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九分の一生物語 ②

≪あの子は昔からものを大切にしない子だった≫
 棚の人形から突然声がした。
「何怒ってるんだよ」
≪お兄ちゃんは几帳面で何でも大切にしてたのに、あの子はがさつですぐものをダメにするし、嘘ばっかりつくし、泣けばいいかと思ってすぐ泣くし≫
「だとしたら、あんたがそんな風に育てたんだろう」
 ジョルジュが前脚を舐めながら、やや上目遣いに見る。
≪四十過ぎてできた子だからって、甘やかしたのがいけなかった。自分が四十近いっていうのに、分別がないっていうのか常識がないっていうのか、言うこともやることもまるで子供みたいだし≫
「だから、何をそんなに怒ってるんだよ」
≪あたしのお気に入りの食器を猫のエサ皿にしてるなんて≫
 これを聞いて、ジョルジュはため息をついた。
「比露美にとって、オレは家族なんだ。悪く取らないでくれ。どうしても嫌なら、オレはあの皿をボイコットする。あれで出されても食わない。そしたら、比露美も別の皿に替えるだろ」
≪拒否してるのがお皿だと気づくと思う?ただお腹が痛いだけだと思わないかしら≫
≪比露美だったら、核心をうまく避ける才能みたいなもんがあるからそうなるかもしれないな。ていうか、もういいじゃないか。あの皿は人間用で人間は猫より立場が上かもしれないけど、失礼ながら、あんたはどうやらもう血統書付の人間じゃないみたいだし≫
 ジョルジュはそう言いながら、人形の頭のてっぺんから足のつま先までくまなく見た。
≪人間は血統書じゃなくて戸籍証明書よ。もちろんないよ。体がないんだから、あったらかえって、詐欺になってしまう≫
≪やっぱり、もう死んでるんだな。まだ生まれ変わらなくていいのか?人間て、生まれ変わるの?オレらは九回生きるけど≫
 人形の目が心なしか大きく見開かれているように見える。
≪猫が九生生きるって本当だったのね。でも、どうやってそれがわかるの?前世のこととか憶えてるの?≫
 これを聞いて、今度はジョルジュが目を見開いた。
≪え?人間は憶えてないのか?人間が一日たった六時間とか七時間とかしか眠らないの、なんでだろうって思ってたんだ。人間が見る夢がよっぽどつまらないんだろうなって。猫は夢の中で九生の中の別の八つの『生』を往き来してるんだよ≫
≪前世ってこと?≫
≪過去か未来かはわからない。今が何番目の『生』なのかも。これが初めての『生』かもしれないし、今のオレが九生目かもしれない。いつも夢の中で、生きてる時間はありありと見えるけど、死んだ時のことは思い出せない。他の猫に聞いても、生きてる時間のことは夢に出てくるけど、死んだ時のことはみんな憶えてないって≫
 人形が遠くを見る目になった。
≪あたしは死んだ時のこと、よく憶えてるよ。娘があたしの手を握ってた。夜勤の看護師は娘に『意識がない』と言ってたけど、目が開けられなくて、言葉が出せなかっただけ。娘の声はよく聞こえてたよ。心筋梗塞でね、『心臓の細胞が壊れ始めています』ってお医者さんに言われたんだって。だから、もうだめだって娘にもわかってたはずだけど、『退院する時はどの服着て帰る?』『どの靴履いて帰る?』って、同じことを何度も聞いてた。『お誕生日にあげたあのシュシュをつけて帰ろうか』って。だけど、あたしの髪は手術の前に剃り落とされてあの時は丸坊主だったの≫
 ジョルジュは首を傾げた。
≪あんたが生まれた日には、比露美はまだいなかったんだろう。なんで、誕生日知ってんだ?≫
≪あたしが教えたからよ。一緒にお祝いするために。人間はみんな、家族の誕生日を知ってるのよ。あたし、あの時は七十五になって間もなかった。娘がプレゼントをくれてね。あたしが『後期高齢者の仲間入りだ。誕生日なんか来なくていい、歳はとりたくない』って言ったら、あの子は笑って『そういうこと言っちゃだめだよ。来てくれなくなったら困るじゃない』って言ったよ。『ご馳走食べに連れて行くから機嫌直して』って。でも、比露美の次の休みに素敵なレストランへ行こうと言ってた矢先だった。あたしが倒れたのは≫
≪倒れた?でっかい木の根っこにでもつまずいたのか?≫
 ジョルジュは引き続き首を傾げている。左右の耳の高さを変えて少しでも正確に音や声を聞き取ろうとする、猫の習性だ。
≪たまたま風邪気味でね、人工透析の後に起き上がってベッドから降りたらふらっとして、後ろに倒れて頭を打ったの。すごく痛かった。その後に目が覚めたら酸素マスクをしてた。変なミトンみたいなものを手にはめられててね、側に娘がいて、『これを着けてたら治るからね』って言ってた。寝ぼけてチューブを勝手に外さないようにってことだったみたい。あたしも何か言ったんだけど、『こんなの着けてたらごはんが食べられないから、はずして』と言ったんだったっけ。その時は頭の中がごちゃごちゃしてたから、よく憶えてないのよ。その次に気がついた時は人工吸入器をつけられてて、もうものが言えなかった。頭にたまった血を抜く手術はうまくいったんだけど、その後でまた人工透析を受けたら、心臓がまいってしまったって、お医者さんが娘に言ったんだって≫
≪ジンコウトウセキって何?≫
≪体の血を全部入れ替えること≫
 ジョルジュが驚愕に目を見開いた。
≪人間って、血を抜いたり入れ替えたりいろんなことするんだな。そんなことしても生きてるんだったら、何しても死なないような気がするけど≫
≪何しても、死ぬ時は死ぬのよ。なんとなく、もう終わりだな、ってわかった。娘が、『まだ、お誕生日のお祝いのご馳走食べに行ってないよ』『九十まで生きるって約束したよ』『一緒に帰ろう』『お兄ちゃんが帰ってくるまでがんばろう』って何回もくり返してたけど、あたしにはもうがんばる力がなかった。点滴の装置に『流量』って書いてあってね、娘はそれを見て、『あ、流星だ。流れ星だ。お母さんを返してください』って機械に向かって祈ってたよ≫
≪本物の流星だったら願いを叶えてくれるのか?≫
≪そう言われてるね。あたしは試してみたことはないけど≫

                        つづく


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