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黒い絵 その2

「ご飯もあまり食べなくなって痩せていったんです。
でも、無理に食べさせようとしても暴れて手に負えないらしくて」

落ち着かせるすべは一つ。
紙とクレヨンを与えることだ。
活発な女の子だったのに、
ほとんど何も話さなくなった。
Wさん夫婦もストレスで痩せ細った。
夫婦仲も険悪になりつつあった。
診療内科医も首をかしげるばかりだった。


ある日、T実ちゃんははたと黒クレヨンを置いた。
もう何十本使ったのかわからない。
リビングには黒く塗り潰された紙が散乱していた。
T実ちゃんはぼんやりと何か考えているようだったが、
しばらくして今度は灰色のクレヨンを手に取った。
そして熱心に、
紙を灰色で塗り潰しはじめた。

「見かねた奥さんが聞いたらしいんですね。
 “T実ちゃん、それ、何の絵?”って。すると」

T実ちゃんはゆっくりと奥さんを見た。
しかし、その目は奥さんをとらえてはいなかった。
どこか遠くを見ていた。

というよりも、生命感がなかった。
スーパーに並んでいる、
ラップをかけられた魚を思わせる目だった。
奥さんは戦慄した。

「T実!」

思わず声を荒げていた。

「やめなさい!」

奥さんはT実ちゃんの手からクレヨンをひったくった。
するとT実ちゃんは、
今までのものとは比べ物にならない凄まじい声を上げた。

「ぐいゆるうあ! げあああ‼」

人間の声帯から出る声とは思えなかった。
奥さんがクレヨンを渡すまで、
T実ちゃんは声を上げ続けた。


それから何日か、
T実ちゃんは灰色で紙を塗り潰した。
Wさん夫婦は知人のつてを頼ったり、
様々な病院を渡り歩いてT実ちゃんのことを調べた。
似た症状はいくつかあったが、
だからと言って特効薬があるわけではない。
言いようがない症例なのかもしれないが、
医者の見解にも納得がいかなかった。

「夫婦の意見もちぐはくになってて。
もう二人とも、ダメかもしれないな、
って思ってたらしいですね」


ある日。
T実ちゃんは昼寝をしていた。
寝ている時は静かなのだ。

ふと気付いた。
T実ちゃんが仰向けで寝ているリビングには、
珍しく塗り潰された紙が散乱していない。
T実ちゃんが今まさに手がけている一枚があるだけだ。
黒く塗られた紙と一緒に、
灰色の紙も部屋の隅で束ねられている。
目に付かない場所にしまおうとするとT実ちゃんが暴れるのだ。
その頃のT実ちゃんは怒ると唸り声を上げるようになっていた。
疲れ切った頭で奥さんは、
束ねられた灰色の紙を見ていた。

「わたしにも経験あるんですけど。
えらく疲れてる時って、普段じゃ働かない回路が動くんですよね」

奥さんの脳に電流が流れた。
考えもつかなかったアイデアだ。


ちょうどその頃。
外回りをしていたWさんは、
後ろから腕を掴まれた。
振り向くと、初老の男が立っていた。
知っている顔だ。
その辺りではちょっと有名な、
路上で手相を見ている占い師だ。

「――あなた。大変なことになりますよ」

占い師はきつい目でWさんを睨み、そう言った。
<つづく>



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