円環の淵で その1
今は優秀なデザイナーであるS君。
東京で事務所をかまえ、個人でがんばっている。
企業名は出せないが、
懇意にしているお得意先の名前を聞いて僕はびっくりした。
そんなすごいところの仕事をしているんだ、と。
彼とはもう十年くらい前、同じ事務所で働いていた。
大阪での話だ。
一身上の都合で大阪にいることができなくなり、
彼は二十五歳で単身東京に居を移した。
「とりあえず大阪から逃げたかったし。あと、
やっぱり大阪と比べたら東京はデザインの仕事の量も質も違うしね」
多少の夢を抱いて東京に出たS君。
しかし、最初に入った会社で猛烈なしごきにあった。
「もう、僕の仕事なんかろくに見てくれないんです。
ほとんど見ずに、全然デザインになってない、の一言で」
あとで知ったことだが、
その会社はデザイン事務所として有名なのだが、
また新人を潰すことでも有名らしかった。
それでもS君はガンコにチャレンジし続けた。
しかし、だめ出しの嵐はやまなかった。
それでも彼は二年間、その会社でがんばった。
「きっと誰もがそんな時間を経験するんだろうけど。
それにしても、辛い辛い、ほんとに辛い時間でした」
ある冬のこと。
徹夜が続いた時があった。
二週間会社に泊まりこみ、
そのうちの半分くらいが徹夜だった。
仕事はクレーム処理だ。
自分がまったく関与していない仕事で発生したクレームだった。
「関係ないとか言って逃げる気か。
会社の仕事は全部自分の仕事だと思え。そう上司に言われました」
なんとか自分が受け持っている量を終え、S君は家路に着いた。
S君はほとほと疲れ果てていた。
鬱の一歩手前にいることを自覚していた。
「一番痛くない死に方ってどんなのだろ? って。
いつもそんなこと考えるようになってたんです」
心療内科にかかる、というのはいやだったらしい。
とても暗いイメージがあったという。
ある休日の夜。
明日からの仕事に憂鬱さを感じながら、S君は飲み歩いていた。
とはいえいくらか気分もよくなったので、
駅から自宅までを自転車を使わず、ふらふら歩くことにした。
「酔っていたので、後ろからつけられてることに気付きませんでした」
急に両肩を掴まれた。
S君はびっくりしたものの、半ば朦朧としていて頭が働かない。
あっと言う間に上着を剥ぎ取られた。
S君は振り向いた。
剥ぎ取ったのは、ひょろひょろに痩せたホームレスだった。
その男はS君の上着を手に猛然と走り出した。
<つづく>
