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【真剣に考えろ】「大学は意味ない」と思うのは雑に専攻を選んだツケだ

「大学は意味ない」と思って専攻を変えることにしたら、「大学はものすごく意味がある」という考えに変わった22歳大学4年の男です。こんにちは。

攻撃的なタイトルですが、これは過去の自分への戒めであり、そして今後を生きる僕より若い人が後悔しない選択ができるよう、こうしました。


限界まで「何を学びたいのか」について考えるべき

僕は高校生の頃、何も考えずに「とりあえず大学行くか」と思い、自分が対応できそうな受験科目で私立文系を偏差値順に上から受けるという、あまりにも雑で安直な思考のもとに受験生(浪人生)となりました。

そしてその後入学することになる大学は、オープンキャンパスには行かず、履修要項も見ず、授業シラバスや教員も確認していない、と何から何まで一切調べていなかった滑り止めのところです。ここに限らず、目指していた大学に至っても一切の情報を得ていませんでした。

過去をどう解釈し意味付けするかというのは今自分が置かれている状況が決めると考えていますが、現在僕はそう思うことができていないので、予備校に入った時が間違いの始まりであったという考えが払拭できていません。

「とりあえず大学行くか」と書きましたが、何も考えていなかったわけではありません。

  • 自分は将来何になりたいのか考える時間を得る

  • 人間関係を広げる

  • 大学生活を最大までエンジョイ(笑)する

  • とりあえず大卒を得る

という4つを考えていました(皮肉)。そしてこれが定まったおかげで浪人中はブレずに受験勉強に集中することができたのですが、却って「大学で何を学びたいのか」ということを完全に考えなくなってしまいました。
迷った時は一度立ち止まってゆっくり考えるのが効果的な戦略なのに。

まぁ、その当時は本当に余裕がなく、受験科目以外のことを考えていたら滑り止めの大学にすら受かっていなかったかもしれないので、それはもうわかりません。

というか、そもそも自分に受験勉強が向いていないというのはだいぶ前からわかっていたのですが、なぜその感情としっかり向き合わずに、「やればいけるだろ」みたいな根拠0のノリとしか言いようがない心意気で浪人することを決めたのか今更理解に苦しみます。

「失われた6年」

グローバルに30年間の日本経済パイセンではないですが、僕は小学校と中学校にかけて、6年間不登校でひきこもりでした。そのためその期間は社会からほとんど隔絶されており、つまりは自分の人生にまつわる進路について考えるのが”一般平均の人”と比べて6年間遅れているわけです。

先に予備校生活時代を後悔していると述べましたが、このひきこもり期についても全てを悔やんでいるとはいかないものの、それでも躓きであったことを完全に肯定することはできていません。

現在大学4年ですが、本当にありがたいことに、ようやく見つけた学びたいこと、そして職業にしたいことを学ぶために専攻を変更する機会を得ました。でも、無駄に年齢を重ねてしまった事実は変わりません。

藤井聡太理論

これは僕が勝手に考えたものなのですが、「幼少期に自分に合っているものに出会い、そして結果的にめっちゃ上手くいった」人に対してこれを勝手に当てはめています。もちろん、外からは絶対にわからない、当人にしかわからない苦悩や葛藤はあるはずです。

しかし、現代社会で多くの人が抱える自分らしく生きたいという願いのような悩み、つまりは好きなことをメインの収入源にしたいということが悩みのほぼ全てだと思うので、そこが解決している人は”自分探し”や”自己啓発本を読み漁る”といった本質的ではないことをする必要がないため、人生における無駄なストレスがほぼ存在しないだろうということです。

そして何か物事を突き詰めて成果を出そうと決めた場合、人間が持つ時間は有限であり、「効果的な方法×かけた時間=成果」であるため、開始する年齢は若ければ若いほど有利なわけです。

そのため幼い頃からいわゆる天職を見つけた人は本当に幸運な人だと思います。

僕みたいに22歳にもなって今更やりたいことを見つけた人間というのは、「それに気が付く」ということだけにこれまで全ての時間を割いていて、先に述べた式に該当することは行っていないため、その分だけ同業他者と比べて遅れをとっているわけです。

大学に入ってから自己分析なんて遅すぎ

こんなこというと反感を買いそうですが、言いたいので書きます。大学生が新卒枠で一斉に企業の正社員ポジションを争う、いわゆる「就職活動」ってありますけど、なんかそんなことに全力投球している時点でもう大幅に人生の遅れをとっていると感じます。

