見出し画像

【残唐五代史演義伝】第四十二回 五頭の龍が揃い、王彦章を討つ

 この日、諸将が歓談しているところへ、使者が駆け込んで告げた。
「一隊の兵馬が到着いたしました。皆、紅旗を翻しております」
 人々が目を凝らして見ると、そこに現れたのは、身の丈九尺、度量大きく、威風凜々、堂々たる二人の英雄であった。
 一人は同台節度使どうだいせつどし郭彦威かくげんい、もう一人は河西節度使かせいせつどし石敬瑭せきけいとうである。
 両将は兵を率い、連れ立って唐に降った。

 二人は潞州王ろしゅうおうの前に進み出て、こう言った。
「我ら、願わくは大王だいおうの先鋒を担い、水賊・王彦章おうげんしょうを討ち取り、唐に仇を報いとうございます」
 潞州王ろしゅうおうはこれを大いに喜び、金帛を与え、両人を都指揮としきに任じた。
 史建唐しけんとうはこれを見て、にわかに言葉を発した。
「いま、郭彦威かくげんい殿・石敬瑭せきけいとう殿の二将を得て、五匹の龍が勢揃いとなった。水賊・王彦章おうげんしょうの命運、すでに尽きた。これで我が大義、必ずや果たせるであろう」

 翌朝、潞州王ろしゅうおうが大帳に昇り、史建唐しけんとうを召して軍議を開こうとしたところ、報告が入った。
「昨夜より、史建唐しけんとう様の行方が知れませぬ。一向に姿が見えませぬ」
 潞州王ろしゅうおうが七将に問うた。
史総兵しそうへいはいずこへ行ったのだ?」
 七将は答えた。
「昨夜、ただちに陣を出て行かれましたが、どこへ向かわれたかは存じ上げませぬ」
 言葉の終わらぬうちに、史建唐しけんとうが喜色を帯びて大寨に帰還した。馬を降り、潞州王ろしゅうおうの前に進み出て奏した。
「臣、昨夜は天象を仰ぎ見ましたところ、西北の方角にて将星が地に落ちるのを見ました。これは王彦章おうげんしょう、命運尽きる兆しにございましょう。
 かねて見定めておりました九十里あまり西の地――『狗家疃くかたん人頭峪じんとうよく』という処は、四方に草木鬱蒼として深く、入ることは容易でも脱出は困難と、まさに埋伏に絶好の地。あの水賊をそこへ誘い込めば、のろが猟犬の元に誘い込まれるが如く、もはや生きては帰るまい。
 すでに七十二座の連珠陣を敷きました。
 軍兵には勝つことを求めず、むしろ敗走を装わせて、彼を狗家疃くかたんまで誘い入れ、五方五帝の陣を以て囲めば、必ずやこの水賊を滅することができましょう」
 潞州王ろしゅうおうは大いに喜び、言った。
「この計、まことに妙計じゃ。すぐに取りかかるのだ!」

 かくして高行周こうこうしゅうを派遣し、先鋒として出陣させ、わざと敗走しながらも王彦章おうげんしょうを罵らせた。
「貴様なぞ李存孝りそんこう様に叩き落とされた、死にぞこないの水賊ではないか!」
 これは王彦章おうげんしょうを怒らせ、狗家疃くかたんへと誘う計略である。

 史建唐しけんとうはただちに五将に命を下し、それぞれに陣の要所を授けた。この五将は『五龍』と称された。

 その名、いずれも後世の帝王である。

 一龍は、直北ちょくほく沙陀さた李晋王りしんのお世子・李存勗りそんきょく。後にりょうを滅ぼし、唐荘宗そうそう皇帝となる。
 一龍は、李晋王りしんおうの養子・李嗣源りしげん。後に唐明宗めいそう皇帝となる。
 一龍は、河西かせい石敬瑭せきけいとう。後に晋高宗しんこうそう皇帝となる。
 一龍は、沙陀さた劉知遠りゅうちえん。後に後漢こうかん高祖こうそ皇帝となる。
 ―一龍は、同台どうだい郭彦威かくげんい。後に後周こうしゅう太祖たいそ皇帝となる。

