言語聴覚士として生きる私が、いま伝えたいこと
はじめて、カミングアウトします。
でも、私のことをよく知っている方は、
もしかしたら薄々、気づいていたかもしれません。
この文章を書くのには、正直かなり勇気がいりました。
発達障害という言葉は、いまや珍しいものではなくなりました。
けれど、情報や憶測があふれる今だからこそ、
いろいろな意見や価値観の渦の中に自分が巻き込まれてしまうのではないか——
そんな不安もありました。
だから、これまで私はあえて語らずにきたのだと思います。
けれど今は、同じように生きづらさを抱える誰かに、
少しでも届くならと思って、言葉にすることを選びました。
これをきっかけに、
少しでも同じように生きづらさを感じている人に届けばと思っています。
軽い気持ちで読んでもらってかまいません。
ただ、どうか「笑い話」にはしないでください。
■ 私はADHDです
自分がADHDだと気づいたのは、言語聴覚士の学校に入学してからでした。
「ちょっと不器用だな」とは思っていたけれど、
まさか自分がそうだとは思ってもみませんでした。
今は、コンサータとストラテラという薬を服用しながら、日々を過ごしています。
初めて薬を飲んだ日のことは、今でもはっきりと覚えています。
まるで――長い冬眠からゆっくりと目を覚ましたような感覚でした。
小学生のころ、母によくこう言われていました。
「1学期は“しっかりしていて良い子ですね”って言われるのに、2学期になると“ちょっと抜けてますね”って先生に言われるの、なんでやろうね」と。
ADHDの中でも“よく話すタイプ”の私は、しっかりしているように見られがちです。
でも実際はケアレスミスが多く、思考が飛んだりする。
そんな特性は、大人になっても完全には消えません。
■ 「若いから仕方ない」は、いつか終わる
私がよくしてしまう“具体的なミス”。
いちばん多いのは、数字や文字の見間違いです。
事務作業のように正確さが求められる場面では、
「私の目は節穴かな?」と思うくらい、見間違いによるミスをしてしまいます。
予約の取り間違え、伝え間違え、出勤日を勘違いしてしまうこともあります。
メールで送られてきた面接日時を読み違えて、
当日になって相手から「今日ですよ」と連絡をもらったこともありました。
20代のころは、こういうことが本当に多かったです。
また、忘れ物やなくしものも日常茶飯事。
やろうと思ってメモしていたことを、実際に行動に移せたのが
1年後、5年後――なんてことも珍しくありません。
苦手なことは、書くのが面倒になるくらいたくさんありあます。
このミスを防ごうと、習慣化しようと、作戦を立て実行したことは過去に数えきれないほどあります。
でも、その“習慣化しようと思ったこと”自体を忘れてしまい、
結局、習慣化に至らないまま終わってしまう。
何度も改善しようと試行錯誤を重ね、30代になってからは20代よりだいぶ減りました。
でも、気づけば“ミスを防ぐこと”ばかりに頭がいっぱいになり、
疲れ果てている自分がいました。
24時間、ミスしないことを考えている。
それでもケアレスミスはゼロにならない。
「次はいつミスするんだろう」「また怒られるんじゃないか」――
そんな不安が頭から離れず、
ミスをしていないときでさえ、常に怯えていました。
そして、気づいたら自分のことが大嫌いになっていました。
どれだけ努力しても、
“あたりさわりなく、なんとなく仕事ができる人”にはなれない。
どんなに頑張っても、私という存在そのものを変えることはできない。
身長が低い人に「身長が高い人になれ」と言っても無理なように、
ADHDである私に「ADHDをやめろ」と言われても、それは無理なんです。
この私で生きていくしかない。
なのに、そんな私が組織の中で評価されるのは、
言語聴覚士としてのスキルや患者さんへの思いではなく、
「事務作業が正確か」「そつなく淡々とこなせるか」といった部分ばかり。
つまり、私の不得意な項目だけが評価項目になっていたんです。
「基本的なことができていない人は、それ以外もきっと劣っている」
そう思われているのか、
経験を積むチャンスすら与えられなかったこともありました。
そのとき感じたのは、
“一つの苦手さ”ですべての力がマスキングされてしまう感覚です。
これは、私が支援している人たち――特に吃音(きつおん)の方々から聞く感覚と重なります。
吃音があるだけで、「知的にも劣っているのでは」と誤解される。
以前、舞台『オリーブの種』に関わっていたとき、
吃音当事者の方のインタビューでも同じ話題が挙がっていました。
うまく話せないという“ひとつの特性”だけで、
その人のすべてが判断されてしまう。
それは、悔しくて、どうしようもなくて、腹立たしくて、むなしい。
そんな感覚です。
■ 「合理的配慮」って、本当にあるの?
