まちこのGB 《第1章の3,4》 誰にも負けない君だけの特技は?
【1-3】 世界記録の本への掲載をサポートをする会社
時間にして入室して5分。真知子の就職が決まった。
その会社は『ギュネス申請ジャパン』。略して『GSJ』と表記する。
矢口による大雑把な説明によると、『GB』でおなじみの世界記録だけを収めた本、『ギュネスブック』への掲載を目指してサポートをする会社だそうだ。
真知子は戸惑いながらもじっと自分のデスクに座っていた。なぜなら先輩である矢口に「とりあえず座ってて」と言われたからだ。
もしかして、また騙されているのかも――。
湧き上がる不安を払拭すべく真知子は注意深く周囲に目を凝らしてみた。
社長の大森六郎は、じっと机に座ったまま微動だにしない。顔を覆う無造作な髪の毛と漆黒のサングラスにくわえ、鼻と口を手で覆っているため表情は読み取れない。
大森の後ろにはホワイトボードがあり、その横には奥へと続く扉があるが、その先はまだわからない。
矢口は黙々とダンボールから資料などを取り出して机に並べている。面倒臭がりに見えるが単調な作業を厭わない男のようだ。しゃれた着こなしからして都会育ちの若者といった感じだ。
パソコンに向かい、途切れることなくキーボードを叩いている女性は川崎芳子と紹介された。それ以上の紹介はなかった。切れ長の眼と長身のスタイル、ショートカットが似合うその姿に、真知子は女子高時代にモテモテだった先輩を思い出した。
そういえば、先ほど矢口は真知子のことを先着二番目だと言った。となると、この他にもう一人、今回入社した新人がいるのだろうか。
まだ謎だらけの空間だったが、真知子は胸を熱くしていた。謎だらけだとしても、この人たちは紛れもなく自分の同僚、すなわち仲間なのだ。
大学を卒業しておよそ一年、人間関係が希薄な派遣のバイトを繰り返していた間は、自分の居場所がわからなかった。もともとドライな人にはいいのだろうが、自分は違う。
「何がそんなに面白いの?」
どうやら自然と笑っていたようで、矢口がつまらなそうに聞いてきた。真知子はぐっと表情を引き締める。
「御社の業務内容を聞き、非常にやる気が沸いてきているからです!」
矢口が不思議そうに真知子を見ている。真知子は田舎者を見下す都会人のそれを思い出した。そして逆に聞いてやりたくなった。「何がそんなにつまらないの?」って。
ガチャリと扉が開く音がした。皆が入り口に視線を向けると、パサパサに脱色された長髪をひとつに結んだ男性が顔を覗かせていた。
真知子はここぞとばかりに立ち上がった。一生懸命な姿を見せることは絶対に恥ずかしいことではない。
「いらっしゃいませ!」
男性は恐る恐る入室してきた。でっぷりとした腹を覆う真っ黒なバンド系Tシャツに、ジーンズを切ったような半ズボン。腰から下がる鎖の先にはきっと財布が繋がっているのだろう。
「……誰にも負けない君だけの特技は?」
所在なさげに立ったままでいる男性に向けて、大森の小さくともよく通る低い声が響いた。
「え? いや、あの、俺……」
戸惑いを隠せない男の姿に、皆がいっせいに顔を下ろす。
残念ながら社員の募集は先ほど打ち切られた。矢口は無言のまま顎をしゃくり真知子へ指示を出した。
「無職なところ大変申し訳ございません。お気持ちはお察ししますが、もう募集定員は埋まってしまったんです。働き先なんて早々見つかるとは思えませんが、他をあたっていただけますことお願い申し上げます」
真知子は堂々と応対した。タッチの差とはいえ、自分はもう正式に社員だ。
「別に職探しに来たんじゃないんだけど……」
「え? じゃあ、何しに来たんですか」
「何しにって、ここって『GB』の会社でしょ?」
「申し訳ございません! 完全に見た目だけで無職と判断してしまいました!」
その男性は真知子にとって記念すべき初めてのお客さんとなった。
ということは、彼はギュネスに挑戦するということだ。
【1−4】 誰にも負けない君だけの特技は?
