No.996 FreudからPerlsへ― PerlsはFreudをどのように咀嚼し、何を生命過程へと同化したのか ―
今日は、Perlsが、現代の心理療法の出発点であるFreudの精神分析から離れ、ゲシュタルト療法をどのように思い描き、精神分析をどのように再構成したのかについて触れてみたい。
恐らく、これまで、このような理解に触れた記述は少ないと思われる。私が、Perlsの著作 Ego, Hunger and Aggression(1947)(以下「EHA」と記す)と Gestalt Therapy(1951)(以下「PHG」と記す)の読解を通して理解したことを書いてみたい。
ゲシュタルト療法は、しばしば精神分析への反発から生まれたと説明される。しかし、EHAからPHGまでのPerlsの著作を丁寧に読み直すと、その理解は必ずしも正確ではない。
PerlsはFreudを否定したのではない。むしろ、Freudの理論を生命過程という新しい視点から再構成したのである。
本稿でいう「生命過程」とは、有機体が環境と関わり、必要なものを取り入れ、それを噛み砕き、咀嚼し、同化し、成長していく一連の働きを意味している。
本稿では、Unconscious、Repression、Libido、Ego、Resistance、Transference、Dream、Aggressionという主要概念をたどりながら、FreudからPerls、そしてPHGへ至る理論的変遷を整理してみたい。
19世紀後半、当時の医学では、「病気には必ず身体のどこかに原因が存在する」と考えられていた。身体に異常が認められないのであれば、その症状は原因不明であり、時には患者自身の思い込みや誇張として扱われることさえあった。
そのような時代に、「身体には異常がないにもかかわらず、心が身体症状を生み出しているのではないか」という大胆な仮説を提示した人物が、Sigmund Freud(1856–1939)である。
Freudは、ヒステリー患者の研究を通して、「身体には異常がないにもかかわらず症状が現れる」という現象に直面し、その原因を心の働きに求めた。この発見は、「心にも原因がある」という精神分析の出発点となり、その後のすべての心理療法に大きな影響を与えることになる。
そして1900年、Freudの精神分析は『夢判断』の刊行によって世界へ登場する。
しかし、ここで一つ重要な問いが生まれる。
Perlsは、Freudの何を受け継ぎ、何を変えようとしたのだろうか。
一般には、「ゲシュタルト療法は精神分析への反発から生まれた」と語られることが多い。そのため、PerlsはFreudの理論を捨て去り、新しい理論を一から作り上げたかのような印象を受ける。しかし、EHAを丁寧に読み進めると、そのような理解は正確ではないことが分かる。
PerlsはFreudを丸ごと受け入れたわけでも、全面的に否定したわけでもない。
むしろ、彼自身がEHAで繰り返し次のように述べている。
“The destruction of food by means of the teeth is the prototype of all adequate aggression.”
「歯によって食物を破壊することは、あらゆる適切な攻撃性の原型である。」
“Without destruction there can be no assimilation.”
「破壊なくして同化はない。」
さらに、
“We must bite through the food before we can assimilate it.”
「私たちは食物を同化する前に、それを噛み砕かなければならない。」
これは、「新しいものは、そのまま飲み込む(introjection)のではなく、一度噛み砕き(biting)、十分に咀嚼し(chewing)、自らに必要なものだけを同化する(assimilation)ことによって初めて生命の一部となる」ことを意味している。
ここでいう「破壊」とは、対象を否定することではない。歯で食物を噛み砕くように、一度対象を吟味し、自分の中で再構成することを意味している。
私は、この生命過程そのものを、PerlsはFreudの理論に対して実践したのではないかと考えている。PerlsはFreudを丸飲みしたのでも、拒絶したのでもない。Freudを噛み砕き、咀嚼し、自らの生命理論の中へ同化したのである。
この視点から見ると、Perlsの理論形成そのものが、一つの「同化の過程」であったと言えるだろう。
Freudが提唱したLibido(リビドー)は、性的欲動を中心とする人間の心理的エネルギーとして理解されていたが、PerlsによってHunger(生命的欲求)という、より根源的な生命過程へと再構成される。
Unconscious(無意識)は、Organismic Process(有機体的過程)という視点から理解し直される。Resistance(抵抗)は、無意識を守る防衛ではなく、有機体が環境との関係を調整する生命機能として再定義される。
そして、Aggression(攻撃性)は、他者を傷つける衝動ではなく、対象を噛み砕き、同化するための創造的な生命機能へと大きく意味を変えていく。
さらに1951年のPHGでは、これらの考え方が、有機体と環境フィールド(Organism/Environment Field)、接触(Contact)、接触境界(Contact Boundary)、新奇性(Novelty)、同化(Assimilation)、創造的調整(Creative Adjustment)、そして自己(Self)という理論へと体系化される。
つまり、EHAはPHG以前の未完成な著作ではなく、Freudの精神分析を生命理論へと転換するための理論的実験の書であり、その成果がPHGにおいて一つの体系として完成したのである。
その意味で、私はEHAを読み終えた今、PerlsはFreudを「批判した」のではなく、Freudを咀嚼し、自らの生命理論の中へ同化し、再定位したと言う方が、はるかに正確ではないかと考えている。
