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ゲームは時間の無駄なのか?作られた世界の美しさ

2024/5/22追記
考え方にちょっと変化がありました↓



「ゲーム好きですか?」と聞かれて「嫌いです!」と答える人は、子どもに勉強を押し付けたい親しかいないのではないか、と思うほどゲームが好きな男です。こんにちは。

しかし、「ゲームが好きです!」と堂々と宣言する人はそこまで多くないのではないかとも思ってしまいます。実際僕は過去にそういう時期がありましたので。

ここではタイトルにある通り、ゲームは時間の無駄なのか、ということについて考えたことを書き記しておきます。


そもそも”無駄”ってなんだ

そもそも、人生における無駄ってなんなのでしょう?

それは、その人がその時置かれている状況に依存するものであると思います。受験生であれば勉強以外のことは全て無駄に感じ、大学生であれば遊び以外のことは全て無駄に感じる、といった具合に笑(ちなみに僕はそんなことないですよ)。

要するに、あまりにも主観的なものであるということです。そして、僕たちが生まれてきたことに意味なんかありません。ただ生まれてこうして生きている、それだけです(命を否定しているのではなく、事実としてそうであるということ)。

この思考を突き詰めると、人生そのものが無駄であるという結論になります。100%合理的に考えると。しかし、僕たち人間は合理性だけで生きているわけではないですよね。皆それぞれができる限り幸せになろうと思って生きています。だから友達と遊んだり、仕事で結果を出したり、趣味に没頭したりするわけです。

そう考えると、ゲームって最高のものだと思うんですよ。もちろん何を好きになるのかは人によって当然違いますが、ゲームが好きな人にとって、こんなにも楽しいことは他にあまりありません。

社会的に認められやすい”好き”とそうじゃない”好き”

例えば、数学について考えてみます。小学生が「数学が好き!」と言ったとして、それを批判する人がいるかどうか想像してみてください。99.99%いないのではないでしょうか。むしろ、ほぼ全ての人がそれを賞賛し奨励するはずです。

次に、小学生が「喧嘩が好き!」と言ったとします。これは受け取る人によってだいぶ反応が変化するのではないでしょうか。

つまり何が言いたいかというと、その時の社会状況や周囲の環境によって何もが、”個人の好きなもの”というとても小さなことでさえ、変わるのだということです。とても脆い価値概念。

「私はこれが好きだ!」と堂々と宣言し、他者の目など気にもくれずに突き進める人は良いですが、ほとんどの人間はそんなに強いものではないと思います。僕もそうです。自分の思想をこうして全世界中に公開していますが、結構びびっています。それでも書きたいという衝動がそれを上回っているのでこうして綴っているわけですが。

だからきっとディズニーやピクサー映画がたまにめっちゃ流行るのでしょう笑。「ありのままの〜」みたいな。皆それに憧れるわけです。

”何を好きになるのか”ということ

国語や社会の教科書では、戦時中の国家に支配された日本国民が描かれています。現在の僕たちは戦争は絶対にあってはならないと断言することができますが、当時の彼らにとってはそもそもそういう思考にすら辿り着けていなかった人もいたはずで。

何を好きになるのか、嫌いになるのか。大袈裟に考えると上のようなことが言えると思いますけど、一番身近な例は、食べ物ですよね。

健康に良いが、好き嫌いが大きく分かれる食べ物、例えば納豆。納豆が好きだという人は、誰に言われるでもなく勝手に納豆を食べ、勝手に健康になります。しかし納豆が嫌いだという人は、その分得られる健康機会を逃していることになります。

趣味もそれと同じです。スポーツが好きな人は意識しなくても勝手に健康になりますし、インドアな人は意識しなくても勝手に不健康になります。

しかしこれらも結局のところバランスというものが大切なのであり、いくら運動が健康に良くても、やりすぎると返って怪我や病気の原因になります。インドアなものだって動かなくて体には良くないですが、豊かな心を形成することができるかもしれません。

