めちゃくちゃに悔しすぎて気が狂う、くるっている
最近は思ったようにいかない。
打ち込みが主体の音楽はもういいかな、と思った。
マウスをポチポチするのに飽きたというか、大学に入って世界が広がったおかげで他の無限の楽しさを見つけた。
記譜の難しさと奥深さ、圧倒的な演奏の持つ力、観客を含めた空気感。
演奏こそが人間の音楽の本質であるとやはり思う。ライヴやコンサートに行ったりそれを映像として観たりするだけでも鳥肌が立つ。そこに圧倒的なグルーヴがある。やはり生演奏はあまりにも素晴らしい。
「DTM(音源打ち込み)は課金ゲー」というけど、確かにこれはそうだと思う。
でも、だからもうやりたくない。お金を払えば誰でも同じことができるということだから。ブランド品を持っても何も嬉しくないのと似ている。
過去に20万円くらい使ったのだろうか、即戦力な音もたくさんあった。しかしどれも結局は音色を選択して音を出して加工する、という作業は全く同じなわけで、お金を出せば出すだけこれのサイクルが続いていくのかと思ったらアホらしくなってしまった。
それなら、とDAWのプリセット音源だけで作りもした。
(↑バッキングギターは自分で弾いている)
が、結局これもやっていることは当然だけど有料音源と全く同じプロセスなわけで、音を選んでMIDIを鳴らす、というだけだった。追加料金を払うか払わないかだけの違い。
最近だとAce studioなんかでたとえばヴァイオリンのアーティキュレーションをMIDIベタ打ちのみでいい感じにしてくれる機能があったり、そもそも言葉だけで指示し一切音楽的なことはせずとも曲ができる。
それはちっとも面白くもなんともない。それを楽しいと思う人がいるなら否定もしないが、全く興味がないので俺は使わない。
それを作った人の心の内側。
熱意、後悔、怒り、涙、やるせなさ、願い、思想、人生が見えないものに、何の意味があるのだろうか。ないだろう。
AI生成は音楽をしているとは言えず、「それを心から望んではいないが、仕方ないから手軽なスマホゲームで我慢しそこに脳汁が出ている」状態と同じ。
「本当は他のことがしたいと思っているのに、それを見たいと願っているわけではないのに、ついショート動画を見てしまう」のと同じ。
そこに一切の奥深さも本質もないだろう。
日経に書いてあったけど、AIがショートドラマを作り続けてそれを見て楽しむ人がいるらしい。
一部の人だろうけど、最悪な世の中になってきたなと思った。
そのうち脳に直接快楽チューブを繋いで動かなくなっていくのだろうなぁ。
それが心の底から本当に楽しくて楽しくて圧倒的な充足感を覚えて人生の満足度の貢献になるならいいけど、ただ暇だからとかいう理由でやるのは賛同しない。
その時間の積み重ねで、その先に一体何があるのか。何もないでしょ。
なぜここまで言うかというと自分自身が人生の無駄遣いをしてきて悔やんでも悔やみきれないから。だからきっとこれは自分に向けて言っている。
幸せなことに今は人生の意味を見つけたからだとも思う。
これまで(前の大学を中退するあたりまで?)は、何も考えずに今が楽しければいいだろうといったような気持ちで生きてきていた。そもそも小5~中3くらいまで精神を病んでいたから現在、過去、未来、といったことが頭に存在していなかったけども。
本当にしっかり突き詰めて考えるようになったのは今の音大に入ってからだと思う。
楽器を幼少期からやってきている人は特にそうだけれど、「一つの物事をここまで圧倒的に深く突き詰めて、でも全くそれに満足することなく常に追い求め続ける人」というのがやっぱりいて(全員がそうではないし、一つしかできない残念な人もいる)、そういう周囲の環境に触れていると、先生方と話していると、意識が明らかに変わってくる。
同時に自分のあまりの小ささに耐えられなくなってくる。潰れそうになる。
でも、だからといって「何も考えずに楽しく生きることができるようになるか」と思いそうなろうとしたり、
そもそも圧倒的な目標を掲げることなく無目的に生きてみるか、と思ったりしてそんなことをこれまで書いてきたり行動してきたりしたけど、やっぱり俺には何かこれだ! というものがないと日々を生きる原動力が湧いてこない。
日々を生きる原動力というのはまさにそのままで、人生にそもそも意味なんてないのはとうにわかっているから、その原動力を失ったら本当に何もしなくなってしまう。
圧倒的な技術や技能、スキル、才能を持っている人を見ると、そういう世界があることを知ると、もうこれまでと同じ状態で生きていくことはできなくなる。
めまいがするほど世界は広かった。俺は今まであまりにも何も知らずに生きてきた。
「何者にもならなくていいだろ」みたいなことを思い、いや思い込ませようとしたことはあったけど、それはただの現実逃避だった。
現実逃避は大事だよ。でもずっとそのままでいいのか?