では、PerlsはFreudから何を受け継ぎ、何を新たな生命理論として組み替えたのだろうか。
以下、その理論的変遷を一つひとつ辿ってみたい。
1.Libido(性的本能)からHunger(生命的欲求)へ
Freudの理論の中核には、Libido(リビドー)が置かれていた。Libidoとは単なる性的欲求ではなく、人間の精神活動全体を支える心理的エネルギーである。しかし、その根底には「性」という概念が据えられており、人格の発達もまたLibidoの発達として説明されていた。
これに対し、PerlsはEHAの冒頭で、Libidoに代えてHungerを生命の基本原理として据え直す。
彼にとって、人間はまず「食べる存在」である。生命は環境から必要なものを取り入れ、それを噛み砕き、咀嚼し、消化し、同化することによって成長する。この生物学的過程こそが、心理的成長の原型であるとPerlsは考えた。
この転換は、単に「性」から「食欲」へ焦点を移したということではない。
人間を欲動の理論から、生命過程の理論へと理解し直したことに、その本質がある。
2.Unconscious(無意識)からOrganismic Process(有機体的過程)へ
Freudにとって、無意識は精神分析の中心概念であった。抑圧された欲求や記憶は無意識へ追いやられ、夢や症状、失錯行為となって現れる。治療とは、その無意識を意識化する過程であった。
Perlsも無意識という現象そのものを否定したわけではない。しかし彼は、人間を「意識」と「無意識」という二つの領域に分けて理解することに違和感を抱くようになる。
EHAでは、生命とは、有機体全体が環境との関係の中で絶えず働き続ける過程として理解される。
つまり、重要なのは「無意識の中に何があるか」ではなく、有機体が今どのように働いているのかという生命過程そのものなのである。
この考え方はPHGにおいて、「Contact Process(接触過程)」という理論へと発展していく。
3.Resistance(抵抗)から生命機能(Organismic Function)へ
精神分析では、抵抗は、抑圧された無意識が意識化されることを妨げる働きとして理解されていた。
例えば、「患者が話をそらす、夢を思い出せない、沈黙する」などは、分析の障害ではなく、むしろ無意識へ近づいている証拠と考えられた。
しかしPerlsは、この抵抗を全く異なる視点から見直す。
例えば、「嫌悪(disgust)」は単なる抵抗ではない。それは、有機体が「これは自分に取り入れられない」と判断し、接触を拒否している生命機能なのである。
つまり、抵抗とは防衛ではなく、有機体が環境との関係を調整する働きである。
この視点はPHGにおいて、接触境界(Contact Boundary)と創造的調整(Creative Adjustment)の理論へと発展していく。
4.攻撃性(Aggression)の革命
私は、Perls最大の理論的独創性は、この「攻撃性」の再定義にあると考えている。
Freudでは、特に後期理論になると、攻撃性はThanatos(死の欲動)と深く結び付けられ、破壊や自己破壊を説明する概念となった。
しかしPerlsは、攻撃性とは他者を傷つける衝動ではないと言う。
例えば、
歯は何のためにあるのか。
食物を噛み砕き、自分の身体の一部へと同化するためである。
つまり、攻撃性とは、対象へ積極的に働きかけ、それを自らの生命へ取り入れるための創造的な生命機能なのである。
この発想はPHGでは、「Destruction(破壊)」と「Assimilation(同化)」という理論へ発展していく。
ここでいう破壊とは、対象を否定することではない。対象を新しい形へ組み替え、自らの生命へ取り入れるための積極的な働きなのである。
5.Ego(自我)からSelf(自己)へ
FreudにおけるEgoは、Id/EsとSuper-Ego(超自我)、そして現実との間を調整する人格構造であった。
これに対しPerlsは、EHAの段階ですでにEgoを固定した人格構造とは考えていない。Egoとは、有機体が環境と関わるFunction(機能)なのである。
さらにPHGでは、この考え方がSelf理論へと発展する。Selfとは人格の内部に存在する「本当の自分」ではない。
Selfとは、有機体と環境フィールドとの接触を組織するシステムであり、その働きはId Function、Ego Function、Personality Functionという三つの機能として現れる。
ここでは、人間は「人格」ではなく、「接触する存在」として理解されているのである。
6.PerlsはFreudを否定したのではない
ここまで見てくると、一つのことがはっきりする。
EHAを読み始めた頃、私はPerlsを「Freudを批判した人物」と理解していた。しかし、EHAからPHGまでを読み終えた今、私の理解は大きく変わっている。
Perlsは精神分析を否定したのではない。Freudの理論を咀嚼し、必要なものを生命理論の中へ同化し、そこからPHGという新しい理論体系を創造したのである。この意味で、Perlsは精神分析を離れたのではない。精神分析を生命理論へと創造的に発展させたのである。
これはEHAでPerls自身が述べている「咀嚼」と「同化」の生命過程そのものである。
私は、この点が最も興味深い。
Perlsは、人間に対して語った生命過程を、自らの理論形成にも実践していたのである。
PerlsはEHAの中で、「新しいものを丸飲みするのではなく、噛み砕き、咀嚼し、同化することによって初めて生命の一部となる」と繰り返し述べている。振り返ってみると、この言葉は、人間の成長だけではなく、Perls自身の理論形成そのものを語っていたのかもしれない。Freudを咀嚼し、生命理論へと同化したことによって、PHGという新しい理論体系が誕生したのである。
この理解は、私自身がEHAを読み続けたことによって得られた、最も大きな発見であった。