昔の日本には“職人気質”の人がたくさんいました。
無口だけど腕のいい人、愛嬌があっておしゃべりな店員。
それぞれの特性を生かす余地が、社会にあったと思います。
でも今の時代は、みんなが同じように仕事をこなすことを求められます。
「合理的配慮」という言葉が広まっても、
苦手から完全に逃れることは、まだ難しいのが現実です。
■ 支援の現場から見えること
私は言語聴覚士として、発達特性をもつ子どもたちの支援をしています。
一つでも多くできることを増やすこと――
それも確かに大切な支援のひとつです。
けれど、「訓練・訓練・訓練」と、スキルアップばかりに焦点を当てた支援では、
私のようにどこかで心がパンクしてしまうのです。
なぜなら「訓練する」という行為は、
同時に“今の自分ではだめ”で、“変わらなければならない”と
突きつけられることでもあるからです。
訓練だけに偏った支援では、気づいたときには
「自分が嫌いになっている」――そんなことが起こり得ます。
私が現場でいちばん大切にしているのは、“自分らしさ”です。
セッションや療育を行う目的は、将来その子やその方が社会に適応できるようにすること――
たしかに、それも大切な目標のひとつです。
けれど、私の中ではそれはあくまでサブの目的にすぎません。
私が本当に願っているのは、
その子、その方が今よりももっと“自分らしく生きられるようになること”です。
自分の良さを伸ばし、自由に自己表現し、いきいきと社会の中で輝けるように――。
輝いている自分で社会と混ざり合っていってほしい。
そのためにはまず、自分という存在を客観的に見つめられるようになること、
つまり自己理解を深めることが大切です。
そしてもう一つ、認知機能のいちばんの土台にある情動(気持ち)の成長を支えること。
人の成長には、このような“総合的な支援”が欠かせないと感じています。
だからこそ、私は近年のSNSやネット上で
「訓練方法の情報だけが一人歩きしている現状」に危機感を抱いています。
支援を「やっている感」で終わらせてしまう――
形だけの支援では、逆にその子をその方を苦しめてしまうことにもなるのです。
日本では今、年間500人以上の子ども、2万人以上の人が自ら命を絶っています。
その背景に、発達特性の問題が隠れているともいわれています。
私はこの意見に深く共感します。
基本的に明るい性格の私でさえ、
生きることが嫌になった時期がありました。
だからこそ、これはもう“他人事”ではないのです。
本気で考えなければいけない時代に、私たちは立っています。
小学生、中学生、高校生のお子さんの相談も「ぺらけら」には多く寄せられますが、話を聞いていると、その多くのケースに発達の課題が隠れています。
ちょっと人と違うだけで「おやおや?」と言われ、
劣って見られてしまう――
そんな社会で“生きやすい人”のほうが、むしろ少ないのではないでしょうか。
社会に適応することばかりが求められ、
「自分として生きている実感」を持てない大人が増えている。
それは、本当に“生きている”といえるのでしょうか?
