姿見 その2
それまでにも何度か金縛りの経験はあったが、
その時の金縛りは過去最高にきつかった。
「胸を強く上から押されているような感覚でした」
そして耳元では自分の荒い息遣いがうるさく聞こえている。
「あれ? って思いました。え、耳元? って」
激しい息遣いは、耳のすぐそばで聞こえている。
これは自分のものではない。
そう思った瞬間、Uさんは総毛だった。
はあはあはあはあはあはあ。
ずっと聞こえている。
少し意識してみると、自分の呼吸とはリズムが全然違う。
「何でか急に、自分を誤魔化すのはやめよう、って思ったんです」
絶対に何かがおかしい。
Uさんは力を振り絞って、ベッドから上半身を起こした。
荒い息遣いはぱたりとやんだ。
少し緊張していたが、Uさんは落ち着いていた。
そして蛍光灯を点けると姿見に近づき、
様子を仔細に点検した。
と、それまで気付かなかったが、
木枠のふちと鏡の隙間が、
天地と左右が均等ではないのだ。
下はかみそりの入り込む隙間もないほどぴったりとはまっているが、
上には五ミリくらいの隙間がある。
左右もそんな感じだ。
「その鏡は一度、枠から外されたんだな、ってすぐわかりましたね」
最近、自分の体調はあきらかにおかしい。
自分を守れるのは自分だけだ。
心にそう言い聞かせ、
Uさんはマイナスドライバーを鏡と木枠の隙間にこじ入れた。
鏡はあっけなく枠から外れた。
ゆっくりと鏡が倒れてきたので、
Uさんはあわててマイナスドライバーを捨て、
全身で鏡を受け止めた。
自動的にUさんの目は、鏡の背面部に隠されていた、
化粧を施されていない無垢の木地面に吸い寄せられた。
もちろんその面は、
鏡がはまっていた状態では見ることができなかった。
「引っ掻いたような爪跡が、無数についていたんです」
爪と爪の間隔は二センチくらい。
深いところで五ミリほど木がえぐれている。
所々に血がにじんでいる。
なんの爪跡なのかはわからない。
しかしそれは人間を思わせるサイズだった。
「左手でつけられたものと右手でつけられたもの。
区別がはっきりとついたんです。……でも不思議なのが」
右手の爪跡だけに、小指部分がなかった。
見ているだけで、
Uさんの体はおこりのようにがたがた震えた。
そしてさらにUさんは目を凝らした。
よく見ると、細いシャープペンシルで文字が書かれていた。
“ごめんなさいごめんなさいゆるしてくださいここから出してくださいもうしませんごめんなさいお願い出して許してもうしませんごめんなさい痛い痛い痛い許して出してください助けてください痛い痛い痛いもうしません痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛殺”
そんな呪文のような文が、
板一面にちりばめられていた。
朝を待たず、Uさんはもとあった場所に鏡を捨てに行った。
もちろんブルーシートに包むことは忘れなかった。
「想いがこもったままで捨てられたものも多いのかな、って思って」
遅まきながら、その一件からUさんの拾い癖は治った。