大森の前に男性が座っている。その左右を矢口と川崎が固めている。
二杯目のお茶を運んだ真知子は、新人らしく黙って先輩たちの話を聞いていた。
「俺、どうしても『GB』に載りたいんです」
男はお茶で湿ったズボンを拭きながらそう訴えた。大森たちの雰囲気もどこか堅い。この男性は、真知子にとってだけでなく、GSJにとっても初めての客だった。
ファイルを渡された矢口が口を開く。あいかわらずの覇気のない風体で。
「まずは、当社の理念からお伝えいたします。当社は【頑張った人が報われる、努力した人が真っ当に評価される】ことを念頭に置き、たんなる金儲けに繋がる売名行為には協力いたしません。それを踏まえて面接を行い、条件やギュネスに挑戦する内容などをご提案させていただきます」
続いて矢口はこの後の流れの説明を始めた。
まず面接を行い、そのことの真偽を調査し審査が通ると、いざ『GB』へのチャレンジとなる。その挑戦内容もお互いで決め、チャレンジへの協力、舞台設定、さらに登録までのアドバイスもフォローする。
「どうでしょう。お分かりいただけましたか」
「はい。よくわかんないですけど、『GB』に載れればなんでもいいです」
「それじゃあ、そちらの希望を含めた面接を行いたいと思いますが……」
矢口が大森に目を向ける。それに呼応して大森が口を開く。
「誰にも負けない君だけの特技は?」
このフレーズを合図に面接が開始された。
男の名は朝霞和弘、37歳。職業はミュージシャンで、副業としてビル清掃のアルバイトをしている。
自分がギターボーカルを務める『Lucky Inter Hospital』というロックバンドで『GB』に載りたいのだそうだ。
「あの……」一通り、朝霞の境遇を聞き終えた矢口が面倒臭そうに言った。「それって、絵に描いたような売名行為ですよね」
「違う! なにか共通の目的を持つことによってメンバー間の結束を高めて、もう一度、真剣に勝負したいだけなんだ」
朝霞は必死に訴えるが、真知子から見ても完全な売名行為に見える。『GB』に載って話題を作り一儲けしようという魂胆が見え見えだ。
矢口は大森の判断を仰ぐが、大森は動かない。矢口はマニュアル通り面接を進めていく。
「それじゃあ、朝霞さんの特技はなんですか?」
「ギターです。ギターなら誰にも負けない自信があります」
「でも、それだと世界一の基準がわかりづらいですよね」
「他の特技だったら、……男の割には化粧を早くできるし、最近やってないけど火を噴くこともできます」
「火を噴きながらギターを弾けるの? それだったらインパクトあるね」
「いや、それはしないです」
「なぜですか?」
「危ないんで」
「…………」
冷めた空気が漂っている。どうみても世界に誇れる技とは言いがたい。その雰囲気を感じ取った朝霞の熱だけが上がっていく。
「俺はどんな辛いことだってやってやります。俺たちも年齢的にバンドを続けてくには厳しくなってきてる。だからこの辺で一発当てて、売れないと本当にやばいんだよ!」
「自分から言っちゃったよ……」
両者のテンションの温度差に乾いた沈黙が流れた。
ただ、真知子の心境は変わり始めていた。一生懸命な気持ちの果てに売名行為があったって、別に構わないんじゃないだろうか。
「わかりました。面接の結果は後日、連絡いたしますので今日のところは――」「俺は本気なんだ!」
突然、朝霞が立ち上がり折り畳みナイフを取り出した。一気に空気が張りつめる。
「なんならここで、俺の本気度、お見せしましょうか……」
朝霞は目を見開いて、小刻みに震える腕でナイフの刃を開いた。
「ちょ、ちょっと……」
真知子は狼狽するだけで場に割り込めない。他の皆は驚くほど動揺していなかった。
「……俺は本当にやれる男なんだ。これを見ろ!」
朝霞が左手の手首を裏返すと、そこには乾いたリストカットの跡があった。朝霞の顔は苦悶に歪み、涙をためた目で強く訴えている。
真知子はあの目を知っていた。追い詰められ誰にも助けてもらえないあの目を知っていた。きっと朝霞は、何かに導かれるように手首にナイフを当てたのだろう。
朝霞の姿は真知子の心を動かした。しかし他の皆は何も反応せずにただじっとしている。
次第に朝霞の興奮は収まり、すとんと腰を落とした。
「すみません、でした……」
哀れなほど肩を落として、そう言った。
面接を終えた朝霞は背中を丸めて出て行った。社内に呆れたような空気が漂うなか、真知子の鼻息だけが荒い。
「社長、どうしますか。あれを売名行為と言わないんだったら世の中に売名行為なんて存在しませんよ」
この矢口という男は、憎まれ口が本当によく似合う。
「不採用」
大森は即決した。散り散りになる社員の中で、真知子だけが動かない。
「……なんでですか、彼は売名行為じゃないって言ってるじゃないですか。しかも、自分の体を傷つけるほどの覚悟もあるんですよ?」
皆がなんとなく注意を向ける。真知子の言葉にというより真知子が発言したことに対してといった感じだ。
「社長、助けてあげましょうよ! 矢口さん、川崎さん!」
わなわな震える真知子とは対照的に川崎は変わらず冷静なままだ。
「そうよね、あそこまでいくとかなり追い詰められてるよね。次はリストカットじゃすまないかも」
「川崎さん!」
「別にいいんじゃないですか? 会社創立記念サービスってことで」
川崎が真知子の主張に賛同した。勢いに乗った真知子は興奮の面持ちのまま大森へと顔を向ける。
「社長!」
「……採用とする」
「よし!」
真知子は興奮を押し殺しながら拳を握った。
「んじゃ、担当はあんたでいいね」
「はい!」
真知子は正面から川崎を見据えて言った。やはり本音のぶつかり合いだけが、他人の感情を動かせるのだ。
