『嫌だ』を言うことはわがままじゃない
「ちゃんと、嫌だって言っていい」
まわりの空気を乱さないように。
その場が丸くおさまるように。
そんなふうに考えて、自分の気持ちにフタをすることが、私はずっとクセになっていた。
それはきっと、小さい頃から何度も聞いてきた言葉のせい。
「他人の気持ちを考えなさい」
「みんなと仲良くしなさい」
もちろん、それは大切なこと。
でも、その延長で、気づけば私は「自分の気持ち」よりも“まわりにどう思われるか”を優先するクセを身につけていた。
だから、嫌なことがあっても「まあ、いっか」
納得できなくても、「別に、大したことじゃないし」
そうやって何度も飲み込んで、自分の本当の気持ちを押し込めて輪郭を少しずつぼやかしてきた。
正直に「嫌だ」と言える人を、うらやましいなと思いながら、どこか少し苦手でもあった。
あんなふうにハッキリ言えたら、もっと楽なのかもしれない——そう思う反面、空気を乱してしまうのではと、勝手にヒヤヒヤしてしまう自分がいた。
でもね、気づいたんです。
“我慢して合わせてくれる人”には、無意識のうちに甘えてくる人がいるということに。
「プチドラさんなら大丈夫でしょ」
「どうせ何も言わないんでしょ」
そんなふうに軽く扱われる場面に、何度も出会ってしまった。
そして、ここフランスでは、それがなおさら不利に働く。
この国では、自分の意見をはっきり言うことが前提。
「Non(ノン)」と伝えるのは、拒絶ではなく、自分の意思表示として当然のこと。
あいまいな態度や“察してほしい”は、絶対的に通じない。
黙っていれば「関心がない」「賛成している」と解釈されてしまう。
だから私は、少しずつでも「ちゃんと伝える」練習をしている。
本当は、他人の気持ちを大切にするのと同じくらい、自分の気持ちをちゃんと扱うことも大切。
むしろ、自分の心をおろそかにした優しさって、絶対長くは続かない。
誰かにやさしくしたいなら、まず自分を大切にしてあげること。
無理のないやさしさのほうが、ずっと自然で、強くて、誠実だ。
だから、嫌なことには「嫌だ」と言っていい。
納得できないときには、「それは違う」と返していい。
怒らなくていい。
ただ、丁寧に伝えればいい。
やさしさと我慢は、違う。
穏やかでいることと、声をあげないことも、違う。
今日も私は、自分にそっと言い聞かせる。
「あなたの“嫌だ”は、ちゃんと大事にしていいんだよ」と。