 史建唐しけんとうは五将に命を与えて指示を下し、それぞれに文書を授け、兵を率いて狗家疃くかたんへ向かわせ、計画に従い行動させた。そして四方に伏兵を設ける策を定めた上で、高行周こうこうしゅうを先に差し向けて敵を挑発させることとした。

 一方そのころ、王彦章おうげんしょうは本陣にて将たちと協議していた。
「いま唐軍は分散して布陣し始めた。誰か出て迎撃する者はおらぬか?」
 そこへ尚譲しょうじょうが進み出て答えた。
「自分が斉克譲せいこくじょう景祥けいしょうの二将と共に、一陣交えて参ります」
 かくて三将はすぐに鎧をまとい、槍を手に取り、馬に跨がって出陣した。

 門旗が翻ると、唐軍より高行周こうこうしゅうが馬を進めて現れた。
 尚譲しょうじょうはこれを見て嘲り笑い、言った。
「唐朝はこんな小僧を将軍とするのか。なんとも情けないことだ。口には乳臭さが残り、頭には産毛が残っているではないか。どうして戦場を任せられようか!」
 そう言い終わるや否や、言葉を交わすことなく、尚譲しょうじょうは槍を構えて高行周こうこうしゅうに突きかかった。
 高行周こうこうしゅうもまた槍を持って応戦し、二人が交戦すること三合に満たぬうちに、高行周こうこうしゅうは怒りを顕わにし、一槍のもとに尚譲しょうじょうを馬下に突き落とした。
 斉克譲せいこくじょうは両手で双刀を振るって斬りかかったが、高行周こうこうしゅうに押し返され、ついには虎掌金錘こしょうきんすいを打ち下ろされて頭を砕かれ、即死した。

 景祥けいしょうは二将の戦死を見て恐れ、戦わずして馬を翻して逃げようとしたが、高行周こうこうしゅうが追いついてこれを一撃、錘で打ち倒して馬から叩き落とした。
 これを見た唐軍は一斉に喝采を上げて口々に言った。
「このような若さにしてこの武勇、まこと世にも稀なる英傑なり!」

 将校が慌てて王彦章おうげんしょうのもとへ駆け寄り、報告した。
「尚譲《しょうじょう》様・斉克譲《せいこくじょう》様の両将軍、出陣したものの、あの若い将に討たれました」
 王彦章おうげんしょうはこれを聞くや否や怒りに震え、自ら槍を手に馬に跨り、陣前に進み出た。
 高行周こうこうしゅうはそれが王彦章おうげんしょうであると知ると、馬上より大喝した。
「水賊め! 下馬して死を受けよ。我が父の血の仇をいまこそ報いる!」
 王彦章おうげんしょうも怒気に満ち、馬を拍って槍を突き出し、高行周こうこうしゅうを刺さんと迫った。
 高行周こうこうしゅうは素早く槍を受けて応戦したが、三合も持たずに馬を翻して逃げ出した。
 王彦章おうげんしょうはこれは誘いの策と見抜き、馬を止めて追わなかった。
 すると高行周こうこうしゅうは振り返って大声で罵った。
李存孝りそんこう様に突き落とされても死なぬような賊め、何ゆえに追って来ぬか!」
 この言葉に王彦章おうげんしょうは激しく憤り、ついに馬を駆って後を追った。
 そのとき、中軍より号砲が轟き、左右に陣が割れて道が開け、一気に王彦章おうげんしょう狗家疃くかたんまで引き入れた。
 その地にはすでに伏兵が配置されており、中央の軍旗がひとたび翻ると、東西南北、四方八面より兵馬が一斉に現れた。

 この時の様子を記した詩がある。

四方人馬紛紛至 八面槍刀列布排
(四方から人馬が続々と集まり、あらゆる方角に槍と刀がずらりと並ぶ)
虎牢関下長蛇陣 九里山前大会垓
虎牢関ころうかんのふもとには長く連なる蛇のような陣列が敷かれ、九里山くりざんの前では大軍勢が一堂に会する)

