見出し画像

連載小説「お弁当屋の笑子さん」 第四話

前の話  第一話  次の話



第四話 誠太さん


 詰め終わった弁当箱の蓋を手際よく閉じ、丁寧に並べた。

 雨続きだった週だったが本日は晴天で、カラリとした空気に思わず腕を伸ばして深呼吸していたところ、
「おはようございます。笑子しょうこさん」
 誠太せいたさんに思いっきり見られてしまった。

「まぁ、見られてしまいました。おはようございます」
 すこし赤面し、慌てていつもの笑顔に戻す。
「おはようございます」

 誠太さんは常連のお客様だった。それとわたしの住むアパートの隣の部屋の住人でもあった。隣に住んではいるけれど、わたしの出勤時間は朝とても早いので、顔を合わせるのはいつもお店になるのだった。

「いつものでよろしいでしょうか?」
「はい。いつも助かります」

 誠太さんは財布を出しながらいつも持参される保冷バッグを渡してくれた。お弁当用のマチ付きビニール袋はサービスで無料にしているのだけれど、彼や他の常連様はマイバッグを持参してくれる方も多かった。こちらとしては経費削減にもなるし、保冷機能付きであれば夏場の衛生面でも安心して渡せるし、環境にもいいことをしている気分になるので有り難かった。

「今日は月曜日ですので、きんぴらごぼうが入っています」
 わたしがそう言うと、誠太さんは満面の笑みになった。
 彼はきんぴらが好きなのだ。いつも清潔そうでシワひとつないスーツを着た彼はサラリーマンをしており、月・水・金の週に三回「お弁当 こうそ屋」の商品を買ってくれる。

 月曜日にきんぴらを詰めるのはわたしのひそかなたのしみ。

『今週も素敵なものになりますように』

 そう願いを込めて、プラスチックカップに朱と茶色の根菜をそっと入れている。

 優しい笑みを残し誠太さんが去っていった。深くお辞儀をして見送っていたわたしは、別のお客様に気がつき、再び業務に立ち戻った。


      *

 わたしの日常はいたってシンプルだ。毎日おなじことの繰り返し。繰り返さないと穏やかには生きられない。
 わたしは自分がとても『不測な事態』に弱い女だと自覚していた。

 たとえば、物価。たとえば、お客様の苦情。

 いつだか、鶏インフルエンザの大流行によって卵が品薄となり、手に入らなくなったあとにぐんと高騰し、どうにもならなくなった。いまでこそ卵焼きや味噌漬け卵などをおかずとして作ることができるけれど、渦中は見えない不安で眠れなくなった日もあったくらいだ。

 そして苦情というものはほんとうに予想ができない。笑顔を張り付かせて多少のことでは動じない仮面を身に付けたところで、悪意のある言葉を受ければ心はズタズタに引き裂かれてしまう。

『んな、醤油にグルテンフリーなんて求めてないんだよ!』

 時々夢に出てくる言葉だ。
 醤油には、一般的なものには「小麦」が使われている。アレルギーの反応の具合は人それぞれで、醤油程度の小麦含有量だと大丈夫な人も多いのだけれど……。わたしと夫は、ねむちゃんというアレルギーをたくさん持っている女の子が、安心して食事をたのしめるようにしたいと思って、高くなってしまうけれどあえて小麦を使わない醤油を使うことに決めていた。

『ふつうの、で、いいんだよ! くそ高ぇ弁当、誰が買うか!』

 夫は動じなかった。ただ一言、
『君が気にする必要はなにもない』とだけわたしに対して言い、さっさと作業の続きに戻った。
 わたしたちとは縁がなかっただけ、そう割り切るまでには時間がかかってしまったが、どうにか、これはさすがに言い過ぎな人だと思うことにして、わたしは需要と共有が不一致だったと線引きをした。極太の油性ペンでビーッと境界線を引いたイメージで。

 夢のなかで苦情を言う人は、怖い顔をしていた。ほんとうにそういう顔だったかはもう忘れているのに——むしろ忘れてしまいたい——怒声といかつい体格はわたしを震えさせるのに十分だった。

 そしてそういう夢を見た朝は、誠太さんの笑顔を思い出すようにした。
 夫もそうだったらしい。

『嫌な夢をみるとさ、なんだか誠太くんに会いたくなるんだよ』
 そう、呟いていた(むかしは誠太さんは週に二度お弁当を買っていて、会う回数が少なかった)。


 誠太さんはお店を開業してすぐに常連様になった方だった。
 壁に掲示してあった貼り紙をじっと見て、お弁当もじっと見て、
『買います』
 とだけ言って、買った。

酵素玄米こうそげんまいとは?
玄米を小豆と塩と一緒に炊き、三~四日程度保温して熟成させた赤みのある玄米のことです。『寝かせ玄米』とも呼ばれています。

炊き上がった玄米を数日寝かせることで、酵素の働きが活性化し、通常の玄米よりも栄養素がグンとアップし、さらにもちもちした食感で、玄米が苦手という方でもたべやすいといわれています。

「お弁当 こうそ屋」の壁に掲示してあった貼り紙

 その数日後、もう一度お店にやって来た彼は目をキラキラさせて(先日の買いものの時のねむちゃんのようだった)、
『ものすごく美味しかったです! 毎日……は財布がちょっと厳しいので、週一くらいで買いに寄ります!』
 と、片腕をブンと振り上げてコーフンぎみに感想を言ってくださった。

 誠太さんもわたしもおなじアパートということは、オーナーは和恵かずえさんということで……彼の情報は主に和恵さんから仕入れることが多かった。誠太さんのご実家は遠い田舎で、代々農家の家系だという。都会で暮らす彼を心配し、田舎からは頻繁に食材の支給——段ボール箱ぎっしりの——があるようで、和恵さんはたびたび野菜のお裾分けをいただいていると言っていた。

 独身で、年齢はわたしよりも下、スーツを着ているということは立派な職業に就いている……?と、思ったりするものの、余計な詮索になるので考えるのはほどほどにしている。まずもって自分が飲食業以外の職業に就いたことがないので、スーツを着る職業は雲の上の人、という浅識なのだ。

 とりあえず、若者が酵素弁当なるものを召し上がるのは、珍しいと思っている。

 ほんとうに、有り難いお客様。

 おかずをひとつひとつ手作りすると時間がものすごくかかってしまうけれど、既製品ではできない『保存料を控えた』おかずを作ることができる。保存が効きにくい、だからこそ衛生面には十分気をつける必要があるし、早めに召し上がっていただくことが条件となる。

 願い、こだわり、そして分かってくださる一握りのお客様。

 誠太さんもそうだけど、ねむちゃん、ねむちゃんのお母さん、わたしと夫を支えてくださる和恵さんとその他たくさんのお客様。彼らに支えられてわたしは日々生きていると思っている。
 そして、命を我々人間に捧げているたくさんの食材たちも。

 すべてに敬意を払ってわたしは生きなくてはならない。

 わたしは甘くしたミルク珈琲を飲みながら、明日の仕込みをする。



(つづく)


次のお話はこちら

「お弁当屋の笑子さん」マガジンはこちら↓(全14話)

#小説 #連載小説 #眠れない夜に #私の作品紹介 #酵素玄米 #寝かせ玄米 #お弁当 #ライフワーク #食育 #食生活 #ごはん #時間 #記憶 #健康 #創作

いいなと思ったら応援しよう!

pekomogu 数ある記事の中からこちらをお読みいただき感謝いたします。サポートいただきましたら他のクリエイター様を応援するために使わせていただきます。そこからさらに嬉しい気持ちが広がってくれたら幸せだと思っております。