エッセイ|ひとり旅好きのわたしが、友人と1週間ヨーロッパ旅行して気づいたこと
わたしは、ひとり旅が好きだ。
ワーキングホリデーでカナダ、フランス、イギリスに暮らしながら、気づけば“ひとりでどこでも行ける人”になっていた。
ひとり映画、ひとり焼肉、ひとりカラオケ。
なんなら、ひとりUSJまで経験済みである(笑)
誰かに予定を合わせなくていい。
疲れたら休めるし、行き先だって気分で変えられる。
ひとりは自由だ。
自由で、気楽で、静かで。
たぶんわたしにとって、いちばん自然な過ごし方だ。
だから、“1週間、友人と旅をする”と決まった時、少しだけ身構えた。
楽しみな気持ちがなかったわけじゃない。
でもそれ以上に、
“ずっと誰かと一緒にいる”
という状況に、ほんの少し緊張していた。
ひとり旅に慣れすぎた人間にとって、誰かと旅することは、案外小さな冒険なのだ。
何気ない一言から、旅は始まった
誰かと旅行に出たことがないわけではない。
むしろ、それはそれで楽しいことも知っている。
でも、わたしにとって“1週間の旅”は少し長すぎる。
気づけば、いろんな国で“暮らす”ことには慣れていた。
けれど、“旅としてどこかへ行く”となると話は別で、
だいたい2泊3日くらいがちょうどいい。
自分の家ではない場所で眠ることは、思っている以上に体力を使う。
そして旅は決まって、予定を詰め込みすぎる。
あれもこれもと欲張った結果、最後には少し疲れた顔で空港に向かうことになる。
アラサーになってから、その疲れはよりはっきりと感じるようになった(笑)
だからいつの間にか、
「旅行は2泊3日がベスト」
という、自分なりの答えができていた。
そんなわたしが、なぜ1週間友人と旅に行くことになったのか。
きっかけは、本当に些細なメッセージだった。
「ポルトガル行ったことある?」
ヨーロッパに住み始めて2年。
ポルトガルはずっと行きたい場所リストの上位にあったのに、なぜかまだ行けていなかった国だった。
だから、深く考えずに返した。
「まだ行ってないけど、一緒に行きます?」
たぶんこの時点では、まだ現実味がなかったと思う。
ただの雑談の延長のような、軽い一言だった。
相手は、いわゆる友人というより、元職場の先輩だ。
同じ部署に同世代はほとんどおらず、
周りはお局さんか、若いアルバイトの子たちばかりだった。
その中で、自然と距離が近くなった人。
そういえば、一緒に働いていた時も一緒に屋久島へ行ったことがあり、“一緒にどこかへ何日間か行く”フェーズはクリアしていた。
だから不思議と、今回の旅にも大きな抵抗はなかった。
こうして、先輩であり友人でもあるMさんとの、
ポルトガル、そしてスペインを巡る1週間の旅が決まった。
リスボンで2年ぶりの再会を果たす
なんだかんだで、2年ぶりの再会だった。
彼女は日本から、わたしはロンドンから。
それぞれ違う場所から飛行機に乗って、リスボンの宿で合流した。
そこから始まったのは、1週間の“合同合宿”のような旅だった。
会ってしまえば、不思議なくらい自然だった。
2年も顔を合わせてなかったとは思えないほど、普通に話した。
ひとり旅の時のわたしは、いつも頭の中で独り言を繰り返している。
景色を見て、何かを感じても、それを誰かに渡す相手はいない。
ただ、心の中で完結していく旅。
でも今回は違った。
横に誰かがいるだけで、世界の輪郭が少し変わる。
「お腹すいた」
「これ美味しいね」
そんな他愛もない言葉でさえ、ちゃんと“会話”になる。
ひとりの時なら独り言だったものが、
ふたりになるだけで、ただの風景に意味が生まれていく。
あと、何よりよかったのは、ふとした瞬間に笑えることだった。
ひとり旅では、笑いそうになる瞬間を何度も飲み込んできた。
変なタイミングで笑ってしまわないように、少しだけ表情を整える。
でも今回は、我慢する必要がなかった。
