見出し画像

②:大人のピアノのお稽古と「 '今さら損切りたくない' 狂信」 (sunk cost fallacy サンク・コスト・ファラシー)


前回の記事
👇

の続きです。

当ブログ「ピアノ方丈記」は、
サンク・コスト・ファラシー(sunk cost fallacy) を、
「 '今さら損切りたくない' 狂信」 と呼び、  

「sunk cost(サンク・コスト)」を「沈没コスト」と言います。そのほうが生々しいと思うからです。  

前回の記事では、
「sunk cost(サンク・コスト)」=「沈没コスト」とは、
株式や、子どもの教育に投じた金額が、
リターンを生むどころか、もはや回収不可能になってしまって、
 「投資💹」が「投棄🚮」になってしまった!😵あちゃ~…
な、金銭的な損失と書きましたが、

これって、
お金だけじゃなくて、
「気持ち」の「sunk cost(サンク・コスト)」=「沈没コスト」もあるんじゃないかな~?
と、個人的に思っています。

で、
子どもの頃にピアノを習っていた人は、特に、
「気持ち」の「sunk cost(サンク・コスト)」=「沈没コスト」の呪縛に
心理的に縛られたまま、人生を送ってきている可能性が高いんじゃないか?
と思うわけです。

「昔、神童。今、ただの人」
って、いますよね。

たとえば、
小学校のとき、家で予習や復習なんてしなくても、
授業を聞いているだけでテストで満点をとって、
通信簿の成績に「5(最高点)」がズラっと並んでいた子が、
中学、高校とすすむにつれて、
次第に成績が落ちていって、
高校を卒業するころには、ただの人になってしまっている人って、けっこういませんかね? 

これは、
生まれつき頭が良すぎて、
小学校時代に勉強グセがつかなかった子どもに多いんじゃないでしょうかね?
だから、
子どもの頃に、あまり出来過ぎちゃうと、
怠けグセが染みついちゃって、
大人になってから、あとあと苦労することもあるんじゃないでしょうかね?

つまり、
「子ども時代の栄光」は、
実は、大人になってからハンデになってしまうかもしれない。

これが意味することは、
「子どもの '公園の砂場遊び' レベル」と
「大人の '社会で働いてお金をもらえる' レベル」
の間には、
歴然とした差がある。
ということですね。 
大人への入り口となる中学/高校の勉強になると、
たとえ「神童」であっても、家で予習復習して、テスト前には覚えて出来るようになっておかないと、テストで良い点が取れなくなっていく。
授業内容が、
小学校の「お子様レベル」から、
中高の「大人への準備レベル」の高度で複雑な内容になりますからね。

当たり前ですよね。

でも、往々にして、
その「当たり前」を、
大人になってからも、心の無意識領域で認めたくない!
そんな、
子ども時代の「過去の栄光」にしがみついて、それをいまだに吹聴している人が、ちらほらいるんじゃないでしょうかね?  

たとえば、
「小学校時代に通信簿がオール5(最高成績)だった!」とか、
「最高偏差値の超難関中学の入試に合格&入学した!」とか、
「小学校時代に〇〇コンクールで入賞した!」とか、
「小学校時代に〇〇検定に合格!」とか。

でも、それは、
「過去の栄光」であって、
今現在は、それは、過去のものなんですよね。

包丁も、使わなければ、錆びてしまって、
今現在、使い物になりませんからね。 
それ、今となっては、「使えない」ものなんですよ。

そして、
「子ども時代の栄光」に、ずーっとしがみついて、
今の現実の自分のレベルに目を背け続けていると、
いつまでたっても、その先へ進めないんですね。
前回の記事で書いた、
天国にも地獄にも行けない「in limbo(リンボ)」の膠着状態が、心理的に続いてしまっていて、
【「子ども時代の栄光」=「 '公園の砂場遊びレベル' の栄光」】であることを認めることができずに、ずーっと現実から目をそらし続けている。

こういう人たちを、2010年代に参加していたピアノ会で、ちらほらお見かけしました。

たとえば、
「子どもの頃に、大手楽器メーカーが経営する音楽教室でピアノを10年習っていました」と、
自慢げに初見演奏を披露する方がいましたね。
その方と、ジャズの話になって、
当時も今も、私はジャズの万年初心者ですが、
その人がジャズに興味があるんだそうで、
「ジャズってどういう音楽なんでしょうかね?」
って言われたので、
「クラシックと違って、たとえば、ベースで「C」を押さえながら右手で「D、F#、A」の和音を押さえて曲を終えることがカッコイイとされる音楽なんじゃないでしょうかね~?」
って私が言ったら、その人、顔が「真っ白」になっちゃったよ。
よく英語で顔が「blank(ブランク)」になるっていうけど、
まさしく、それだったね。
私が言った内容を頭で認識&理解できなかったんだね。
人は、聞いた内容が認識&理解できないと、なんともいえないような無表情になるんだね。
「子どもの頃に〇〇を10年!」なんて、そんな程度のものなんだよね。
  