また、それを好きな人の母数が多い、というのも非常に重要なものの一つでしょう。

以上のように捉えると、「ゲームは無駄である」とするのは、あまりにも視野が狭く浅はかな考えであることが、おわかりいただけるのではないでしょうか。

僕はなぜこんな考えになったのか

”考えることそのものが好き”という性格もあるのですが、「本当にゲームをやっていても良いのだろうか…?」と自分を疑ったことがあるからです。アクティブな人と比較してしまい、自分を信じられなくなりそうだったので。

そして無事、今はある程度人生の展望がわかって時間配分を行い堂々とゲームを楽しんでいますが、未来が暗闇に包まれて何も見えなかった頃は、とにかく努力しなくちゃならない、必死にやらなければ人生が終わってしまうと思っていました。なのでとにかく”無駄”を排除しようと血走っていて。

当然、そんなように自分に負荷をかけ続けることが上手く行くはずもなく、ストレスで性格が悪くなりました。そして、その状態って僕自身も幸せではないですし、周囲にも悪影響を与えてしまうことになります。不機嫌な人って、そばにいられると面倒じゃないですか。

なので、仕舞い込んでいたゲーム機を元あった位置にセッティングしなおし、久々に遊んでみると、心の安定が戻ってきました。そこにあるべきものがしっかりあることの安心感といいますか。

僕なんかが比べるのはあまりにも恐れ多いですが、プロゲーマーの梅原大吾氏が、「俺はなぜ(好きなものが)ゲームなんだ、、。」という思いが過去にあったことを本の中で述べられていて、似たようなことを思っている人はいるのだなぁ、と妙に安心したことを覚えています。

まぁ、梅原氏は圧倒的結果を残しているので何の問題もありませんが、僕は何も結果を残していないので、”ただゲームが好きでなんかそれをごちゃごちゃ言っている一般人”で終わりかねません\(^o^)/

作られた世界の美しさ

人間、現実だけを直視して生き続けられるほど強いものではないと思います。そして現実は時として醜いものです。全てが美しいはずがないですよ。

だからこそ現実にはあり得ない設定のイマジネーション世界に入り込むことで、現実から自分を切り離して圧倒的な感動を得られるわけです。

これはあくまでも僕のゲームの楽しみ方なので、人それぞれ違った遊び方があるでしょう。僕は据え置き型のゲームを1人でじっくりやるのが好きなタイプです。基本無料の課金収益モデルのものは、精神的に疲れるので好きではありません。

じっくりとゲームでリフレッシュしたら、そこから勇気をもらってまた現実へと戻ってくれば良いのだと思います。戻ってきたくないという人は、ゲーム関連のことでマネタイズできるようにしたら幸せが持続するでしょう。

現代のゲームというのは、小説、音楽、イラストレーション、映像表現の全てが混ざって織られた最高の総合芸術だと思っています。完璧に作られた世界だから。

そして今”完璧”と言いましたが、それはゲームクリエイターの方々の技量に全て依存します。どんなに世界観に没頭していても、ギャグみたいなバグが突然発生したら、それはもう笑ってしまい純粋にその世界に浸ることはできなくなります。

スーパーマリオ64のようにバグがもはや伝統芸能のようになっているレジェンド級のゲームは良いですが、そうではなくてリアルさを追求している作品でバグが発生すると微妙な気持ちになります。

経済で社会に貢献している

ここまでは主に価値観に関わるところからゲームについて述べてきましたが、最後に社会に与える経済効果という観点からゲームの素晴らしさを書いていきます。

日本国内の産業規模だけで言っても、ゲーム業界は上位に入っており、大きく経済に貢献していることがわかります。日本だけでなく世界市場でも評価されていますし、さらに潜在的ファン数はデータとして現れている以上に多いのではないでしょうか。

経済規模が大きいということは、そこに価値があることが認められているわけです(一概には言えないけど)。ゲームを作れば社員に給与が支払われ、消費者が購入してもお金が回り、それを取り巻くあらゆる労働需要も生み出しています。

そんなわけで、ゲームいいよね、という話でした。

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philosofy (´・ω・)つ旦