文章の読みやすさはどこまで許容されるべきか
わかりやすい文章の問題点
事実が正確に伝わらない
世の中は複雑である。しかし、その一方で単純でもある。だからこそ世界はとらえどころがない。
世界とは本当によくわからないものであり、本来出来事の一つ一つを伝えるのは難しい。
社会的な出来事でも個人の体験なども、他人から見ればよくわからないもの。どんなに説明がうまい人でも正確に他者へと伝えることは困難であると言えます。
昨今は「わかりやすさ」が最も重視されています。
文章を書く時、動画やテレビなどで情報を伝える時、常に見ている人、聞いている人が内容を理解できるようにできるだけ簡単な言葉で伝えなければいけない。
けれども、言葉を簡単にし、単純な例ばかりを用いて、文章や話の構成を簡単にしすぎると情報が正確に伝わらないという問題が生じます。
例えば数学や物理。
理数アレルギーの人でも理解できるように、できるだけ数式を使わずに解説している本などがあります。
初歩的な理解を促すには有効的かもしれませんが、数式をすっ飛ばすと全体の大枠が理解できません。
繰り返しますが、初歩的な理解をするという点では数式を省き、わかりやすい言葉で説明する手法は良いですが、本質的な部分を理解するのは難しいと言えます。
複雑さに対してアレルギーができる
文章に限ったことではないですが、簡単で理解しやすいものばかりになると、複雑さに対して拒否反応や怒りがこみ上げてきます。
「もっと簡単に説明できないのか?」、「難しい説明ばかり受けていると内容を理解できない」。
このような不満がSNSなどにありますが、複雑なこと(科学・哲学・歴史・宗教・芸術など)はどうしても抽象的な説明が必要になる時があります。
抽象的な説明を自分の頭で考え、理解しなければいけないこともあるのです。
昨今はAIの発達により、難しい内容を自分の頭で考える習慣はなくなってきていますが、「抽象的な思考」ができないと理解できることが少なくなってしまいます。
簡単すぎないことの理想
さじ加減は難しいのですが、文章は簡単になりすぎないというのが理想だと思います。
あまりにも語彙、文章レベルを落とすと、既に述べたように「抽象的な思考」ができないうえに難しいものに対する拒否反応が生まれます。
そのような問題があるので、文章は最低限中学~レベルが保たれたほうがいいと言えます。
まとめ
世界の出来事を理解する時、どうしても抽象的に考えなければいけないことがあります。
簡単な説明が蔓延ると、事実が正確に伝わらないという問題が生じるうえ、思考そのものが単純になってしまう。
だからこそ、簡単すぎないというさじ加減を保ったうえで文章に触れていったほうがいいでしょう。