私が「この人はスゴすぎてもはや異常!」と思っている超一流ケンバニストさんは、「子ども時代の栄光」を伏せてますね。 経歴に「〇〇で全国〇位!」とか書いてないからね。  それでいて20代の頃から30年間、音楽業界で仕事が全然途切れずに第一線で続けているもんね。  
他の一流ケンバニストさんで「子ども時代の栄光」を経歴に書いている人もいるけど、それにはぶっちゃけ、あんまり意味が無くて、今現在、大人(音楽産業)で結果を出し続けていることが、その人の実力の何よりの証明になっているんだよね。 

そして、
今現在、音楽産業の頂点で演奏仕事をする一流以上のケンバニスト/ピアニストは、
子どもから大人に成る過程のどこかで、必ず、
音楽における「大人への通過儀礼」を経て、音楽産業でお金を稼げる音楽能力を培って獲得したから、プロ演奏家として仕事ができている=稼げているのだと、私は思っています。
「子ども時代の栄光」しか無い人は、とっくの昔に淘汰されて、今は一般人として一般的な仕事をしていると思います。  


大人からピアノを始めた人たちは、
「ピアノ継続組」や「ピアノ再開組」が吹聴する、彼らの「子ども時代の栄光」話の内容を、
大幅に割り引いて聞いて丁度いいと思います。90%ディスカウント(つまり「1掛け(いちがけ)」)でいいんじゃないでしょうかね。
「 '公園の砂場遊び'」どまりで「通過儀礼」まで行かなかったから、今現在その人たちは素人のピアノ愛好家なわけです。
素人のピアノ愛好家に、趣味の継続年数は基本的に関係無いよ。
みんな一緒くたに素人の趣味だからさ。
キャリア(仕事)の長さじゃないからね。


====👇前回の記事の本文です👇=====


ピアノを習い始めた大人のピアノ初心者や、
大人になってピアノを再開した大人ピアノ再開者が、
まず考えることは、

「ピアノのレッスンを受けたほうがいいだろうか? 
 それとも独学でやってみようか?

だと思いますが、

その際に、よく耳に入ってくるのは、

「ピアノ初心者は、ピアノ教師のレッスンを受けなければダメ!」

「独学すると変なクセがつきますよ! だからレッスンを受けましょう!」

というような、ピアノ教育業界(ピアノ教師たち)からの、なかば脅しのような掛け声です。 

さらに、

「3歳から30年間、ずっとピアノを習っています。中学生の頃から変わらずショパンのノクターンを指導して頂いています。やっぱり、ピアノの先生の厳しいダメ出し指導が有難い!」 

「やっぱり私はレッスンを受け続けてよかった!」

というような、
先達のピアノ愛好家たちからの、感極まったような感情の吐露の文章ですよね。  


ところで、
会社員の人や、株式投資をしている人は、
上記のような言動の裏に、
「サンク・コスト・ファラシー」という概念が潜んでいるかもしれないことを、知っています。

「サンク・コスト・ファラシー sunk cost fallacy」とは、
 グーグルAIによれば:
====================
The sunk cost fallacy is the irrational tendency to continue an endeavor or course of action because of past investments of time, money, or effort, even when new evidence suggests that stopping would be the better choice. Rather than abandoning a losing venture to "avoid wasting" what has already been lost, a person falls for this bias by prioritizing past losses over future benefits and making decisions that are not in their best interest.

日本語では👇
サンクコストフォールシー(sunk cost fallacy)(👈「ファラシー」の発音のほうがもとの英語に近いと私は思うよ!)とは、すでに投じたお金、時間、労力といった回収不可能な「サンクコスト(埋没費用)」を惜しむあまり、合理的でない行動を続けてしまう心理現象のことです。その結果、損失が拡大しても「もったいない」という感情に囚われてしまい、本来なら打ち切るべき状況でも事業やプロジェクトを継続してしまう、といった非合理的な意思決定につながります。
=======================

ということなんですが、

sunk cost(サンク・コスト) とは、
「沈んでしまった(sunkサンク。sinkシンク(沈む)の過去完了形だね)
 費用(cost=コスト)」のことですね。
グーグルAIが言うとおり、
「すでに投じたお金、時間、労力といった回収不可能な費用」のことですね。

sunk cost(サンク・コスト)は、日本語では「埋没費用」と訳されますが、
私は個人的には、
「沈没コスト」と言ったほうが、生々しくていいんじゃないかと思いますね。 
商船(=昔の企業)が嵐で沈没してしまったら、
商船に積んでいた商材も、世界の港に寄港して商売して稼いだ儲けのお金も、船自体も、何もかも、
みんな海の底深くに沈んでしまうでしょ?
海の底に沈んでしまったものは、まず回収できないもんね。
つまり、
商船(企業=ビジネス)にお金を投資した投資家(株主)たちのお金が、
商船もろとも丸ごと沈没してしまって、投資がパー!
だから「沈没コスト」のほうが、イメージが湧きやすくありませんかね?