いや、もちろん一概に就活といっても、自己分析から各企業のビジネスフロー確認とマクロからミクロまであるわけですが、主に言いたいのは、「自己分析とかそんなことを大学3年にもなってやっているのはもう取り返しがつかないほど遅いよね」ということです。
理想は、高校の文理選択の時までに真剣になりたい職業≒収入を得る手段(これは企業に就職することに限らない)を考え抜いておくべきでしょう。

それを今になって「就活がつらい」とか「お祈りメールばっかり」とか、「そりゃそうでしょ」って感じです。なぜならどんな大企業でも零細企業でも、結局は人間と人間の相性の問題なわけです。
それを今の今まで自分や社会を深く知ることを怠ってきて、真面目に勉強もせずにいきなり大学3年になったからはい就活開始、んでなんとなくでエントリーシートを出しまくったところで上手くいくはずないですよ。

僕は大学2年頃にようやく大体自分は何が好きで何が嫌いで、どんな生き方をしていきたいのかの道筋が大まかに見えました。それでもそれはその後の大学生活でまた変化したし、そもそも大学というのは研究の場であって、何かやりたいことを探すための場ではありません。
学部から修士、そして博士と繋がっているように、基礎の学びがあってそして研究へと成長していく環境なわけです。

理系に進んだ高校からの友人がいるのですが、彼は高校の頃からきちんと未来を見据えて人生設計をしていたし(化学を専攻し修士課程まで行きその後研究者として企業に就職する)、大学入学後も真面目に勉強し順調にその道を進んでいます。

その間僕は何をしていたかというと、ほとんど遊んでいました。何も努力をしていなかったわけではないですが、それでもそんな真剣に人生を考えていなかった。僕の身の回りの人でなくても、高校生から起業していたり、高い意識をもって情熱的に生きている人はいます。

もちろん、そうでない生き方を否定したいわけでは一切ありません。情熱や目標を持つことが尊いともなんとも思いませんし、そもそもそんなものはなくても生きる上で困りません。日本という安全な国で基本的欲求を満たして生きていけることは幸せなことだと思います。

ですがそうではなく、「何者かになりたい」と思っている人にとって「大学がつまらない」と感じているのであれば、漠然と夢や希望を想像している高校生が「将来のことは大学に入ってから考えよう」と思っているならば、それはもう既にゲームーバーだぜ、ということです。

いつからでも何者にでもなれるなんて大嘘だ

ちょっと考えてみれば分かりますけど、いつからでも何者にでもなれるはずがないです。

そもそも論、人間は生まれたその時から遺伝子で得意不得意というのは決まっているわけで、努力でブーストできる能力の最大値は各分野ごとに定められています。
例えば僕は運動神経が皆無と言っていいほどないので、いまからアスリートとして生計を立てるなど、地球が爆発しても無理です。

そんな圧倒的な先天的才能を要するアスリートのような超高難易度分野でなくても、「学生時代にもっと勉強しておけばよかった」とか、「本当は別の仕事がしたかった」とか、ほんのちょっとの願いであっても、歳を重ねれば重ねるほど方向転換することは難しいわけです。

人生というのは「悪い」とされることでも「良い」とされることでもすべては習慣の積み重ねであり、いきなり何かがポーンとやってくるとか、でかいチャンスが舞い込んでくるとか、まぁあり得ません。そして気力体力というのは刻一刻と低下していきます。

何歳からでもやればできるだなんて、完全に無駄かつ不必要で意味がなく時間の無駄でしかない、”努力”という名の偽りの防御線を張った現実逃避とさえ感じます。

どんなにすごい人だって、かならず何もできなかった最初があり、そして道中数多くの苦労があるわけです。それをいきなり「やればできるかも」なんて、時を重ねて向き合ってきた人たちに失礼だと思います。

大学でちゃんと勉強しろ!!

そもそも学生というのはとにかく勉学に励むべき者なのであって、それを就活のために偏差値≒学歴がどうとか、「なんかキラキラした大学生活〜」とか、「とりあえず大学行けばなんとかなるか」みたいな抽象的すぎる状態のまま学部学科専攻を選ぶから入学後にミスマッチが起こるわけです。

ちなみに「文系より理系の方が就職が楽だから」みたいな理由で選んでもそれはそれで勉強が大変すぎて後悔すると思います。先に述べた理系の友人は、もともと数学やサイエンスが好きでかつ得意であったにも関わらず、大学での難易度の高さに驚いているようです。でも専攻は自分のやりたいことなので超えられる壁であって。

人はそれぞれ何をどう感じるかも、得意なことも苦手なことも何から何まで全てが違います。それをネットでちょっと調べたからとか、周りがこう言ってるからとかで重要な進路を決めるのはあまりにも自己分析が足りなさすぎるし、自分を雑に扱いすぎです。