同じタイミングで、同じことで笑える人がいる。
それだけで、こんなにも旅の空気はやわらかくなるのかと思った。
ひとり旅ではできなかった当たり前のことが、
今回はすべて自然に許されていた。
それが、このふたり旅で最初に気づいたことだった。
行くか行かないかのあいだで
意見が食い違うことも時にある。
リスボン滞在中、わたし達はシントラという世界遺産のエリアへ向かった。
その帰り道、Mさんがふと「せっかくだし、最西端まで夕陽を見に行かない?」と言った。
ポルトガルの最西端ロカ岬。
名前は聞いたことがあるし、本当は行けたら行きたい場所でもあった。
でも、その時すでに17時を過ぎていた。
そこまではタクシーで30分ほど。バスならさらに時間がかかる。
そこからリスボンに戻るとなると、夜遅くになるのは確実だった。
頭の中で、静かに予定を組み立てる。
疲れた体。
移動時間。
翌日のこと。
そして、なによりその時のわたしは、
頭痛と胃の重さで正直かなりコンディションが悪かった(笑)
行きたい気持ちと、行きたくない気持ちが、同じ場所でぶつかっていた。
そんな中で、彼女が言った。
「もうこの地には来ないと思うから」
その言葉は、少しだけ胸に残った。
確かに、そうかもしれない。
でもわたしはその時、うまく“行く”とも“行かない”とも言えなかった。
結果的に、少しだけ乗り気ではない空気を出してしまい、
その話は自然と流れることになった。
申し訳なさと、少しの安堵を抱えたまま、宿へ向かう。
ひとり旅なら、こういう時もっと単純だ。
行きたいなら行くし、やめたければやめる。
すべての選択の責任は、自分だけにある。
でも誰かと旅をしていると、
その“自由さ”はそのまま誰かの判断にも影響してしまう。
自由であることと、誰かと一緒にいること。
その間にある小さな揺れを、初めてちゃんと感じた瞬間だった。
別行動という、ちいさな自由
そんなこともあってか、旅の途中でわたし達は何度か別行動をした。
リスボン滞在中、わたしにはどうしても行きたかった美術館があった。
でも彼女はそこまで興味がない様子だった。
1日の予定がひと通り終わった夜、ふとわたしはMさんに言った。
「今日、美術館まだ開いてるので、ちょっと行ってきますね」
彼女はそれを当たり前のように受け止めて、
「いってらっしゃい」と軽く送り出してくれた。
その一言が、少しだけ嬉しかった。
別の日、ポルトに移動した時には、ポートワインのワイナリーに行きたかった。
けれど彼女はあまりお酒が強くない。
無理に付き合わせる理由もなかった。
だからその日も、自然と別行動になった。
ワイナリー見学と、ポートワインの試飲。
気になっていた場所をひとりで巡る時間だった。
その時ふと気づいたのは、
“どちらもひとりで来ているのは自分だけ”だったこと(笑)
でも不思議と、寂しさはなかった。
ひとり旅には慣れているし、ひとりで行動することはむしろ日常に近い。
むしろその時間は、
誰かに合わせない“余白”のようなものだった。
一緒にいることと、離れること。
そのどちらも無理なく選べる旅は、思っていたよりずっと心地よかった。
ホテルを選ばないという選択
誰かと旅行に行くとき、必ずと言っていいほど出てくるのが宿問題だ。
そしてこれが、わたしにとってはかなり大きなハードルになる。
ふたりでの旅行なら、多くの人はホテルを選ぶだろう。
高くても、安くても、とりあえずホテル。
でも、わたしはそれが少し苦手だ。
ホテルの部屋はいつも、思っているより狭い。
ツインルームであっても、ベッド同士の距離は驚くほど近い。
その近さが、どうしても落ち着かない。
わたしは、誰かと同じ空間で眠ることが少しだけ苦手だ。
それがたとえ、気を許した相手であっても。
理由ははっきりしている。
わたしは、たまにいびきをかく。
大きな音ではないし、毎回でもない。
