かの夏、御茶ノ水駅近くのベーカリーカフェで
その日、目的の場所へ行くために二度目の乗り換えをして、駅のホームで電車を待っていた。
電車は行ってしまったばかりで、10分弱の待ち時間のあいだ、トートバッグに入れてきた本を開いて文字を追う。単行本で持ち歩くには少し重いのだけど、なんとなくその日の気分に合う気がして持ってきた本だった。
ふと、読んでいた本から目を離し、向かい側のホームに視線を向ける。
わたしと同じように電車を待つ人。
急ぎ足でホームの端から端へ歩く人。
まっすぐ生えているホームの柱。
ぼんやりと眺めていた向かいのホームの景色が、少しずつ記憶の断片と混ざり合い、
いつの間にか、とある別の駅のホームの映像にすり替わる。
朝のラッシュ。狭いホーム。
黄色の電車からオレンジの電車に乗り換える人たち。
10代の最後から20代の真ん中まで、通学のために何度も何度も通り過ぎて見慣れた、
あの駅の光景。
そして記憶はさらに解像度を上げ、
とある夏の、時間と場所にたどり着く。
18歳。浪人生の夏。
居心地の悪い予備校を抜け出し、最寄り駅近くのベーカリーカフェでひとり過ごしていた、
あの時間。
第一志望の大学に、あと一歩というところで届かなくて、高校3年の終わりの春、わたしは浪人をする、という選択をしていた。
「自分の意思」なんてものがどんなものなのかはよく分かっていなくて、今思えば半分以上は父の影響で決めたことだった。
その年の4月から通い始めた御茶ノ水にある予備校は、どこか世間から分断されたような、これまでとは時間の流れ方が違う世界だった。
授業の時は教室の一番前の席に座って講師にやる気をみせ、朝早くから自習室に行き夜遅くまで自習室にこもることが正義とされる場所だった。そこでは、となりの人より一点でも多く点数を取って競争に勝つことが評価されるらしかった。
そのどれもが、わたしにとっては何の意味もなく、くだらないことであるらしいと気づくのに、そんなに時間はかからなかった。
どこか盲信的に講師を信頼し、毎日自習室にこもる同級生のことを、不思議で遠い存在に感じていた。その建物のどこにいても居心地が悪く、少しずつ、わたしの足は予備校に向かなくなっていた。
授業と授業の隙間の時間、お昼休憩の時間、
わたしはよく、駅の近くのベーカリーカフェで時間を過ごした。
別に特別おしゃれでも何でもない、よくあるチェーン店のようなカフェだった。
店にいる客は、同年代くらいの学生が少しと、あとはほとんどサラリーマンやOLなど働いているような人たちばかりだった。
だれもわたしを知らない人たちに囲まれて、当時はまだコーヒーが飲めなかったから、たぶんアイスロイヤルミルクティと、何かのデニッシュを食していた。
模擬試験の点数、志望校のこと
どうしても感じてしまうプレッシャー、
焦燥感。
そんなことが頭の中に浮かぶとき、
カフェの小さな席にひとりで座っているわたしは、心細くて泣きそうな気分になったりした。
心の奥に大切にしまい込んでいる秘密を、打ち明けられる存在がほしい。
一体どうしたら出会えるのだろうかと考えていた。
だけど同時に、こんな記憶もあった。
同じく、ベーカリーカフェで
ひとりぽつんと座っているわたし。
その、たったひとりでいるわたしの心は、
そのひと時、確かにすべてのことから解放されていた。
ほどよく騒然としたカフェの中で、ひとりのわたしはその空間に溶け込んでいて、だけど心の輪郭はさっきまで予備校に居たときよりも、くっきりはっきりとしていた。
耳に入れたイヤホンからは、当時好んで聴いていたアンサリーののびやかな歌声が流れていた。
「みんな同じ、ひとりきりなのだ」
右隣のお姉さんも、
目の前のスーツを着たおじさんも。
ここではみんな、ひとりきり。
なにものでもない。
ただ、たったひとりの自分と居るだけだ。
そこに、優劣や上下関係はない。
そんなふうに思った。
家でも学校でも予備校でもない
何者でもない存在になる、場所と時間。
そういう過ごし方をしたのは、
たぶん、この夏が初めてだった。
どうしてあの夏のことを、
駅のホームで急に思い出したのだろう。
読んでいた本に、大学のキャンパスが出てきたからかもしれない。
あの頃より大人になったわたしは、当時の第一志望ではないけれど無事に大学を卒業し、なぜか大学院まで修了して、なんとか社会人として暮らしている。
自分の意思をもち、心のままに暮らせるようになったのは、ほんのここ最近のこと。
ここに来るまで、何度も何度も
ひとりでカフェに行き、時間を過ごした。
そしてこれからも、何度も何度も
わたしはひとりでカフェに行く。
その店の席に、ひとりで座っているわたし。
その、たったひとりのわたしは、
あの夏、18歳の浪人生のわたしと
まったく同じわたしなのだ。
