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私は、育児や発達を簡単な言葉で片づけたくない理学療法士です


こんにちは。ぴこぴこです。
改めてですが、私は小児の理学療法士として日々働いているアラサーです。

理学療法士として現場に立っていて、ずっと思っていたことがあります。
それは、育児や発達の悩みを、あまりにも簡単な言葉で片づけすぎではないか、ということです。
「わがままなんじゃないか」
「甘えているだけではないか」
「親の関わり方が悪いのではないか」
そういう言葉は、たしかに分かりやすいです。
でも、現場で目の前の子どもや家族と向き合っていると、その分かりやすさが、かえって本当のことを見えにくくしてしまう場面が何度もあります。
子どもの行動には、発達の段階があります。
体の使い方があります。
感覚の偏りがあります。
環境があります。
その日の疲れがあります。
家の空気があります。
そして何より、親御さんにも生活があり、余裕があり、削られてきた時間があります。
私は、そういうものをできるだけ切り離さずにみたいと思っています。
子どもの行動だけを見て判断したくない。
親御さんの一言だけを切り取って評価したくない。
その子がどんな毎日を生きていて、その家族がどんな流れの中で今日を迎えているのか。私はそこまで含めて考えたいです。
たぶん私は、物事をすぐに答えにしたい人間ではありません。
むしろ逆で、目の前の出来事を見たときに、「なぜそうなったのか」「何が重なってこう見えているのか」を考えてしまう人間です。
ひとつの言葉で説明された瞬間に、むしろそこで思考を止めたくなくなる。
点で見えるものを、そのまま点で終わらせたくない。
ちゃんと線でつなげたい。
その癖みたいなものが、自分の仕事の土台になっています。

理学療法士の仕事というと、身体をみる仕事だと思われることが多いです。それは間違っていません。
でも、実際に現場に立つと、体だけを見ていても足りないと痛感します。
体の使い方は生活の中で出ます。
生活は関係性の中で揺れます。
関係性は、その日の余裕や積み重なった疲れにも左右されます。
つまり、目の前の困りごとは、ひとつの原因ではできていないことがほとんどです。
だから私は、困りごとを雑に扱いたくありません。
「こうすれば解決します」と軽く言いたくないし、
「こういうタイプだからですね」で終わらせたくもありません。
うまくいかない背景には、ちゃんと理由がある。
見えにくいだけで、そこには構造がある。
私はその構造を、なるべく丁寧に見たいし、丁寧に言葉にしたいと思っています。

noteで発信しようと思ったのもその延長です。
私は、育児や発達の話を、ただのいい話にしたくありません。
読んだ瞬間だけ気持ちよくなって終わる言葉や、正しそうに見えるだけの言葉を増やしたいわけでもありません。それよりも、読んだあとに少し見え方が変わる文章を書きたいです。
子どもを見る目が少し変わる。
親御さんが自分を責める手前で一度立ち止まれる。
支援する側の人が、もう一段深く考えられる。
そういう文章を残したいと思っています。
私は、答えを渡したいわけではありません。
誰かを裁きたいわけでも、正しさでねじ伏せたいわけでもありません。
ただ、現場で何度も感じてきたのです。
本当はもっと丁寧に見たほうがいいのに、
本当はもっと複雑なのに、
本当はもっと背景があるのに、
簡単な言葉で片づけられてしまうことで、苦しさが増してしまう人がいることを。
子どもが苦しいのに、誤解される。
親御さんが必死なのに、責められる。
支援者側も、何を見ればいいかわからないまま、表面だけで判断してしまう。
私は、そういうすれ違いを少しでも減らしたいです。
そのために、自分が現場で見たこと、考えたこと、立ち止まったことを、言葉にして残したいと思っています。

このnoteは、きれいごとを並べる場所ではありません。
現場で見えてきた複雑さを、複雑なまま放置しないための場所です。
誰かの困りごとを、誰かのせいにして終わらせないための場所です。
そして、自分自身が「なぜだろう」を考え続けてきた、その途中経過を、言葉として差し出していく場所です。
私は、子どもと家族の困りごとを、もっとまっとうに理解したいと思っています。
だから働いています。
だから考えています。
だから書いています。

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