人の発達には、短期間で伸びる部分と、時間をかけてゆっくり育つ部分があります。
そして、そのスピードや得意・不得意の領域は、人によって本当にさまざまです。
研究では、早期の支援や環境の質が、脳の神経回路の形成に大きな影響を与えることが明らかになっています。
「どんなものを食べさせるか」「どんな環境で子育てをしようか」と考えるように、
どんな声かけをするか、どんな関わり方で日々を過ごすか――
と考えること
“かかわり方の質”もまた、発達に深く関わるのです。
なぜなら、人との関わりが、脳神経や発達そのものに直接影響を与えるからです。
つまり、どんな経験を重ねるかによって、脳の“つながり方”は変わっていきます。
よく使う神経経路は強化され、使わない経路は自然に減っていく。
これが、いわゆる「神経の刈り込み」と呼ばれる現象です。
ここでいう“どんな経験”とは、
「どこの園に通っているか」「どんな習い事をしているか」といった環境の条件だけではありません。
日々の何気ないやりとりのひとつひとつも、子どもの脳をつくる大切な経験になります。
たとえば、子どもがおとなに語りかけてきたときに、
大人がどう反応するか――その一瞬の関わりの積み重ねが、
子どもの発達を大きく左右するのです。
たとえば、多動で動いてしまうお子さんに対して、
「じっとしなさい」と注意するのではなく、
上手に座れたときに褒める。
このような関わり方のアドバイスの背景にも、
神経の刈り込みの考え方が根拠としてあります。
多動で動くたびに叱られる経験が積み重なると、
その“叱られる体験”が脳内で強化されてしまいます。
逆に、できたときに褒める経験を積むことで、
「落ち着いて行動する」という神経経路が強化されていくのです。
このように、子どもがどう行動するか・何を話すかだけでなく、
その行動に対して、周りがどう反応するか――
周囲(環境)の動きもとても大切になってきます。
つまり、支援とは「本人への働きかけ」や「本人がどう変わるか」だけが重要なのではありません。
“環境の力”を高めていくことも、支援の中で欠かせない視点なのです。
支援の現場でその“環境の力”の大きさを実感するうちに、
私は、あることに気づきました。
「これは子どもたちだけの話ではない」――と。
発達特性をもつ子どもに環境の調整が必要なように、
ADHDの私にも、環境を整えることが必要だったのです。
そう気づいたときから、
私は自分の生き方を、少しずつ変えはじめました。
■ 自分の環境は、自分でつくる
「会社経営までしているなら、軽度なんでしょ?」と思われるかもしれません。
でも実際のところ、今の社会では会社員として働くほうがADHDにはずっと大変なのかもしれません。
私は、苦手を外注し、得意なことに集中できる環境を自分で作ろうと決心しました。
self“合理的配慮”です。
■ 医学では説明しきれない「つながり」
主治医があるとき、ふとこんなことを言いました。
「え?リウマチになっちゃったの?ADHDとリウマチ、この組み合わせ、多いんだよね」と。
学術的に証明されているかは分かりません。
でも、医療の現場には“肌感”というものがあります。
そして、私の主治医は決して無責任なことを言う方ではありません。
きっと、長い診療の経験の中で、そう感じられるほど似たケースをたくさん見てきたのだろうと思いました。
その言葉を聞いたとき、私は妙に深く納得してしまいました。
思い当たることが、いくつもあったからです。
薬剤師さんからも、かつてこんなことを言われたことがあります。
「自己免疫疾患の人って、自分を責めやすい傾向があるんですよ」と。
ADHDの私は、まさにそうでした。
「またミスした」「また迷惑をかけた」——そんなふうに、自分を責めることを何度も繰り返してきました。
そして、ある日リウマチを発症しました。
この病気は本当に大変です。
発症初期には、携帯電話すら持てなくなりました。
「病は気から」といいますが、
心のケアが行き届かないと、本当に体を壊してしまうのだと痛感しました。
もう一度言います。
因果関係があるかどうかは、分かりませんし、ADHDの全員がリウマチになるとはいいませんが、
けれど——1日15本のタバコを吸うよりも、
心身のストレスのほうが健康を害すると言われるように、
ストレスは確実に人の体に影響を与えるのだと思います。
「人より少しおっちょこちょい」だっただけの私が、
いつの間にか携帯も持てず、歩くことも難しくなってしまった。
薬を飲まなければ生活ができない体に——
そんなふうになってほしくないと、心から思います。
■ だから、私は環境を変える
ADHDを持って生きること、そして30代女性として社会で働くこと。
それはときに、息が詰まるほど難しいです。
どれだけ努力しても苦手なミスはなくならない。
それでも、自分を肯定してあげられる日が来てほしい。
そう願って、私は決めました。
自分の得意を活かせる形を作り、少しでも生きやすい環境を、仕事でもプライベートでも自分で整えていく。
証明するために、私は歩きつづけます。
この文章は、私自身の“等身大の記録”です。
発達特性を持ちながら支援者として働くことは、
ときに矛盾や痛みを伴うこともあります。
だからこそ、私はこの現状を少しでも改善したいと思っています。
そして方法がないわけではありません。
学術の世界では――
このような現実をどうすれば変えられるのか、
多くの研究者たちがすでにさまざまな方法を議論しています。
けれど、その知見はまだ“地上”――
つまり現場や日常の支援の中には、
ほとんど降りてきていないのが現状です。
それが本当にもったいない。
いま語られていることを、もっと現場で、もっと有効に活かしたい。
その思いが、私の活動の原動力になっています。
読んでくださった方が、少しでも「生きづらさを抱えたままでも、生きていい」と思えるきっかけになれば嬉しいです。