 このとき史建唐しけんとうは、名将四百五十名を率い、一斉に陣より殺到した。ときの声は天地を震わせ、
「水賊よ、下馬して死を受けよ!」
 と怒号が響いた。

 王彦章おうげんしょうは激怒し、馬を拍って槍を握り、単身陣中に突入する。史建唐しけんとうが槍を一振りすると、諸将が一斉に攻めかかった。激戦は一日中続き、王彦章おうげんしょうは奮戦して将十六名を槍で討ち落とした。
 彼が後ろを振り返ると、味方の兵はなお三千余残っていたが、勇猛な将四人はすでに高行周こうこうしゅうの手にかかって討ち取られていた。

 王彦章おうげんしょうはついに力尽き、西の陣へと突き進んで脱出を図ることとした。しかし、そこには潞州王ろしゅうおう李杰りけつの軍が道を塞いでいた。王彦章おうげんしょう李杰りけつと刃を交わしたが、そのまま中軍を突破し、退却していった。

 逃れた先に高行周こうこうしゅうが控えていた。高行周こうこうしゅうは大声で罵った。
「水賊よ、下馬して縄を受けよ!」
 王彦章おうげんしょうは馬を拍って槍を繰り出し、高行周こうこうしゅうを突き殺そうとしたが、高行周こうこうしゅうはこの攻撃を防いで叫んだ。
「これでも喰らえ!」
 虎掌金錘こしょうきんすいの一撃が王彦章おうげんしょうの胸を撃ち、王彦章おうげんしょうは鞍を抱えて血を吐き、そのまま人頭峪じんとうよくへと退いた。

 その頃には日はすでに暮れていた。王彦章おうげんしょうは逃げる途中、突如として馬ごと転倒してしまった。
 なんとか立ち上がるも、背後から鞭打たれ、またしても倒れた。転げに転げ、夜通し這い続け、ようやく夜明けを迎えた。

 その時、王彦章おうげんしょうは馬上より足下を見て、戦慄した。
 地には無数の人頭が転がり、一丈四方に渡って絡み合うように横たわっている。その道は柏の枝が交差するように生え、道は見えず、抜け道もなかった。
 一晩中転倒を繰り返した王彦章おうげんしょうの体は衰え、肩は垂れ、袖は裂け、もはや武を振るう力は残っていない。手足も慌ただしく、どうにもならなかった。

 王彦章おうげんしょうはようやく人頭峪じんとうよくを抜け、狗家疃くかたんに至った。疲労困憊のうち、まさに命危うしという折、突如として一声の砲音が轟き、五色の号旗が一斉に翻る。

 その旗の陰より五手の軍勢が閃くように出現した。王彦章おうげんしょうは慌てて東の方角に目をやった。
 その先鋒として進み出た一将の姿は、いかにも威風堂々たるものであった。その武装は次のようであった。


 甲冑をまとい、戦袍をひるがえして戦場に立ち、三股の鋼叉を持つ。
 彫刻を施した弓は鸞鳳文様の弓袋に挿し、宝剣は鮫皮の鞘に秘められている。
 霧を束ねたような衣はたなびき、黄金の錦帯が締められ、空を翔ける駿馬を紫の手綱で操る。
 青旗と紅い炎が龍蛇のごとくうねり動き、虎のような軍勢が東を固め、地を震わせている。

 さて、東方の陣がどのようであったか、これを記す詩がある。

一按東方甲乙木 倒馬金戈列擺佈
(東方を押さえる軍勢は甲乙の木の星に応じて布陣し、馬を倒す金戈の列を備える)
手執三股托天叉 短剣傍牌前引路
(三股に分かれた托天叉たくてんさを手に握り、短剣は盾のかたわらに控えて進路を切り開く)