それに現実の労働コストとリターンバランス的なことを考えると、至極当然だけど自分のスキルが向上することに時間を使ったほうが効果的なわけで。
世の中が資本主義である以上(これが一番マシな社会システムだと思っている)自己投資が最も本質的である。
加えてこれは最近の気づきだけれど、たとえば美味しいものを食べて満足する自分一人だけの幸福より、幅広い他者を巻き込んで得られる幸福度の方が圧倒的に高い。
そういう意味でいうと、自分はスティーブ・ジョブズ氏の「すばらしい仕事をする唯一の方法は自分のやっていることを好きになることだ。まだ見つけていないなら探し続けなさい。妥協してはいけない」という言葉の圧倒的な信奉者だと思う。
はじめてこの言葉を見た時にこれだ!!!! と直感し行動し続けてきた。
しかしある時に疑い、他の考え方とか労働観とかを書いてある本を読み漁ったりweb検索しまくったりした。
そして今はもう最初見た時より圧倒的なものとなってこの言葉を信じている。別にジョブズ信者というわけではなく、この意味の本質に芯から共感しているということ。
それ以外あり得るわけがないだろう、とまで思っている。探し続ければ絶対ある。考え探し続けるのをやめてしまうから、ないと錯覚するだけだ。
先に書いた「一つの物事をここまで圧倒的に深く突き詰めて、でも全くそれに満足することなく常に追い求め続ける人」を見ていると、そもそも「努力」とか「頑張る」とか思っているのはレベルが低いことなんだなぁと改めて感じる。
たかがそんなことを意識しないと物事ができない時点で本物ではないというか、息をしているあいだ常に「努力、頑張っている」のが当たり前(つまりそれを意識しない)であって、その上で才能や周囲の環境といった外部要因が関わってくるのだと。
このあたりのことはこれまで散々考えてきたしnoteにも書いてきたけど、自分がクソほど小さすぎただけなのだな、ということに気がついた。
僕が心からすごいと思っている作曲、ピアノの先生も「24時間音楽のことを考え続けないと無理だよ」「音楽が生活の中心にあるのが当たり前で自然になる必要がある」と入学当初言われていて、その時はいやそんなわけないだろと内心反発していたけど、やっぱりこれも自分が何もない人間なだけだったんだな、と今は思う。
今も俺には何かあるのか? 不安だよ毎日。
……
で、自分はピアノが弾けるので(ピアノ科の人には殴られるレベル)簡単に打ち込み音楽を作ることができるし音も聴いただけでわかる。
なので楽にそれっぽいものができる。
さっきの星の降る丘は8時間もないくらいで完成した。
が、全て自分でギターを弾いたこの曲↓
は毎日ギターを練習して、

それでもすごくぎこちない演奏なんだよな。
まぁそれはそうかもしれない。
ピアノ、鍵盤楽器は7年以上やっているし(それも幼少期にやっていた)副科とはいえ大学で先生に習っている。
が、ギターはアコギエレキ合わせて2年もやっていない(正確にはあまり覚えていない)。完全独学だし。
これが、悔しい。
ピアノよりギターの方が圧倒的に好きだし情熱がある。
さっき効率とか労働コストとか色々いったけど、そういうのを差し置いてでもギターがめちゃくちゃ好きなんだ。
なぜ好きなのか言葉で色々説明することはできるけど、結局それらは全部後から付けたもの。
ただどうしようもなく心が動かされて止まっていられないというそれだけ。
しかし思ったように弾けない。
そしてphilosofyとして投稿するための曲を作ることを考えると鍵盤と打ち込み音源を使った方が圧倒的に早く完成する。「伸ばすため」のことを思うとこっちの方がいいとは思う。
がしかしそれが嫌になったというか、なんだ、なんかもういいわ、となったというか、うまく言葉にできないけど、とにかく違和感がすごい。
そういえばyoutubeにgoogle広告を5万円分くらい打ったことがありそれで一部が伸びその時は嬉しかったけど、今となれば後悔している。
なぜならそれはお金という外部の力であって自分自身のものじゃないから。
「伸ばすため」に俺は音楽を、執筆をやっているんじゃないだろうよ。そうだろう?