仮に大学生活を4年間満喫できたとします。しかしその後自分の希望する職に就けなかったら、そのせいで何十年間も微妙な気持ちで日々を送ることになったとしたら、楽しかったあの4年間は僅かな思い出に薄まって、あげく後悔することになると思うんですよ。

そもそも、自分の学びたいことを何も気にすることなくじっくりとひたすらに学べるというのは、とても尊いことです。
高等教育って、本当に大切なものであると22歳になって今更思います。現代は知識社会なので、あらゆることについて知っていたり、思考していたりすると生きやすくなるし、経済的にも精神的にも豊かになりやすいです。
というかシンプルに、好きなことの知識の深淵にハマっていくことそのものが最高に楽しいじゃないですか。

専門学校でも良いとは思うけれども

ちなみに専門学校でも良いと思いますが、それは学びたいことや身につけたい技能が専門学校でしかなし得ない場合に限って検討する方が、得られる学びの効果が最大になるはずです。

専攻したい同じ分野が専門学校と大学の両方に存在していて環境が許す場合、僕は大学をおすすめします。
実際複数の専門学校と大学に足を運びましたが、理論を学ぶ場としての質(カリキュラムや教員)、学生,つまりは仲間でありライバルのモチベーション、そして入試制度という関門があるかないか、また学士号が得られるかどうかということがあるためです。
あと、専門学校で学べる技能は独学でも良いと思うので。

ちなみに専門職大学に関しては、これは別分野で一つしか見学していませんが、大学になりきれない専門学校の延長といった印象を受けました。

無駄な努力をするな

僕は全く興味の持てない専攻を選んでしまったため、ほぼ全ての授業が苦痛でした。興味のない必修科目に散々苦しめられ、何度も再履修になり、そもそもそれをできるようになりたいと一切思っていないため、やる気が全く起きず。

もちろん最大まで努力しました。でも、いくら頑張っても大してできるようにならないんですよね。そしてその時間はただただ苦行で、そこに費やした膨大な時間と学費と引き換えに得られたものは「無駄なことは無駄である」というただそれだけのことです。

好きなことを専攻にしていればこんなことは全く起こらないわけです。
そもそも、物事を気合いでどうにかしようと思うほどに追い込まれてしまう時点で、それは向いていないことだと思うんですよ。得意なことは得意な人に任せれば効率的に回るし、みんな幸せになります。というか社会はそうやって分業でできています。

僕は「努力は裏切らない」とか「やればできる」というのは完全に嘘だと思っていて、全否定するタイプの人間です。向いていなくて、完全に意味のないことは存在します。「意味のないことはない」なんていうのはただの綺麗事です。

なんとなく大学生活を楽しみたいとか、大卒を得たいといった理由で進学すると、興味が持てない苦痛ばかりの履修生活を送ることになるばかりか、実は結構役に立つ受験勉強に意味を見出すことすらできず、人生に一度しかない青春時代というかけがえのない思い出を得られる数年間を無味乾燥な分厚い紙とのにらめっこに費やし、数百万円を注ぎ込んだ挙句得られるのは「学士」という事実、ただそれだけが10代後半から20代前半の思い出として残ることになります。

そしてそれは今後も修正できず、というか年齢を重ねるたびに後悔は大きくなり、仮にやりたくもない仕事に就いていたら、それはもう関係者全てが微妙な気持ちと結果を味わうことになります。

そして、好きでもなんでもないことをずっとやっていると、精神衛生にも非常に大きな支障をきたします。

僕は前の大学の3年後期にいたっては、大学へ通うのが嫌すぎて全ての科目をオンライン授業にしたくらいです。大学へ行くのが嫌というか電車(電車という乗り物は好きだが不特定多数と同じ空間が嫌い)が嫌いなのですが、でもこれも良く考えてみれば、どこか楽しいところに遊びに行くとかであれば余裕で耐えられるわけです。

そしてこんなしょうもないことで悶々としている人間がいる一方、好きなことをしっかり選択して、大学で大いに学んでいる人がいると思うと、自分の愚かさに消えてしまいたくなりました。

そうなってしまうともう全てが無駄になりかねません。

確かにネットで独学できるけれども

現代では確かにネットを活用してほぼ全ての学問を独学することができます。僕も日頃からGoogle検索にYouTubeでの学習動画視聴、Kindleで書籍購入など、ありとあらゆる恩恵をたくさん受けています。

