平岡|公威《こうい》という作家。
三島由紀夫と名乗り始めてからは粗晩年まで表舞台の袖に隠れた名前。但し本名の読みは「キミタケ」。夭折した友人で小説家・東文彦との書簡で「公なんかハムじゃないか」と自分の名前を貶している。恩師でもある清水文雄先生から雑誌掲載に当たり筆名使用を勧められ「平岡公威ではいけませんか?」と反問したのに因み本記事では敢えてこの振り仮名を宛てた。幼少期から自作のノートや原稿には他に青城《せいじょう》(漢文由来)、小虎(彼の祖母からの呼称)なんて筆名も残っている。今年は生誕百年であるからと少しずつ記事に判官贔屓を表していたが此処等でまた彼を主題に記事を書こう。
実を申せば僕は三島文学より素直な「公威くん」の小説の方が好みである。三島由紀夫の硬質な文体に時折顔を出す上品さを見るに付け無理してたんじゃなかろうかと老婆心が覗く。和文や雅文とは馴染んでも漢文や若者言葉で書いた小説には時折砂粒くらいの違和が生ずる。三島は自身も小説も何処か依り代的──衆人が求める像に応えて生きている痛々しさがある(身辺に材を取る意味とは異なる)。子供時分を懐古する「童話三昧」で自分の根底に童話があると語っている。初等科1年の作文授業で「フクロウ貴女は森の女王です」と物語読み上げた夢見がちな少年の担任が温かな補助をしたならば彼のレールは変わっていただろうか?哲学的でありながら異星人を主人公とする「美しい星」を楽しんで書いたと言うのは延長線上にあるからではないのか?「小説」を棄てる前にどうして童話作家に転身する道を選ばなかったのだろう。ただ…もしそうであったなら僕は三島由紀夫を識りたいとは思わずに、幸福を希わずに過ぎた筈だ。二律背反。
学習院中等科一年の課題として創作(優の評価)された掌編「我はいは蟻である」は題名からして夏目漱石「我が輩は猫である」から発想した作品と思われるが子供時分の夢が昆虫学者だった彼らしい作品。十三歳の作品「酸模」(本に依り「すかんぽ」読み)は脱獄者と少年の短い交流を描く。母堂に拠れば4、5歳の時に漫ろ歩きしていた折に卒然と現れた刑務所の光景を物語に昇華させたものだろうとの由。「仔熊の話」は現代と御伽話の融合。熊の描写が可愛らしい。単行本収録された話も在るが全集収録のみが殆ど。読むなら全集十五巻がお勧め。十代前半までに作成された文集「笹舟」を中心とした童話が多く収録されている(「我はいは──」は別の巻)。平岡公威著作として単行本刊行してくれないかなと僕は願っている…全集は気軽に読むには重いのだよ、物理的に(笑)。
梅雨忘れたかのような今年の天候。初等科6年の時に彼が書いた雨の詩があるので載せておく。尊父・平岡梓著「伜・三島由紀夫」(文藝春秋121-122頁)より転記。旧字体の「空」「灰」「青」「声」は現代様に代替、平仮名は儘とした。
「雨空」
灰色をした暗い空
サボテン鉢の下を見れば
しめつたやうにほの暗い
青葉の上に雨蛙
雨を呼ぶ声一しきり
ぽたりと落ちた一雫
今日も降るかな銀の雨
