わたしが撮りたいもの
わたしは、「綺麗な写真」だけを撮りたいわけではない。
もちろん綺麗に可愛く、
その人が一番素敵に見える写真も大切にしたい。
それは撮影料を頂く上で当然の感覚だと思う。
でも、それだけならきっと、
風景や花を撮る感覚とあまり変わらない。
外見の美しさをなぞっただけでは、
その人を撮ったことにはならないとわたしは思う。

人は、モノではない。
その人だけの歴史がある。
生まれてから今まで積み重ねてきた時間。
大切にしてきたもの。心が動いた瞬間。
そして、傷ついてきたこと。
そういったすべてが、その人らしさをつくっている。
わたしは綺麗な写真よりも、その人らしさが滲む写真が撮りたい。別に完璧でなくたっていい。
わたしはよく、こんなふうに例える。
『綺麗にラッピングされたギフトボックスよりも、その中に何が入っているのかのほうが気になります』。

身綺麗にしたあなたも、もちろん素敵。
でも、わたしが一番興味があるのは
あなたがどんな人間なのかということ。
「あなたは、どんな人でありたい?」
自然体で笑っている自分が好き。
少し背伸びをして、お洒落にかっこつけたい。
どこか影があって、色気のある雰囲気に憧れる。
答えは、人それぞれでいい。
その「なりたい自分」を、写真という形で一緒に表現できたら嬉しい。ポートレートにおいては、撮り手と写り手の共同制作だと思うからだ。

わたしは、「なりたい自分」や「こうありたい自分」を知ることは、この先を生きていく上で、ものすごく強力なお守りになると思っている。
(一説によると、人が心を病むのは「自分らしさを抑えつけられたとき」らしい)
写真はその瞬間を残すもの。
その一方で、「こんな人でありたい」という想いを形にして、いつでも思い出せるようにするものでもあるとわたしは思う。
わたし自身、ありたい自分を見失った時期があったからこそ、写真にはそんな力があると信じている。
あなたは、どんな人でありたいですか?
良ければわたしに聞かせてください。
「わたしとあなた」だから撮れる写真を残しませんか。

