東ドイツのPRAKTICA
東ドイツ、ドレスデンの Zeiss Ikon によって戦後初めて開発された一眼レフが Contax S で、35mm判一眼レフの基本形はこれによって確立した。1949年のことである。M42マウントもこの時に規格化された。1952年に改良型の Contax D が発売されたが、Contaxブランドの帰趨をめぐって東西で軋轢があり、1960年代には東側の後継一眼レフは PRAKTICA となっていく。
M42マウント、ボディ前面の斜め押しシャッターボタンなどを見ても、PRAKTICA が Contax S シリーズの後継機であることが伺える。製造元の VEB Pentacon は旧 Zeiss Ikon Dresden であり、社名が変わっても工場と技術者には連続性があったのだ。
タイトル画像の機種は PRAKTICA nova 1 で、調べた限りでは1967年発売のようだ。 内蔵露出計は無く、シャッターは布幕横走りで最高速は1/500秒。スペックは地味だが大柄で総金属製で頑丈な造りである。銘板の「PL」はPraktica Loadingのことで、フィルム装填を楽にする機構の名称である。簡単な工夫で楽に装填できるようになっている。使ってみると非常に便利で、フィルムの先端を所定位置に置くだけで金属棒が絡め取ってくれる。置くだけで装填できる機構としては圧倒的に世界最古ではないか。
絞り込みプレビューがシャッターボタンに統合されていて、半押しで絞り込まれるのも、速写には向かないが実用的で使いやすい。M42系は自動絞りのピンの動作をリンクで直角に曲げて絞りへ連動させるので、経年で動きが渋くなっているレンズだと高速シャッターに追随し切れない場合がある。このカメラは人力で絞ってからシャッターが切れるから、その点絶対確実だ。何はともあれ動いて使える状態を長く保つというのは東側の思想だろう。
シャッターショック、ミラーショックは噂の通り大きめだが、それが原因でブレるというほどのこともなかった。

2026年1月
いつもの煙突で試写していたら、鳶が飛んできたので写野に入れてみた。レンズはTamronで、M42のアダプトール2交換マウントは今でも容易に入手できる。

2026年1月
単体露出計で測光するが、このような条件ではなかなか決め切れない。雲の上の光条を飛ばさないで、地上のトーンも残すことができた。

こちらはヤシノン。硬めの光線だが質感が飛ばないで持ち堪えている。

Planar を少し地味にしたような描写で、絞ってもTessar のようにカリカリにはならない。

誰かが磨いているわけでも無いだろうに、いつ見てもピカピカである。

実用主義のPRAKTICAに質朴な意匠のYashinonは似合う。

この時代の普及品200mmは、画質自体はあまり良くないのだが、意外と絵になっている。鳥の種類はヒヨドリのように見える。

どことなく野生味のある姿。Tamron 200mm F3.5 は真面目に作られた総金属製で十分実用になる。

初代タムロン90mmはモノクロではキリッとした鋭さを見せる。

カメラの外装を隅から隅まで探しても製造番号が見当たらない。量産の道具という考えで個体番号を振ることを廃止したのだそうだ。シャッターは斜めになっていて押し込む方向と人差し指が曲がる方向が一致している。重いが押しやすい。この画像ではレリーズカバーを付けているが、外せば普通のケーブルレリーズの穴がある。

ここから再びヤシノン。ファインダーの視認性は古い世代の一眼レフそのままで、レンジファインダーほどではないが、「まあ、こんな感じかな」でシャッターを落とす感覚だ。F5.6まで絞れば、そうそう外すものでもない。

古典機でこういう光線条件に会うと、新しいTTLスポット測光の有り難みがよくわかる。単体露出計を使って反射光と入射光の両方を測定し、決定まではそれなりに時間がかかっている。

標準レンズはあまり得意でないが、だんだん慣れてきた。

日は高く樹下は暗いがフィルムのラチチュードに収まった。

地面にも目を向けてみる。

水面と反映像のどちらにピントを合わせるか迷ったが、水面の方に合わせてみた。
露出計を内蔵しないカメラは撮影テンポが遅いのでむしろ歩留は良い。同じ機械式一眼レフでも、TTLで中央重点度が高いNikon FMやスポット測光のCONTAX S2は、もっと確信を持って速く露出決定ができる。
高級機ではないので気構えがどことなく緩くて、出来上がりの画像にもそういうところが現れるような気がする。
現像はスーパープロドールの原液。Fomapan の適正現像時間は長めだが Kentmerepan ほどではない。
