見出し画像

よけろ

何年か前の夏、和歌山の沖にある小島に一人で行った。

その日、その島に訪れた好事家は僕だけだったようで、
集落を離れて山道を歩くともう誰ともすれ違わなかった。


日が傾きかけ、そろそろ船が島に着く時間になった。
僕は急いで山を降りていた。
すると突然後ろから、

「よけろ!」

と声をかけられた。
思わず身体がびくっとなってしまうくらい大きな声だ。

僕は振り向いた。

誰もいない。暮れなずむ山道があるだけだ。

確かに太い男の声だった。

また前を向くと、

「いまだ、よけろ!」

とまた声がした。
さっきよりも大きな声だ。
再び振り向いたが、やはり誰もいない。

いや、いた。
ではない。
あった。

道の脇に、小さなお地蔵様が立っていた。
それは苔だらけで、
周囲の石に溶け込んでいたせいか歩いている時は気がつかなかった。

僕はお地蔵様をじっと見た。
お地蔵様は何も言わない。

僕はそのまま前を向き、
歩調を崩さないように気をつけて歩いた。
100メートルほど下った時、

「よけろ」

と小さな声が聞こえた。
さっきのお地蔵様があった辺りからだ。

僕はその声を無視し、船着場に向かった。
到着してすぐに船が来た。
僕はそれに乗り、島を離れた。

僕は小さくなっていく島を見ながら首をひねった。

一体何から「よけろ」なのか。
僕は「よける」ことができていたのか。
もし「よける」ことができていなかったら、
僕はどうなっていたのか。

島がどんどん小さくなり、見えなくなった頃、和歌山の港に着いた。


いいなと思ったら応援しよう!