【紫陽花と太陽・上】エピローグ 太陽
先日十四歳になった。
私は二月生まれなので、ここでやっと遼介と同じ年齢になったのだ。遼介は六月生まれだと言っていた。長い長い年の差だと感じた。
私はめくっていた手を止め、絵本の開いているページを丁寧に眺めた。
大きな木が、真夏の太陽に照らされて、のびのびと枝葉を伸ばしている。そんな絵だ。
この絵本には言葉がない。絵だけで淡々と四季折々の様子が描かれている。
題名は「きのうた」。
木が主人公の、春夏秋冬のめぐる様が水彩画で描かれた、とても美しい絵本。
ぺらり。次のページは、のびのびとした枝葉が太陽に当たって暑がっているような左側と、雨がざぁと降って気持ちよさそうにしている姿の二面性が描かれていた。
ぺらり。次のページは、秋か。少し葉の色が褐色を帯びてきた。
ぺらり、ぺらり。
私はこの絵本を母から手渡された。
そしてこれを、不思議な経緯で椿ちゃんに貸した。
私は今、遼介の家にお世話になって一緒に暮らしているので、好きな時にまたこの絵本を眺めることができるようになった。
昔の家から持ってきたものは、この絵本だけだ。
他の荷物は全て捨ててきた。兄から逃げた時に、全部あの家に。
取り返したいとは全く思わない。同じものを、この家に来た時に百合さんと一緒に買ったから。身長が大きくなれば、今ある服と同じものを大きいサイズに取り替えればいいし、靴も毎日違う靴を履くわけではないのだから、サイズだけ変えて小さいのは捨てる。今以上に増えることはない。
私の持ち物はすごく少ない方だと思う。遼介の家はそれはものすごく細々したもので溢れていて、暮らし始めた当初は歩くだけで何かしら蹴っ飛ばしてしまうので驚いた。椿ちゃんが手掛けた折り紙の作品や絵画は、毎日種類と数を更新している。
どうしたら家の中が片付くのか、遼介が多忙を極めていた頃は掃除まで手が行き届かなかったようで、たびたび相談されたりもした。
大人の姉二人がいるけれど、それでも家事も育児も学校も一人でやっていた遼介は、私の目からしたら完全に許容量を超えていたと思う。洗濯一回を手伝ったところで日々の暮らしは続いていく。何も手伝ったことにはならない。
私は、自身に起こった怖いことは置いといて、遼介と一緒に暮らせるようになったことはとても嬉しいことだと思っている。
遼介には感謝しかない。
この気持ちをどう返したらいいのか、それも分からない。
まだ分からないので、隣りにいて、一緒に全てをする。家事、育児、勉強を。
「きのうた」は、主人公はもちろん木なのだからどのページにも木が登場する。
でも私は思う。太陽、もまた主人公だと。
どのページにも実は太陽は現れる。春夏秋冬、どの季節にも太陽は存在する。
木が光り輝くには太陽が必要なのだ。
もう一つ、これは剛から譲ってもらったという絵本がある。題名は「北風と太陽」。
イソップ寓話のひとつだ。
ある時、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、通りすがりの旅人の外套を脱がせることができるかという勝負をすることになった。
まず、北風が力いっぱい吹いて、旅人の外套を吹き飛ばそうとする。しかし、寒さを嫌った旅人が外套をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。
その次に、太陽が燦燦と暖かな日差しを照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から外套を脱いでしまった。
(出典:フリー百科事典『ウィキペディア Wikipedia』)
太陽は勝負に勝った。やったことといえば、ただ照っただけだ。
私には遼介が「太陽」のように見える。
そばにいるだけで、眩しくて、明るくて、時々雲に隠れたりもするが、温かくて、優しい。私は時々目を逸らしてしまう。あまりに眩しすぎて。
遼介は私を照らした。それで、私の心や頭にかかっていた薄い膜のようなものは霧散した。昔の出来事に蓋をして記憶を封じていたにもかかわらず、あっさりと蓋が外れてしまった。
小学校に通っていないこと、父に厳しく茶道を教え込まれたこと、学校の行事に参加することを止められていたこと、兄のこと……。全て遼介の目の前にさらけ出し、そして彼は全て受け止めた。
そういえば、と、私は思考をちょっと前に戻してみる。
椿ちゃんが保育園の何かで「失敗」をして落ち込んでいた時のこと。
「そう、椿はそこがうまくいかなかったんだね」
「しっぱい……しちゃったの」
「そうだね、失敗したんだね。良かったね」
「よかった?」
「そうだよ、失敗はね、どんどんする方がいいんだよ。いっぱい失敗した方が強い大人になるんだって、父さんも言ってたよ」
「へぇ……。でも、しっぱいするとはずかしいよ……」
「じゃあ今日、椿は恥ずかしかったの?」
「うん」
「そうか。じゃあ失敗したら恥ずかしいってことが、今日分かったんだね」
そんなことを二人が話していたことがあった。私は遼介を穴が空くほど見つめていたように思う。遼介は私の視線に驚き、戸惑った後、顔を赤くして狼狽えた。
私は九月頃に行った宿泊学習で「失敗」をした。事前にたくさん調べて自分なりに注意すべきところを考えて、うまくできると思って臨んだ。課外活動は生まれて初めてだったけれど、知識を仕入れさえすればうまく乗り切れると。だが、結局は熱中症で倒れ、自分の感情を吐露してしまった。遼介に迷惑をかけないようにと心にしまっていたことを口に出し、クラスメイトと就寝を共にする大切な経験を、彼から奪ってしまった。
その失敗ですら、遼介に問うてみると「大したことじゃない」と言った。
誰かが死ぬようなこと以外は大したことじゃないと。
それに失敗はたくさんした方が……と、椿ちゃんに言っていたのと同じことを私も言われてしまった。
遼介の頭の中はどうなっているのだろう。
どうしてそんなに優しくなれるのだろう。
私は、何をしたらいいのだろう。
遼介の、太陽のような笑顔がこの先もずっと続いていてほしい。
私が今生きる意味は、それを探すことのように思えてならない……。
たくさんの感謝を込めて。
上巻 END
長い長いオリジナル小説をご拝読いただきまして本当に感謝いたします。
遼介、あずさ、剛の中学生の頃の物語。
まだまだ幼さの残る頃だからこその悩み、不安、感謝、日常を綴っていけたらと思い、稚拙ではありますが筆を執りました。
彼らは私が中学二年生の頃に登場した人達です。自分と同じ歳頃の、自分ではない人達を頭の中で想像し、動かしていくうちに、いつしか彼らは勝手に一人でしゃべるようになりました。自分も生きながら彼らもまた生きていきました。
私の日常は彼らとともに過ごしてきたと言っても過言ではありません。
完全に頭の中にある物語を、今、ここnoteで広く皆様に読んでいただけるようになったこと、本当に嬉しく思います。
次のお話は彼らが高校生になります。
もしお時間がございましたら、引き続き遼介たちの日常に触れていただけたら幸いです。
あとがきその一 「あとがきではないあとがき」
あとがきその二 「こんどこそあとがき 上巻を公開して」
次のお話はこちら(中巻のプロローグへリンク)
(紫陽花と太陽・上 第一話はこちらから)
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