本当の一番最初はなんだったか? を思うと、通信制高校時代に何を思ったかバカでかいゲーミングPCでwordpressでブログを開設し、すげーー!! となったところから文章を書き始めた。
音楽は(昔のピアノを除いて)なんとなくギターとペラペラ鍵盤のキーボードを買ったところから、その後しばらくしてからintel CPUのmacbook airに内蔵されていたgarage bandをなんとなく開いて、よくわからんままに触っていたらなんか音が出て鳥肌が立って感動したところから始まった。
純粋なそれが圧倒的な原動力だった。
今はそんなものがない。
MIDIを打ったら音が出るのは当然だし、キーボードを弾いたら音が簡単に出せる。
音楽が趣味ではなくなってしまったということなのだろう。
というかある時から趣味が全て消滅してしまった。
何をするにしてもこれは創作に活かせるか? 役立つか? ということが念頭にあるし、必ず意味を考えてから行動するようになっている。
悲しいんだか嬉しいんだかわからない。
……
直近のこれ
もそう。
ハードウェアのものにしたらソフトウェア音源という枠組みにとらわれることなくしかし打ち込み音源のようなことができるかもしれない、と思い買ったわけだけれども、結局はソフトウェア音源と同じだった。
いや、買う前からそれはわかっていたしそりゃそうだろということなんだけど、パソコンは実質無限の容量があるからいくらでも音源を増やしていくことができる。
しかしキーボードシンセとして販売されているものは基本的にそれ以上音色(おんしょく)を増やせないわけだから、そこだけと向き合うことによりDTMの課金ゲーを突破できるんじゃないか、と思ったわけで。
でもこれも結局は別にDTMソフト音源と何も変わらなかった。
そもそもその前は完全アナログハードウェアモジュラーシンセサイザーにピンときてbehringerのprotonを買った。
が、これはあまりにも難しすぎ、そもそも楽器そのものだった。
これ自体はとても素晴らしいことなんだけど、しかしアナログシンセを調べ始めた最初も「ギターを上手く弾けるようになるには時間がかかるけど、アナログシンセならそんなことはないだろ。ギターより手軽に自分の音を追い求め続けることができるだろう」みたいな舐め腐った考えをしていて、案の定難しすぎて挫折。
キーボードやキーボーディストを批判したいのでは一切なく。
ここまであれこれ書いてきたけど、何が言いたいかというと、ギターを自在に弾けるようになりたい、それで作曲がしたい、ライヴがしたい、というただそれだけのこと。
そういえばなんか、過去にもギターについて書いたのをいま思い出した。
というか、本当はギターボーカルがやりたいんだ。ギターボーカルこそ、自分が知りうる音楽パフォーマンスのあり方で最もカッコ良いと思っている。
でも自分の声が自分で好きじゃないし、自信がない。それに歌は全ての楽器の中で一番難しいと思っている。だからずっとやっていない。24にもなってギターボーカルがやりたいとかめちゃくちゃ恥ずかしいなとも感じている。中学生に戻りたい。
でもこれは全てただの言い訳なのかもしれない。
色々なジャンルの音楽を聴いてきたし大学で室内楽を学んでいるけど、結局俺はギターロックが聴くのも観るのも作るのも演奏するのも一番好きである、ということに戻ってくる。
何かを考えるたびに必ずこれが頭をよぎり、ここに戻ってくる。
そう、やっぱり簡単な人生というのはないのだろう。いやあるのかもしれないけど、あったとしても面白くないならそれは選びたくない。ワクワクしない日々なんか絶対に嫌だ。
とりあえずまとめっぽいものを書くとすると、途方もなく時間がかかりすぎると思うけど、philosofyとしてはギターを中心に置いたものを作り、大学では古典作曲を学ぶために室内楽を書き続けていこうかなぁと思っております。
どうせまたすぐ壁にぶつかるんだろうけど、いつものように血だらけのまま進み続けるとしよう。

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(´・ω・)つ旦