しかしそれでも限界はあるというか。一番は分野によると思います。
なので、まずは学びたいことがある大学の履修要項やシラバスを徹底的に調べ上げ、独学でも対応可能なら入学しない。独学では無理なら入学する、といったことをすれば良いと思います。文系は基本独学でいけるのではないでしょうか。
もしかしたらなんでも全て完全に独学でいけてしまうすごい人もいるのでしょうが、僕はそんなすごくありませんでした。

なので「大学は意味ない」と感じるということは、それは独学でも対応できる分野でわざわざ大学に入ってしまったか、興味の持てない学問を選んでしまったか、のどちらかだと思います。ちなみに僕は以前の大学で両方満たしていました。/(^o^)\

大学教員というのはやはりその分野を深く研究しているプロフェッショナルだけあって、その専門知識について質問をすると、明確な回答とともに親身に相談に乗っていただけます(もちろん人によりますが)。
僕はZ世代な割に古い人間なのかもしれませんが、やっぱり対面である程度お互いの人間性を知った上でしかできない相談の密度というか、そういうものってあると思うんですよね。オンラインサロンとかを一概に否定するわけではありませんが、限られた空間での対面の良さというのが僕は好きです。

そして意味がないと思っていた前の大学も、それはただただ僕が興味のない専攻分野を雑に選んでしまったがために学ぶ内容から教員まで全てを否定してしまっていたのであって、完全に僕が悪いわけです。今思えば、授業で寝ていたり、内職していたり、はたまた出席だけとってすぐ帰ったりと、最悪の学生でした。

他にも、楽に単位を取れる授業とか、出席しなくてもいい授業とか、なんかそういう思考回路が発生する時点で学生として終わっていると思います。

なので、ネットをフル活用して独学は継続しつつ、その大学でしか得られない学びや研究をしっかり見極めて取り組むことができれば、それはもう人類史上最高の学習環境が待っています。

せっかくありとあらゆる情報が溢れている面白い時代です。安全策ばっかり選んでいると結局安全策でしか生きられなくなり、ワクワクする人生はあまり待っていないのではないでしょうか。
というか、これだけインターネットが発達し、さらにはAIがものすごい勢いで成長している時代で、未だ旧態依然としたことに囚われているといよいよ何もできなくなると思います。

「学歴を得たいから」みたいな数十年遅れの、学びの本質から完全に外れた理由で大学進学する人があまりにも多すぎるから受験産業が肥大して若者やその親を食い物にし、そして大学はその学問を真面目に修める気のサラサラない学生を利益のために入学させ、学生当人に至っては入学後はただ遊びまくる。で就活の時になって文句を言うと。

全ては繋がっていて、そして人生は一回しかないです。

人生の選択は簡単じゃないけどさ

いきなり僕の好きな曲を紹介しましたが、まずは歌詞を聴いてみてください。
この「間違った 旅路の果てに 正しさを 祈りながら」という表現はなんとも的確に人生というものの苦悩と希望を言い得ていると思うのですが、しかし同時に、「間違った旅路の果てに正しさを祈らないでも済む人生の方が楽だよね」ということも最近改めて自分の人生を振り返ってみて気がつきました。

大好きな曲ですが、きっと道は間違わない方が楽だし、正しさを祈らないでも済むような人生の方がもっと楽だと思います。この曲が響くかそうでないかで、その人ことが良く分かるかもしれませんね。

話は少し逸れますが、この動画のコメント欄では色々な人の人生を垣間見ることができ、とても興味深いです。

進路は頭がおかしくなるまで徹底的に考えよう

結論として僕が言いたいのは、「大学は意味ないから高卒で起業だ」「大体の人は凡人だからとりあえず大学に行くべき」という、「ホリ○モン vs ひろ◯き」みたいな二元論ではなく、

  • 高等教育を受けるというのはとても貴重な財産。誰でも可能な限り大学(学士)まで行って勉強した方が豊かな人生が送れるし、だからこそ大学で何を専攻(研究)し、その後の人生でどう収入を得るのかを真剣に考えて選択すべき。もしかしたら大学院に行きたくなるかもしれないし、就職するでも役に立つ、起業してビジネスが軌道に載ったら中退しても良いから、おまけ程度で大卒資格はあった方が人生楽。

という、ごちゃごちゃしていて考えるのが面倒なことです。
でも、どんなに大変でも絶対に真剣に考えるべきであると断言します。真面目に考えて後悔したということがあれば、この記事のコメントでもメールでもXでもYouTubeのコメントでもなんでもいいので、僕にクレーム入れてください。その時は謝罪します。

だいぶ長くなりましたがお読みいただきありがとうございました。僕と同じ過ちをしないよう、これからを生きる若者たちの参考になれば幸いです。

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philosofy (´・ω・)つ旦