世界映画館紀行 #9: 《澳門大會堂》 🇲🇴
2025年4月、マカオから広東省へ
1週間の香港旅行のうち2日間をマカオで過ごすことにした私だが、せっかくだし中国本土・広州方面にも行ってみるかと思い立ち、2日目の朝は早起きして遠出することにした。


朝6時前に宿を出て、旧市街を歩くと嬉しいことにほとんど誰もいない。日中は観光客でごった返す世界遺産・聖ポール天主堂跡は貸し切り状態、セナド広場ですら人はまばらだ。やっぱり、こういう風景を撮影するなら早朝にかぎる。
普通の観光は前日に済ませているから、ただ気ままに散歩するだけでいい。茶餐廳ならこの時間でも開いている店もあるだろうが、あまりゆっくりしていると出遅れるからここはやめておく。

一大観光地なら人混みも景観の一部、であるとは思うが、閑散としていれば心に余裕ができて本来の景色を純粋に楽しめる。フォトジェニックな「恋愛巷」ことパイション通りも前日は一瞥程度で通り過ぎたが、人がいないとより魅力的で、人気の理由がよくわかった。
帰国後に見たマカオが舞台の香港映画『イザベラ』でこの路地を見かけたが、『死亡遊戯』にも映っているらしい。それから、ここには《戀愛電影館》というミニシアター併設の小規模な映画ミュージアムもあるようだ。完全に見落としていた。

1時間ほどゆったりと観光したのち、通勤・通学の地元民で混み合いはじめたバスに15分ほど乗り、マカオの最北端にある関閘(ポルタス・ド・セルコ)へ向かう。中国とポルトガル領マカオの国境に1870年に建設された門で、現在も出入境検査場の前に保存されている。
やっぱり島国の人間だからか、それがシェンゲン協定地域にしろ中国内の特別行政区にしろ、陸路——それも徒歩——で越境するという体験はいつだってなんだかワクワクするものだ。

中国側へは出入境の手続きや移動を含めてもわずか15分ほど。そこは広東省、珠海市の拱北である。
当初は横琴島にある世界最大の水族館・珠海長隆海洋王国に行くつもりだったが、入場料が1万円近いと知って今回はパス。代わりに漁女像を見に行くことにした。

香炉湾の沖に立つこの石像は竜宮城の姫が人間の漁夫と結婚した、という地元の伝説を基に制作されたもので、わざわざ見に行くのは伝説マニアの物好きぐらいだろう、と高をくくっていたら大間違い。観光客だらけである。それも高齢者が多い。さっそく中国って感じだ。

珠海駅に戻り、広州行きの切符を購入。本数は多いが、直近の特急はどれも席が埋まっているようだ。ちょっと失敗。駅構内も人が多く、まるで空港のよう。木曜日でこれだから、週末はもっと混雑するのだろう。
とりあえず、駅の売店を物色して時間を潰すことに。見た目は怪しいが中身は普通のココナッツジュースやコアラのマーチのパクリ商品「スモール・プ」など、面白くてつい手に取ってしまう。そんな中にロシアの定番チョコレート〈アリョンカ〉もあったのには驚いた。


約1時間後、ようやく珠海駅を出発。列車は新幹線みたいな見た目だったが、運賃はそれほど高くない。ここから1時間ちょっとで広州南駅に到着だ。市街地まではまだ距離があるが、向かうは広州ではなく隣接する仏山市である。
カンフーの聖地・仏山
仏山は観光地としてはあまり注目を浴びないが、香港映画好きなら絶対に行くべきカンフーの一大聖地だ。なにせ武術家・葉問(イップ・マン)と黄飛鴻(ウォン・フェイホン)の出生地なのだから。


記念館はどちらも禅城区の古寺・仏山祖廟内にある。創建は北宋時代、玄天上帝(玄武)を祀る道教寺院で、4A級観光地に指定されている。大部分は明代の再建だが、それでも700年近く前のことだからじゅうぶん古い。
チケットを買って入場したら、葉問堂へ直行。葉問(1893–1972)はブルース・リーの師匠として名高い詠春拳の達人で、ドニー・イェンが彼を演じた『イップ・マン』4部作以降、一大サブジャンルにもなった伝説的な武術家だ。中学生の頃の私を香港映画の沼に引きずりこんだ張本人でもある。


記念館に入ると、葉問の胸像がお出迎え。背後にはウォン・カーウァイ監督の『グランド・マスター』の原題でもある、「一代宗師」の四文字が。
博物館となっている上階では葉問本人が使っていた木人樁や八斬刀など、映画でおなじみのアイテムの実物も展示されている。これらを見られただけでも大満足だ。


