映画感想文『アカルイミライ』:クラゲは「明るい未来」を夢見るか

仁村雄二(オダギリジョー)が心を許せる唯一の存在は、おしぼり工場で働く同僚の有田守(浅野忠信)だけ。ある日、守の家を訪ねてきた社長が守の飼う猛毒のアカクラゲに触ろうとし、それを止めなかった守は次の日解雇される。その夜、怒りに駆られた雄二は社長の家へ向かうが、そこには夫婦の死体があった。社長夫妻殺害の容疑で逮捕された守は雄二にクラゲの世話を頼むが、雄二はクラゲを逃がしてしまう。そして守の自殺。それをきっかけに雄二は守の父・真一郎(藤竜也)のもとに身を寄せるのだが……。
※ごく個人的な感想です。ネタバレあったらごめんなさい。
本当は何分の映画なんだ?
いきなり映画本編とは直接関係ない話なんですけど、北千住にある東京芸術センターのシネマブルースタジオで観たんですね。上映時間115分。ほぼ2時間ですよね。
16時から上映が始まり、鑑賞後に夫婦で居酒屋で乾杯したのが17時45分。
ん?本来ならまだ映画上映中の時間じゃね?
もしかすると、海外公開用の92分バージョンだったんじゃないかな?
シネマブルースタジオのサイトには115分と書かれていたけどね。
実際、公開時以来22年ぶりの再鑑賞だったんですけど、自分の記憶より体感時間が短い気がしたんです。後出しジャンケンみたいですけど、本当に。
トテモムズカシイ
公開当時、オダジョーファンの女子が「ワケワカラン!」と激怒したことを覚えていますが、当時も難しかったし、20年も経った今観ても難しい。
いや、今となっては
「相手と判り合えないという事実を受け容れながらも人々が共存している世界を描いた」
という正解めいた解説が流布していますから、そういう目で観れば理解できる映画ではあります。
加えて言うなら、私は黒沢清を「この世界は不安定である」ことを描き続けている作家だと思っていますので、その文脈からも「判り合えない世界」は「不安定であり」「ホラー」だと思うんです。
世代とクラゲ
本作には三世代が登場します。
・オダジョーや浅野忠信の20歳代の世代
・工場長・笹野高史の上世代
・そして高校生らの下の世代
その世代間の対立は明白で、藤竜也と加瀬亮の父子関係でも描かれます。
(そう考えると、本作は意図的に「母性」の描写を排除してるな)
この物語の若者、特に中心であるオダジョーと浅野忠信を、映画は「クラゲ」に見立てていると思うんです。
上の世代の工場長は若い嫁さんをもらっていて、色も金も権力も持ち合わせているのに対し、彼らは金にも女にも興味がない
(ボーナスで手にした現金をぞんざいに扱うシーンが描かれる)。
何を考えているかわからない、フワフワした存在。
でも、体内に毒を持っているんです。
「俺も若い頃はさあ…」などとしたり顔で近づいてくる大人、言い換えれば「水槽に手を突っ込んできた外敵」を猛毒で攻撃する。
そう考えると、浅野忠信は水槽の中のクラゲだったのです。
一方オダジョーは、水槽から逃げ出したクラゲ。
戸惑い、自分の居場所を見失いながらも、やがて増殖し、光を放って海を目指す。これこそ彼に出された「行け」のサインだったのかもしれません。
実際、彼は屋根に上り「何も見えませんね」と言います。
逆に言えば、「何か」を見ようとしているのです。
まるで、クラゲが海を目指すように、狭い世界から広い世界に出ようとするのです。

明るい未来?
海へ向かうクラゲの集団は、ラストシーンの街を歩く(下の世代の)若者たちにオーバーラップします。
ここが非常に解釈が難しい所なんですよ。
私がいま書いているクラゲの文脈で言えば、下の世代の若者たちこそ、大海に出て「未来」を作るのだ!という好意的な物語に見えるのです。
ところが、街を闊歩(行進)する彼らは、空き箱を蹴飛ばしたりする(強盗までした)高校生の集団なのです(なぜか彼らは全員チェ・ゲバラのTシャツを着ている)。
そこに
「アカルイミライ」
というタイトルが重なるのです。
「明るい未来」ではなく、「アカルイミライ」。
不良少年たちを写しながら「アカルイミライ」と言っているようにも見えます。それは決して、好意的に捉えているようには見えません。
さらに言うなら、この映画の中で、クラゲは「真水」に慣らされているんです。
彼らは、海に出たら生きてはいけない。
それは、本当に「行け」のサインでいいのか?
実に難しい。今もってわからん。
当時40歳代後半だった黒沢清の真意はどうだったんだろう?
再生の時代
改めて観て興味深かったのは、登場する職業。
「おしぼり工場」に「廃品回収業」。
どちらも、「生産」でも「消費」でもなく、「再生」を主とする職業なのです。
公開当時、私は「これもまたミライへのキーワードなのだろうか」と記録していたのですが、20余年経った今だから俯瞰して見ることができます。
あの頃、バブル崩壊後「失われた10年(当時)」と言われた時代だったんですよ。
「生産と消費」が中心だった上の世代の終焉。
そして、「再生」の時代でもがく若者たち。
チェ・ゲバラのTシャツは、彼らが起こすべき「未来の革命」という希望の象徴だったのかもしれません。

(2025.11.09 北千住シネマブルースタジオにて再鑑賞 ★★★★☆)

