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まっすぐ手記S2-8|テレビが一瞬で天に召された日。220Vの国で暮らしてわかったこと

草原にゲル(遊牧民の家)が並ぶ穏やかな風景の中で、年配の男性がやさしく手を振っている。
 薄いベージュのシャツを着て眼鏡をかけ、穏やかな笑顔を浮かべている。
 背景には青い山並みと広い空が広がり、南国というよりもモンゴルの大地のような、のびやかで温かな空気を感じるイラストGIF。

🌏 酒井先生のまっすぐ手記|旅で出会った、人と知恵とユーモア
新潟県長岡市(栃尾)生まれの酒井先生。

青年海外協力隊としてフィリピンで理数科教師を務め、長崎大学熱帯医学研究所での研修を経て、1997年に酒井歯科医院を開院しました。

地域医療に長く携わるかたわら、旅先で出会った人々との交流や、異文化に触れて感じた驚きや学びを“まっすぐ”に綴っています。
実は先生には、少し不思議な引き寄せの逸話があります。

ある日ふと、「ペン吉さん、僕の本を書いてくれないかな…」と思っていたそうです。
すると翌年、本当にペン吉(著者)が原稿を携えて現れたのです。

そして出版後には、本の中に登場した人物から4年ぶりに連絡が入り、再び一緒に旅をすることになりました。

エッセイシリーズ『酒井先生のまっすぐ手記』は、東南アジアやモンゴルでの体験を描いたドキュメンタリー紀行。
ユーモラスな語り口と、現地の人々との温かな交流が多くの読者に愛されています。

✏️ 一部エピソードはnoteでも公開中。
Kindle版では未公開の旅話も多数収録し、“心で旅するシリーズ”として広がり続けています。
――1995年 フィリピン手記より。

やさしい雰囲気の女性が、手のひらにのせた黄色い鳥のキャラクター「ペン吉」を大切そうに抱き、肩には青い小鳥「ことりさん」がちょこんと寄り添って微笑んでいる、あたたかいタッチのイラスト。

🐥 ペン吉とは?
育児や小さな日々の気づきを大切に綴る、Webライターです。
黄色い鳥「ペン吉」と青い鳥「ことりさん」と一緒に、絵本や手記づくりを楽しんでいます。

Kindle絵本では、
「実用・工作・趣味」1位、
「学習まんが」3位、
「絵本」4位 にランクインした作品も出版。

Kindleをはじめたきっかけは、命を救ってくれた歯科医師・酒井先生の
「旅の手記を本にしたい」という願いを形にしたかったから。
先生のまなざしや出会いの温度をそっとすくいあげ、手紙のように届けることを心がけています。

読んだ方のこころが、すこしでもあたたかくなりますように。


2025年11月30日コメントをいただいたので更新しました💡

フィリピンの山奥で暮らしはじめた頃、私は「電気」というものの存在を、これほどまで深く意識したことはなかった。

毎日2時間だけ灯る明かり。その時間が、どれほど人の気持ちを支えていたのか——少しずつわかっていったのだった。


まだ来ていないのに、見た目だけ電線ぽい世界

私が最初に赴任したのは、イロイロ州の山の中にある国立大学 INCA(Iloilo National College of Agriculture:イロイロの農業系カレッジ) だった。幹線道路から15kmも奥にある場所だが、問題はその距離ではなかった。

道路沿いに開けた町ランプナオ(INCA近くの道路沿いの小さな町)ですら電気が来ていなかったのである。

当時のパナイ島は、電気が届くのは “本当に大きな都市だけ”。山の大学に電気がないのは当然のことだった。

キャンパスは山の中にぽつんと存在し、ひとつの小さな村のようでもあった。敷地内には太い木の棒がところどころに立ち、2本のワイヤーが張り巡らされている。

「これは……電線なのか?」
そう思わせる程度の見た目だが、近づいてよく見れば本物である。

「じゃあ電気は来ているのか?」
そう聞かれれば、答えは Yesでもあり、Noでもある。

大学はガソリン式の発電機を持っていて、必要なときだけキャンパスに電気を流すことができるだけだった。


発電機がくれる “夕暮れの灯り”

発電機が動くのは、毎日午後5時から7時までの2時間。ちょうどみんなが夕食の支度をする時間である。

山の中では家以外に休める場所がほとんどない。だからこそ、夕方の2時間の灯りは、人々の心に “ほっとする時間” を与えていたのかもしれない。

教職員を山奥のキャンパスに留めておくための、大学なりの工夫でもあったのだろう。

私にとってもこの2時間は、なくてはならないものだった。

生水を避けていた私は、毎日湯ざましを作らなければならなかった。日本から持参した電気ポットを使えるのは、このたった2時間だけだったのである。

「こんなに電気がありがたいと思ったことはなかったな……」

ラジオは電池で聞けても、電気ポットだけはどうにもならない。だからこの2時間の電気は、私にとってまさに “命綱” だった。


2時間限定の “生活の逃避”

私が使う電気は電気ポットと電灯くらいだが、人々はずいぶん違っていた。

電気が来る2時間だけ、「今しかない!」と言わんばかりにステレオを最大音量で鳴らす家もある。

短い時間でも音楽の力で、日々の厳しい生活を紛らわせたい気持ちがあるのだろう。こればかりは電池ではできないので、その気持ちはなんとなくわかった。


WLACの “ゆとりある表情” の理由

10ヶ月ほどして、私はザンバレス州サンマルセリーノ(ザンバレス州の地方町。WLACがある地域)へ移った。そこは米軍基地から25kmほどの距離にあるためか、電気事情は一気によくなっていた。

1950〜60年代の日本のように、2本の電線が町中にきちんと張られている。私の所属した WLAC(Western Luzon Agricultural College:西ルソンの農業系カレッジ) という大学にはエアコンも冷蔵庫もあり、大きな扇風機も回っていた。

「同じ国立大学なのに、こうも違うものなのか……」

電気があるだけで、学生も教職員もどこか表情が穏やかで、余裕があるように感じられた。電気というものの持つ力を、ここでつくづく思い知らされた。

山小屋でランプを囲む家族と、遠くに輝く都市の夜景が広がる光景。山奥の温かい暮らしと電気のありがたさを描いたイラスト。

24時間電気の恩恵、その1番の使い道

WLACでも私は生水を飲まず、湯ざましだけを飲んでいたが、24時間いつでも電気を使えるので苦労は減った。

何より嬉しかったのは——

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