もちろん、葉問の人生や後世への影響についても触れられているし、ブルース・リーを含む弟子たちや映画についても紹介されている。木人樁を体験できるコーナーまであった。

その次は黄飛鴻記念館へ。黄飛鴻(1847–1925)は清末民初の広州で活躍した医師だが、洪家拳の達人としても名高い。治安維持のため武術を広めた英雄として記憶され、特に地面に足の影すら映らないほど高速の「無影脚」で知られる伝説的な存在だ。


映像作品にも引っ張りだこであり、題材を同じくする映画の数としては世界最多でギネス記録にもなっている。演じたのもジャッキー・チェンにジェット・リー、サモ・ハンにリュー・チャーフィーとカンフー映画のレジェンド揃いだ。特に印象深いのはやっぱり『ドランクモンキー 酔拳』だろう。
記念館の開設は比較的最近のはずだが、建物は古風な武館といった佇まいで、映画の中なら戦闘がいつ始まってもおかしくない雰囲気。当然のごとく、黄飛鴻映画の系譜についてのコーナーもあり、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』の小道具や衣装が展示されている。


黄飛鴻人気は映画にとどまらず、TVドラマや漫画も数多く存在する。記念館ではそれぞれ個別の展示室が設けられていた。

仏山祖廟では1日2回、獅子舞の公演が行われるらしく、黄飛鴻記念館の前に人混みができはじめていたが、広州市も観光したかったのであきらめることに。映画『雄獅少年/ライオン少年』を見た後なら違ったかもしれないが……。
広州で訪れたのは西漢南越王博物館。二千年以上前に南越を治めた第2代国王・趙眜の陵墓で、現地で発掘された出土品が展示されている。
展示の範囲はそれだけなのに、魅力的な古代遺物が所狭しと並ぶのが古代中国のすごさだ。中でも、翡翠を金の糸でつなぎ合わせた王の死装束・金縷玉衣はなかなか珍しい品ではないだろうか。


その後は歩いて孫文を記念する中山紀念堂と越秀公園の五羊石像を見に行った。後者は1959年に建造された広州市のランドマークで、5頭の山羊を連れた仙人たちが稲作を伝え、民を飢饉から救ったという伝説が基になっている。広州の愛称「羊城」の由来である。


地下鉄で広州南駅に戻り、マカオへ帰る。出入境を済ませたら、タクシーに飛び乗り、旧市街へ。その夜の映画にはギリギリ間に合いそうだ。
《澳門大會堂》で『ウォーフェア 戦地最前線』
今回の映画館は《澳門大會堂》、ポルトガル語では《シネテアトロ・マカオ》。1974年に《公教大會堂》として開業した老舗で、1980年代に名称を変更、3スクリーン制となったが、元々の〈1院〉はバルコニーを含む1189席という大シアターだ。

開業当初の名称が示すように、オーナーは天主教澳門教區(カトリックマカオ教区)で、現在もそこは変わらない。イタリアにはそういった映画館が千軒以上あるというが、アジアでは珍しいはずだ。
また、オンライン予約を取り扱わずチケットがすべて対人販売というのも今どき珍しい。


この時点で9時20分過ぎ。迷っている時間はない。ここは〈1院〉で上映の『ウォーフェア 戦地最前線』一択だ。
A24製作の戦争映画で、監督はアレックス・ガーランドと元Navy SEALS隊員のレイ・メンドーサ。後者のイラク戦争従軍時の実体験を極限まで再現し、リアルタイムで進行するという触れ込みで話題になった作品で、キャストも今注目されている若手俳優が多く出演している。
戦争映画から娯楽性・物語性を排除し、実際の戦争を追体験させる、という試み自体は革新的ではあるものの、それ以上でも以下でもないというのが正直な感想。60点が妥当だろうか。
実質的には反戦映画だとしても、視点はひたすらアメリカ軍なので伝わりづらい。志願兵ばかりのイラク戦争となればなおさらだ。実はミリタリーオタク向けのエクスプロイテーション・ホラー映画でした、と言われたら納得してしまうと思う。もう少しメッセージ性くらいは加えても良かったのではないだろうか。

映画自体は気に入らなくても、こういう映画館で映画を観るという体験は格別だ。音響も良く、広さに対して観客も多くないため快適。ガーランド監督作でもこれが『エクス・マキナ』だったらどんなに良かったか……。