でもそれは、いびき計測アプリによって“事実”として確認されてしまった(笑)
だからこそ、思ってしまう。
もし自分のいびきで相手を起こしてしまったらどうしよう、と。
でも同時に逆のことも気になる。
わたし自身、音にとても敏感だ。
ほんの小さな物音でも、眠れなくなってしまうことがある。
そんな矛盾を抱えたまま辿り着いた答えが、ホステルだった。
え、うるさそうじゃんと思う気持ちは、わかっている(笑)
でもわたしにとっては、
「ふたりきりで音に気を遣い続ける空間」よりも、
「音が混ざってしまう前提の空間」のほうが、ずっと楽だった。
自分の音も、誰かの音も、全部“背景”になる場所。
それが心地よい。
ということで、リスボンとスペイン・サンセバスティアンではホステルを選んだ。
もちろん、夜遅くに帰ってくる足音や、早朝に出ていく気配で目が覚めることもある。
でもそれはわたしではない“誰か”の生活だ。
そう思うと、不思議と気にならなかった。
知らない誰かへ、小さく「うるさいなぁ」と心の中でつぶやきながら、また眠る。
その一方で、ポルトでは少し違う選択をした。
いわば折衷案として、Airbnbのアパートタイプを選んだ。
そこは完全な貸切で、他の誰かはいない。
静かで、キッチンもあって、生活の延長のような空間だった。
ベッドは1階のリビングとロフトに分かれていて、物理的な距離もちゃんとあった。
その距離感が、ちょうどよかった。
ここなら、ふたりでも無理がない。
そう思えた宿だった。
何も話さない時間の安心感
わたしは、そんなにおしゃべりなタイプではない。
話そうと思えば話せるし、会話が嫌いなわけでもない。
でも、次から次へと話題が湧いてくるようなタイプでもない。
だから、1週間も誰かと一緒に行動していると、どこかでふっと会話が途切れる瞬間がやってくる。
それは気まずさというより、ただの“間”のようなものだ。
特に疲れている日は、その“間”が少しだけ長くなる。
言葉を探す気力すらなくて、ただ静かに並んで歩くだけの時間になることもある。
中には、そういう無言の時間が苦手な人もいると思う。
何か話さなきゃ、とか、空気を埋めなきゃ、とか。
そう思ってしまう瞬間もあるのかもしれない。
でも今回の旅では、その沈黙を無理に埋める必要がなかった。
ただ隣にいて、それぞれ別のことを考えている時間があっても、
それで関係が壊れることはなかったし、むしろ心地よかった。
無言が気まずさではなく、“自然な状態”としてそこにあった。
それはわたしにとって、少し意外で、少し安心できる発見だった。
旅の終わりに残ったもの
こうして、ポルトガルとスペインを巡った1週間の旅は終わった。
スペイン・サンセバスティアンの地をふたり旅の最後に、
彼女はバルセロナへ、わたしはビルバオへ向かった。
そこからそれぞれ、少しだけひとり旅に戻る時間があった。
旅の熱をゆっくり冷ましていくような、静かな数日だった。
ふとスマホのアルバムを開く。
そこには、いつものひとり旅ではほとんど残らない“わたしの姿”があった。
誰かに撮ってもらった写真。
誰かと一緒に写っている写真。
お互いに撮り合った、少しぎこちない笑顔。
それだけで、この旅がひとり旅とは違うものだったとわかる。
ひとりが好きでも、誰かと過ごす時間が嫌いなわけじゃない。
むしろ、ひとりでいる時間があるからこそ、
誰かといる時間のあたたかさに気づけるのかもしれない。
そんな当たり前のことを、
お別れのバスの窓の外を見ながら、ぼんやりと思った。
ひとり旅が好き。
でも、誰かとの旅も悪くない。
その少しだけやわらかい実感が、
今回のふたり旅のいちばんの余韻だった。
Mさんとの関係はこれからも変わらないだろう。
また数年後にわたし達は再会して一緒に旅をするのかもしれない。
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