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世界はどのように立ち上がるのか─「透明な構え」からクオリアの舞台へ

少し前に、「透明な構え」という記事の下書きを書いたことがある。

当時の私は、ある素朴な疑問について考えていた。

世界は、本当につながっているのだろうか。それとも、バラバラなのだろうか。

目の前には、人がいて、木があり、空があり、それぞれ独立した存在のようにも見える。

しかし一方で、すべてが一つの流れのようにつながっていると感じる瞬間もある。

どちらも完全には否定できない。

では、何が違うのだろう。

当時の私は、「違うのは世界ではなく、構えなのではないか」と考えた。

忙しい日には世界は障害物の集まりのように見える。

穏やかな日には、同じ景色が調和した一つの世界として感じられる。

変わったのは世界ではない。

世界の立ち上がり方だったのではないか。

その頃は、その直感を「透明な構え」という言葉で表現しようとしていた。

しかし、その理由までは説明できなかった。

仏陀は何を見たのだろう

この考察をしていた頃、私は仏陀が菩提樹の下で縁起を悟ったという話についても考えていた。

もしかすると、そこに新しい世界が現れたわけではない。

世界を歪めていた構えが静まり、もともとそこにあった関係性が、そのまま立ち現れたのではないだろうか。

もしそうなら、悟りとは「別の世界へ行くこと」ではなく、「世界が現れる仕方」が変わることだったのかもしれない。

これは現在でも、私にとって大切な直感の一つである。

ただ、その頃はまだ、その現象を支える構造については十分に考えられていなかった。

フッサールから生まれた疑問

その後、フッサールの内的時間意識について学ぶ機会があった。

把持(Retention)、原印象(Primal Impression)、予持(Protention)。

私たちは、時間を一瞬一瞬の点としてではなく、一つの流れとして経験している。

この考え方は、とても興味深かった。

しかし同時に、新しい疑問も生まれた。

そもそも、「今」はなぜ更新され続けるのだろう。

フッサールは、時間経験の構造を精密に分析している。

しかし私は、その構造を支えている条件そのものが気になった。

時間経験が成立する以前に、何らかの「舞台」があるのではないか。

そんな問いが浮かび始めた。

クオリアの舞台

この問いを考え続けるうちに、私は「クオリアの舞台」という発想にたどり着いた。

体験は、突然生まれるものではない。

まず、「今」が更新され続けること。

その流れのなかで世界が分節されること。

そして、経験が成立できる状態が整うこと。

私は、このような条件全体を「クオリアの舞台条件」と考えている。

ここで言う構えは、個人の性格や考え方という意味ではない。

体験そのものが成立できる状態という意味で用いている。

つまり、「透明な構え」で考えていた構えとは、同じ言葉を使っていても、一段深い層を指している。

以前は現象として見えていたものを、現在は構造として考え始めているのである。

所有感はその後に現れる

私がこれまで論文で扱ってきたテーマは、「所有感の事後形成」である。

私たちは通常、「私が体験した」と感じる。

しかし、その「私の体験だった」という感覚は、体験と同時に与えられるものではなく、後から形成されている可能性がある。

この考えは、ゾーン体験や主体感・所有感の研究ともつながっている。

そして今では、この事後形成は「クオリアの舞台」が成立した後に起こる過程として整理できるのではないかと考えている。

つまり、

まず舞台が整う。

その上で体験が立ち上がる。

そして、その体験が「私のもの」としてまとまっていく。

この順序で考えると、これまで別々に考えていたテーマが、一つの流れとして理解できるようになった。

ワンネスについて

私はこれまで、ワンネスや非二元という考え方にも強く影響を受けてきた。

現在でも、それらは重要な視点だと思っている。

ただ、最近は少し立場が変わってきた。

以前は、「ワンネスが世界を展開する」という表現で考えることが多かった。

しかし現在は、それを積極的に説明原理とするのではなく、いったん保留している。

私たちが直接検討できるのは、少なくとも体験がどのような条件で成立するのかという構造である。

ワンネスそのものが何であるかは、現時点では分からない。

だからこそ、まずは経験世界の成立条件を丁寧に整理していきたい。

研究とは、直感を構造へ変えていくことなのかもしれない

振り返ると、「透明な構え」で書いていたことは、間違っていたわけではなかった。

ただ、それはまだ直感の段階だった。

フッサールを読み、時間について考え、所有感の事後形成を研究し、その積み重ねの中で、「世界の立ち上がり方」という直感は、「クオリアの舞台条件」という構造へ少しずつ姿を変え始めている。

もちろん、これが最終的な答えだとは思っていない。

これもまた、一つのモデルであり、一つの見取り図にすぎない。

それでも、この見取り図によって、以前は点のように散らばっていた考察が、一本の線としてつながり始めたように感じている。

もしかすると、研究とは、新しい世界を作ることではない。

これまで別々に見えていたものの関係性を、少しずつ見いだしていく営みなのかもしれない。

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