300ドルに相当し、1ドル80円で換算すると26万円になる)。モータリゼーションは世界各国に広く普及したが、当然ながら交通渋滞と事故を伴っていた。
 ちなみにフォードはケネディと並ぶ典型的なアイルランド移民の姓で、当時のWASPが見向きもしない自動車産業に進出した(ケネディ家は映画産業)。


②コカコーラとサンタクロース
 トナカイの引く橇(そり)に乗って空中を移動し、クリスマスの夜に煙突から忍び込み(死語の世界ですが)、「良い子」の枕元ある靴下の中にプレゼントを入れるサンタクロースのおじいさん(松任谷由実は♪恋人がサンタクロース 本当のサンタクロース~ と、恋愛適齢期の女性バージョンを歌ったが、ここでは措いておこう)。近年ではフィンランドからやって来る証明書付きのサンタのおじさんや、サーフボードに乗って海からやってくるオーストラリアのサンタの映像が年中行事化している。
 しかし、大阪大学がトルコ共和国と行ったゲミレル島発掘調査報告書(大阪大学発行)と『サンタクロースの島発掘記』(東信堂、2006年)を持っている筆者としては黙っておられない。聖ニコラオスは二人いる。4世紀にリキア地方に生まれたミュラの聖ニコラオス。ミュラの飢饉から民を救い、嵐で難破しかかった舟を助けたり、持参金がなくて結婚できない可哀相な娘の家に金貨を投げ込むなどの善行や奇蹟譚が伝わっている。正教会ではイエスとマリア、洗礼者ヨハネ、大天使ミカエルと並ぶ人気イコン。もう一人がシオンの聖ニコラオスで6世紀のリキアの人。生涯で2度イェルサレム巡礼を行い、その2度目の巡礼の際には嵐で船が難破するも、エジプトに漂着するという奇蹟を起こしている。
 二人とも死後には人気があったが、すぐに忘れ去られた。二人とも9~10世紀に再発見され、11世紀以降に人気を博した。出身地も同じで聖ニコラオスの聖堂が発見されたゲミレル島もリキア地方にあり、どちらを祀ったものなのだろうかは不明だが、地域と行動(船を使った聖地巡礼)から一体化したのか。
 11世紀にビザンツ帝国との穀物取引でヴェネツィア、ジェノヴァ人がコンスタンティノープルに訪れるようになると西欧でも聖ニコラオスは有名になり、ミュラの聖ニコラオスの遺骨がジェノヴァ人に盗まれ、熱狂的な信仰がイタリアで起きている。つまり船乗りの守護聖者として広まった。その祭日は12月6日。中世の西欧では、その前夜に良い子にはプレゼントを贈るが、悪い子には「なまはげ」のように吊し上げるニコラオスが各家庭を巡回する風習が生まれた。
 他にもシナイ山とヤハヴェや聖エカテリニ修道院の関係など色々書きたいことはあるが割愛する。ただ、リキア地方のゲミレル島に一時的とは言え、多くの巡礼者が船で訪れ、喜捨から聖ニコラオスの聖堂が建設され繁栄した背景には、11~12世紀の巡礼熱の高まりがあったこと、つまり十字軍運動や「12世紀ルネサンス」と関係していたことだけは指摘しておこう。
 17世紀に入り、オランダ人の新大陸移民によって聖ニコラオス信仰はさらに変化した。オランダ語読みの「シンタクラース」として伝わり、サンタクロースになった。赤地に白の縁取りの衣装はコカコーラ社のイメージカラーに由来し、コマーシャリズムに乗って「正統化」した。トナカイが引く橇に乗った赤白のサンタクロースが右手にコカコーラを持つイラストは1931年に画家ハッドン=サンドブロムが製作した。コカコーラのキャンペーン前まで、サンタクロースの衣装の色は決まっておらず、黄色や緑のサンタクロースも描かれていた(会社のイメージカラー次第です)。まあ、赤い服は、ポインセチアの赤色と同じく、クリスマスにふさわしい色として、イラストでも多かったそうだが。


 「サンタさんは本当にいる」と子どもたちは信じる。いつの日か、それは演じられたものだと知ることになるだろう。それでも、どんな惨めな自分であっても、存在を肯定し贈り物をしてくれる大人がいる、信じられる大人がいることを確信することは、とても大きな教育的効果があるだろう。そのために毎年ボランティアでサンタクロースの位置を衛星通信で確認・伝達してくれるNORADの方々には感謝の念しかない。これがトランプ政権の予算削減対象にならないことを説に願う。
 戦後日本でもテレビを通してアメリカ的消費生活や習慣が紹介され、そこに日本人の商魂が働き、国民行事化していった。ただ、家庭行事から、『ノルウェイの森』が出た1987年頃から恋人同士のイベントという要素も加わったが。諸君が常識と思っている「国民的行事・常識」も、20世紀初頭の大衆消費社会に商業的に発明・捏造されたものがあることを忘れないで欲しい。それが批判精神・歴史的思考につながるのです(ちなみに神前結婚式という形式も大正天皇婚姻のため「創造された伝統様式」です)。

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