『ナボコフの文学講義』
ナボコフって、だれ?
って人も『ロリータ』は知ってるよね。
『ロリータ』を書いた人が、ナボコフ。
ロシア(当時はソ連)から米国に亡命。
小説を執筆するかたわら、
大学でロシアとヨーロッパの文学を講じる。
そのときの講義録を本にしたもの。
ロシア人は誰でも知っているが、
ドストエフスキーの文章は、
極めて稚拙だ。
なんて、
ナボコフさんでなきゃ言えない。
講義録のなかでも
ケメコが特に面白いと思ふのは、
カフカの『変身』講義。
日本では『変身』が一般的。
だけど、正確には『変態』。
パンツの仮面被ったりする方ぢゃなくて、
昆虫の。
なぜこの講義を面白いと思ふのか。
それは、
カフカを解説しているようでいて、
実は「読書とは何か」を語っているから。
しかも語っているのが、
小説家であり、
蝶の研究者。
文学者と昆虫学者が同じ頭の中に住んでいた人。
その結果、
たぶん世界で一番変態的に細かい『変身』論が生まれた。
普通、
『変身』を読むとさ。
グレゴール・ザムザは何の象徴なのか。
父親との葛藤か。
資本主義社会への批判か。
疎外された近代人か。
そんな話になる。
でもナボコフは違う。
まず最初に言う。
ちょっと待て。
その虫は何の虫なんだ?
いやそこ?
ってなる。
そして、詳細なイラストを描く。

さかなクンならぬ昆虫クン。
普通の文学者なら象徴論に行く。
でもナボコフは蝶の標本箱を開き始める。
まず、
グレゴール=ゴキブリ説
を全力で否定する。
だって形が違うから。
ゴキブリは平たい。
でもグレゴールは丸い。
ゴキブリの脚は大きい。
でもグレゴールの脚は小さい。
だから違う。
以上。
文学研究者が何十年も議論していたことを、
昆虫学者が5分で終わらせる。
ちょっと笑う。
で、
ナボコフがたどり着いた結論。
グレゴールは甲虫。
しかも巨大な甲虫。
背中には硬い鞘翅がある。
その下には飛翔用の薄い翅が折りたたまれている。
つまり、
飛べる。
飛べる虫なんだよ。
ここ、
めちゃくちゃ重要。
だってグレゴール本人は、
最後までそれに気づかない。
自分に翅があることを知らない。
そのまま死ぬ。
ナボコフはこの指摘を、
学生たちに向かって
「一生覚えておきなさい」
みたいな感じで語る。
そして言う。
世の中には、
自分に翅があることを知らない人がいる。
なんなら、
ほとんどの人がそうだ
って。
ケメコ、
これ読んだとき鳥肌立った。
ナボコフって、
カフカを読んでるようでいて、
実は人生を読んでるんだよね。
さらに面白いのが、
彼が象徴解釈をめちゃくちゃ嫌うこと。
精神分析とか。
宗教解釈とか。
父親の象徴だとか。
救済の寓話だとか。
全部ぶった斬る。
容赦ない。
ナボコフの有名な言葉に、
「私は虫に興味があるのであって、
ペテンには興味がない」
強い。
強すぎる。
フロイト派が聞いたら泣く。
でも、
ケメコはちょっと分かるんだよね。
文学って、
何かの記号として消費される瞬間に、
生きた手触りを失うことがある。
たとえば『変身』を
資本主義批判です
だけで終わらせたら、
あの気持ち悪い脚も
ベッドの上でもがく身体も
ドアの向こうから聞こえる家族の声も
全部消えてしまう。
ナボコフが守りたかったのは、
そういう生々しい現実なんだと思ふ。
だから彼は学生に言う。
細部を愛せ。
細部を撫でろ。
まず見ろ。
ちゃんと見ろ。
象徴を語る前に
解釈する前に
世界を観察しろ。
昆虫学者らしい。
そしてナボコフは、
『変身』の構造そのものにも異常な執着を見せる。
3部構成。
3つのドア。
3人家族。
3人の下宿人。
3通の手紙。
作品の中に、
ひたすら「3」が反復される。
偶然じゃない。
緻密に設計された建築物。
ナボコフはそこに、
数学みたいな美しさを見る。
カフカって不条理作家だと思われがちだけど、
実際には異常なくらい計算高い作家だったんだよね。
あと、
ナボコフが一番残酷だと思ったのは、
家族についての分析。
普通、
グレゴールは可哀想。
家族は冷酷。
そう読む。
でもナボコフはもっと嫌なものを見る。
グレゴールが衰弱するほど、
家族は元気になる。
働き始める。
笑うようになる。
未来を語るようになる。
特に妹のグレーテ。
最後には春の光の中で、
若い動物みたいに生命力を放ち始める。
グレゴールが死んだ瞬間に。
救いがない。
でも妙にリアル。
人間って案外そういう生き物だから。
そしてケメコは思ふ。
ナボコフが本当に感動していたのは、
グレゴールではなく、
孤独な才能
そのものだったんじゃないかって。
周囲の人たちは、
人間の姿をしている。
でも魂は虫みたい。
一方で、
虫になったグレゴールだけが、
音楽に涙する。
愛することができる。
美を理解できる。
つまり、
人間らしい。
ここが皮肉なんだよね。
人間の姿をした虫たちの中で、
虫の姿になった人間だけが、
最後まで人間性を失わない。
だからナボコフの『変身』論は、
単なる小説の解説じゃない。
読書論でもあるし、
人生論でもある。
象徴を探すな。
まず見ろ。
細部を見ろ。
世界を見ろ。
そして、
自分の背中に翅があるかもしれないことを忘れるな。
そんな話。
ケメコは『変身』そのものも好きだけど、
『変身』を読んだときより、
ナボコフが『変身』を語るのを読んだときの方が衝撃だった。
なぜなら彼は、
グレゴールの背中に隠れていた翅を発見しただけじゃない。
読者の背中にも、
同じ翅があることを教えてくれたから。
そしてたぶん。
文学の本当の仕事って、
そういうことなんだと思ふ。