 王彦章おうげんしょうは東よりの攻めを避け、正南の方へと駆け出す。するとまた一軍の将が南より現れた。その姿は次のようであった。

 先陣を切って現れたのは、英雄の将。凛々しさと威風が場の空気を引き締めた。
 魚鱗鎧を身を隙なく覆い、鳳凰の翼を戴く金兜は首筋を固く守る。
 波を衝く戦馬はまるで龍のように躍動し、山を切り開く大斧は弓の様にしなる。
 紅の旗と甲冑は火光のように翻り、その威勢は南方を鎮めんばかりだった。

 さて、南方の陣がどのようであったか、これを記す詩がある。

二按南方丙丁火 紅袍赤馬絳紅纓
(南方を守る軍勢は丙丁の火に応じ、紅の戦袍に赤毛の馬、紅の飾り紐をまとっている)
飛鞭著人頭粉碎 紅錦套索老龍筋
(鞭を振るえば人の頭に命中すれば粉々に砕き、紅錦で編んだ縄は老龍の筋を用いたと伝わる)

 王彦章はさらに西へと逃げようとしたが、また別の一軍、が西方より湧き出でて陣を張る。その将の姿は次のようであった。

 彫刻を施した鞍に跨り玉で飾った手綱の馬が風を切って嘶く。甲冑には花霞の文様が幾重にも重なる。
 豹尾飾りの矢壺には銀の鏃をもつ矢が納められ、飛魚文様の弓袋には鉄胎弓が収められている。
 戦袍の裾には翠の糸でつがいの鳳凰が刺繍され、腰に付けた札の金花には小龍が巧みに嵌め込まれている。
 白旗のもとには猛将たちが続々と湧き出し、西の天門を守るのは兌宮の軍勢である。

 さて、西方の陣がどのようであったか、これを記す詩がある。

三按西方庚辛金 素羅旗下撒寒冰
(西方を守る軍勢は庚辛の気に応じ、白絹の旗のもと寒氷を撒き散らすような気配を放つ)
手提銀簡白如玉 剣征離匣晃光明
(手には銀の札を提げ、その白さは玉のように輝き、剣は鞘を離れて進み、まばゆい光を放つ)

 王彦章おうげんしょう、なおも逃れて北を目指した。すると、北方よりまた一軍が雲を衝いて現れた。その将の装いは次のようであった。

 虎の彫刻を施した鞍に跨り胆気は昂然と高まる。弓を引き絞り矢を構えれば、鬼神すら恐れて慌てふためく。
 朱の紐と銀の覆いが鋼の戟を覆い隠し、刺繍と金の鈴が馬の側面にぴたりと飾られている。
 兜の頂には赤い花飾りが嵌められ、鎧には柳葉を思わせる翠の飾りが施され、巧みに身を覆い隠している。
 黒旗と黒甲は煙雲の中に翻り、北面の天山に陣して坎北の方角を守る。

 さて、北方の陣がどのようであったか、これを記す詩がある。

四按北方壬癸水 悶棍都是黒油漆
(北方を守る軍勢は壬癸の水の気に応じ、黒塗りの棍を備えている)
狼牙鉄槊数千層 雁翎擺開方天戟
狼牙ろうが鉄槊てっさくが幾重にも並び、雁の羽のように展開された陣中で方天戟ほうてんげきが広がる)

 王彦章おうげんしょう、さらに中央へと奔ったが、また一軍がこれを阻んだ。その将の装いは次のようであった。

 熟練の銅鑼の響きに花腔の鼓が入り交じり、隊伍は簇簇ぞくぞく攢攢さんさんと分かれて進む。
 金刀と金斧を帯び、赤土色の戦袍を纏い、見事な刺繍を施された戦襖は葵花のようにひらめく。
 陣の中心に控える二騎の馬は龍のごとく、陣内に立つ二人の武将は虎のごとき猛者である。
 周囲を巡りながら杏黄の旗を中心に据え、中央を守る戊己の気を押さえる。

