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『シュレーディンガーの男』(全23話)【プロローグ】〜【第1話】

【あらすじ】 
事件は起こり、また起こらなかった。蓋を開いて初めて二つの可能性が収束する。
「現在」と「三年後」で進行するタイムリープ型のミステリです。
実際にあった東中野少女監禁事件をベースにしてます。
【現在】妻と娘を持つ佐山という中年男が滝谷という大学生殺害の容疑で捕まる。「確かに私が殺しました。罰も受けます」という佐山だが二人の間に接点は無く動機だけを頑なに沈黙する佐山。刑事の針村は真相を追う。
【三年後】佐山は中学生の娘を滝谷という男に三年間誘拐監禁され殺害されていた。妻は半狂乱、自身も自暴自棄となる。あるとき佐山が目覚めると三年前に戻っており、佐山は娘を攫われる前に滝谷を殺害する決意をする。

【プロローグ】
 二〇二五年現在。二月十日(犯行から三年後)

 塩崎博之は二十八歳、東京都在住のエンジニアだったが、静岡の出張所で問題が起こったため早朝から伊東市へ車を走らせていた。

 二月十日の早朝午前五時過ぎ。陽の遅い真冬ということもあり早朝というよりは体感的にまだ深夜に近く辺りは暗い。伊東駅を少し過ぎた辺りの路上で、目の前に茶色のコートを着た男が急に飛び出してきたので塩崎は驚いてブレーキを踏んだ。

 男は立ちはだかるように大きく右手を上げると、そのままのかたちで左手の警察手帳を見せた。最初塩崎は一瞬、運転で何か不手際をやってしまったかと思ったが捜査一課という文字が目に入り一気に眠気が覚めた。名前は針村士郎とある。針村というその刑事は右手をあげたまま、腕時計と塩崎の顔を交互に見た。
「あの……何か?」
「失礼、警察のものです。いえ、なんでもありません。少々お聞きしたいことがあるだけでして」
「はぁ」
「失礼ですがあなたの、」
 刑事はそこで一旦口をつぐみ寒気でカサカサに乾いた唇を舐めるとこう言った。
「あなたのお名前と年齢を聞かせて頂けますか?」


【1】
 現在より三年前。二〇二三年二月七日(犯行翌日)

 取調室に記録係の巡査が入ってくると針村の向かい側に座っている男は大きなくしゃみをした。
「こりゃすんません。いやあ、外では花粉がようけ飛んどるみたいですなあ今日は」

 被疑者、佐山宏樹、四十三歳。埼玉県上尾市で自営業の小料理屋を営んでいる。この男が殺人容疑で捕まったのは昨夜二月六日の水曜日午後十一時だった。
「刑事さん、煙草ば一本もろうてもよかですかね。昔は刑事ドラマとかで刑事が犯人に煙草ばすすめる場面とかよう見ますけど、吸うてもよかとでしょ?」と佐山は指を二本立てて煙草を吸う真似をするが針村はただ黙って首を横に振った。
「いやあ、そいにしても日本の警察っちゅうのは本当に優秀なんですなあ。まさかあんな短時間で、あっという間に捕まるとは思わんやったですばい」

『本当に優秀』のアクセントが強い。しゃあしゃあと語るその口調にはどこか皮肉めいた響きもあった。

「あ、こりゃすんませんな。もう九州から出て十年経つとですけどね、なかなかどうして訛りの抜けんとですよ」と佐山は弱々しい笑顔を見せる。それは玄関先で大坪が初めて佐山を見た時の笑顔と同種のものだった。

 佐山が犯行現場である被害者宅マンションから上尾の自宅に帰り付いたのは同日午後七時半。シャワーを浴び、妻と中学にあがったばかりの娘、穂波と三人で夕飯を食べる。その後、晩酌をしながらテレビを見ている最中、踏み込んだ大坪たちに御用となったのである。とはいえ大捕物というわけではない。大坪が玄関先で佐山の妻である詩織に主人は在宅であるかどうかを尋ねると佐山はまるで準備でもしていたように姿を見せ、ぺこりと頭を下げた。「娘を起こさないようにしたい」と言うとおとなしく大通りまで歩き、まるでタクシーにでも乗るかのように大柄の体を自らパトカーの後部座席に押し込んだのである。

 佐山が犯行現場に持っていったスポーツバッグの中からは、東京都中野区にあるマンションに住む二十歳の大学生、被害者である滝谷英明の返り血を浴びたと思われるワイシャツが見つかった。佐山はその血のついたワイシャツを捨てるでもなく、隠そうとするでもなく、まるで見つけてくださいと言わんばかりに自宅に持ち帰っていた。昨日の供述によると佐山は犯行の後、スポーツバッグの中にあらかじめ入れておいたまっさらなパーカーと交換するように着替え部屋を後にしたことが明らかになっている。つまりこれは計画的殺人である可能性が高いということになる。

「……もうよかでしょ。私がやりましたっていうのは認めとりますけん。あとは何が聞きたかとですかね。刑事さん」
 何が聞きたい? 
 聞きたいことは山ほどあった。
「だから言ってるでしょう佐山さん。あなたにはなにか、滝谷さんを殺さなければならない理由があったのですか?」
「理由、理由と…… 。理由ねぇ」と佐山は料理人らしく短く刈った胡麻塩頭ををつるりと撫でた。
「佐山さん、ふざけるのはやめましょうや」
 佐山は息をつくと、デスクにこびりついた汚れを爪でカリカリと剥がそうとし始めた。
「別にふざけとるわけじゃなかとです。まあ、理由を言うてみたところで誰にも理解はしてもらえん。そういうところですかね」
 佐山は椅子に座り直すと両手で膝をつかみ頭をぐっと下げた。「私があの男を殺しました。包丁で何ヵ所も刺し、切りつけ、しまいには首を絞めて殺しました。全部認めますし、犯した罪は償おう思うとります」
 穏やかな声だった。一言一句をゆっくり言い終えると佐山は顔を上げ眼鏡を押し上げた。真摯な対応とは裏腹にその顔にはやりきれないといった表情も見え隠れしている。
「だけんもう、そいでよかでしょうが?」
 ぽつりと呟いたその言葉に対してもそうだが、針村は何かが気にくわなかった。まるで、根っから真面目な高校生のくせにただ周りからそそのかされ悪ぶっているような、どこかそんな態度がこの佐山という男からは見てとれるのだ。
 針村はそんな個人的感情を書き損じたメモ用紙のようにくしゃくしゃと丸めて頭の中からいっさい捨て去る。そして何事もなかったように聴取を再開した。
「では、もう一度あなたと被害者である滝谷との関係からお聞きします」



#創作大賞2024
#ミステリー小説部門
第1話 本編
第2話

第3話

第4話

第5話

第6話

第7話

第8話

第9話

第10話 箱の中身中の男

第11話

第12話

第13話

第14話


第15話


第16話


第17話


第18話

第19話


第20話 箱の中の猫

第21話


第22話

第23話(最終話)〜エピローグ



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