 中央の陣がどのようであったか、これを記す詩がある。

五按中央戊己土 黄花弓箭脚踏弩
(中央を守る軍勢は戊己の土気に応じ、黄花模様の弓と矢を持ち、足元にはを備える)
人人肩担大桿刀 短剣月様宣花斧
(兵たちは肩に巨大な刀を担ぎ、手にする短剣は月のようで宣花斧せんかふとともに輝く)

 王彦章おうげんしょう、四方を一望すれば、五方の陣は連携して追い迫ってくる。

 陣形は表向き八卦に分かれ、裏では九宮と呼応していた。天地の運行を読み取り、風雲の気配すらも掌握している。
 前後には亀蛇の陣形を敷き、左右には龍虎の勢いを分けて配置している。丙丁の軍は前進し、その勢いはまるで無数の烈火が山を焼き尽くすかのよう。
 壬癸の軍は後を追い、一片の黒雲が大地を覆うように進む。左翼には青い気が渦巻き、右翼には白い光が貫く。金色の霞が中央に広がり、黄道はすべて戊己の気に則っている。
 四方に二十八宿に分けられ、周囲には六十四卦の変化が巡っている。
混戦の中、隊伍は曲がりくねり長蛇のごとく連なり、泰然と静まりかえりながらも、その威容は伏せた虎のように力強い。
 騎兵は一たび動けば一たび攻め、歩兵はときに退きときに前に進む。
 八陣の成功を誇る必要はなく、六韜の兵法で勝ったと豪語するのもむなしい。孔明こうめいが妙計を施し、李靖りせいが神機をめぐらせたようであった。

 王彦章おうげんしょうは五方五帝の陣勢を目の当たりにし、天を仰いで歎いた。
「天は我を滅ぼすか!今日、ついに策に陥った」
 その場から退こうとしたその時、唐軍中軍の戦鼓が鳴り響くいた。
 東南より郭彦威かくげんいが襲来し、南からは劉知遠りゅうちえん、西から石敬瑭せきけいとう、北から李嗣源りしげん、中央からは李存勗りそんきょくが突進してくる。

 彼ら未来の皇帝たちはいずれも名馬を駆っている。
 一人は烏獬豕うかいちに乗り、一人は赤狻猊せきしゅんげいに、一人は黄驃馬こうひょうばに、一人は棗騮駒そうりゅうくに、もう一人は分鬃驥ぶんそうきに跨る。
 その武器もまた五種それぞれに異なり、一人は托天叉たくてんさを、一人は倒馬㮶とうばさくを、一人は安漢刀あんかんとうを、一人は画桿戟がかんげきを、もう一人は金蘸斧きんさんふを振るう。

 未来の皇帝たちは同時に王彦章おうげんしょうを包囲して攻めかかった。王彦章おうげんしょう、包囲されて退く道もなく、自らの力では抗し難いと悟った。
 まさに、五匹の赤龍が、一頭の白虎に群がり戦っているようであった。

 王彦章おうげんしょうは力尽き、気も尽き、天を仰いで大声に叫び、ついに剣を抜いて自らの首を斬り落とし果てた。

 このような詩がある。

鶏宝山前戦二秋 彦章自刎大梁愁
(鶏宝山の前にて、二年間に渡って戦を繰り広げた王彦章おうげんしょうは自ら首を刎ね、大梁は深い愁いに沈んだ)
建唐妙算人難及 先勝梁兵第一籌
史建唐しけんとうの妙計は、人の及ぶところではない。梁軍を先んじて破ったのは、まさに第一の勝利の策であった)


 明代の学者・李卓吾りたくごは語る。
 王彦章おうげんしょう、鶏宝山に兵を屯して二年、百戦百勝し、三軍に冠たる勇を示した。大梁においては最も頼みとする柱石の将であった。されど、史建唐しけんとうが五皇の兵将を以て五方を押さえ、計をもって追い詰めたため、王彦章おうげんしょう狗家疃くかたんにて自刎して果てた。
 史建唐しけんとうの智謀は唐軍に並ぶ者がなかった。


いいなと思ったら応援しよう!