沈んでしまったものって、取り戻せますか?って、
取り戻すの、まず不可能ですよね。
大海原の底深くに沈没してしまったものって、海の底まで潜って回収できませんよね。 

そんなイメージですかね。 

いままで「投資」と思って支払い続けていたコストが、
その額を回収して余りあるリターン💹をもたらしてくれること無く、
海の底に沈んでしまった沈没船のように、もはや引き上げて取り戻すことの出来ない投資。
つまり、
「投資(とうし)💴」と思ってお金を投じていたら、
実は、海洋「投棄(とうき)🚮」になってしまっていた!
っていうお金のことを、
サンク・コスト=sunk cost=沈んでしまって回収することがもはや不可能な費用
と言うんですね。

「投資(とうし💴)」が「投機(とうき💹)」だと思っていたら、
「投資(とうし💴)」が「投棄(とうき🚮)」になってしまっていた!
 あちゃ~😵


それから、
サンクコストファラシー(sunk cost fallacy)」の
fallacy(ファラシー) = 
a mistaken belief, especially one based on unsound arguments. 
「それ本当にそうなの?」みたいな、いぶかしげな主張に基づいた間違った信念 みたいな感じですかね?


当ブログ「ピアノ方丈記」は、
サンク・コスト・ファラシー(sunk cost fallacy) を、
「 '今さら損切りたくない' 狂信」 と呼びます。


「 '今さら損切りたくない' 狂信 (sunk cost fallacy)」の典型的な例は、


💴⇨🚮 例①:
破綻が目に見えている企業の株を損切りたくないから売れないでいる
 👉そしてやっぱり企業破綻!
 👉保有していた株が全部紙切れに…💸.。o○…。投資した金額の全額が損失確定🚮!!!!! あちゃ~😵…

💴⇨🚮 例②:
不採算事業を減損処理できずにずーっと放置(だって'あの人'の号令で始めた事業なんだもん…誰も猫の首に鈴をつけられずに放置)
 👉そして企業業績のお荷物化=ゾンビ事業化…
 👉結局、投資額を全額損失処理🚮!!! あちゃ~😵…
って、おい!あちゃ~😵…で済まねーだろーが(怒)!!!
「損失処理」っていうのは、
「あの事業への投資💴は、費用として泡のように消えてしまいました💸.。o○。大変申し訳ございませんでした!と、経営陣が全員で角度90度の謝罪のお辞儀…」
てか、つまり、
「あの事業投資は大失敗でしたっ! 大損こきました!!!」
ってハッキリ認めることじゃねーかよっ(怒)(怒)(怒)(怒)(怒)!!!!!


👆というように、なにやら剣呑(けんのん)な雰囲気になってきますね。 


そして、
個人の株式投資以外にも、
「 '今さら損切れない' 狂信 (sunk cost fallacy)」に陥っちゃう家庭や個人が、けっこうありますかね? 

たとえば、

💴⇨🚮 例③:
「高学歴ワーキングプア」の子どもと、その親なんて、
「 '今さら損切れない' 狂信 (sunk cost fallacy)」の「リンボ(limbo)」状態になっちゃっていて、前にも後ろにも行けない状態になっていませんかね?

 【大学への受験費用  +  大学の学費  +  卒業後の海外留学】
 に親が投じた費用があまりにも莫大過ぎて、
親は今さら、40過ぎても実家ニートの我が子に、
「もう夢を追いかけるのを止めて、どんな仕事でもいいからバイトから始めなさい!」 なんて、
今まで我が子の学歴をさんざん周囲に自慢してきた手前もあって、
今さら言えない。
子どものほうは子どものほうで、
「自分がバイトから再出発したら、お父さんお母さんが無理して払ってくれていた学費をドブに捨てることになってしまう(つまり家系の損失が確定してしまう)」
と思うから、
親も子も、前にも後ろにも進むことができずに、
進退きわまった現状のまま「どっちつかずの宙ぶらりん状態」
つまり「リンボ(limbo)」状態のまま、
親も子も齢だけとっていく…
みたいな状況にハマっていませんかね?

ところで、
「リンボ(limbo)」状態って、いったい何よ? 

「リンボ(limbo)」とは、検索すると、
 「曖昧で宙ぶらりんな状態」
 「忘れられていること、無視されていること」
 「ローマカトリックにおける死後の世界(辺獄)」
なんて意味が出てきますが、 

私が知っている限りですが、
キリスト教のカトリックで、昔むかし、こんなことが議論されたそうです:
 キリスト教の天国へ行ける人の条件は:
   ①教会で洗礼を受けていること!
   ②現世で罪を犯さずに一生を終えたこと!
であるが、
  教会で洗礼を受ける前に、生まれてすぐに死んでしまった赤ん坊は、死んだら一体どこへ行くのか?????
  上記の①②が天国へ行ける条件ですから、
 その赤ん坊は、
  ①の「教会で洗礼を受けていること」の条件を満たす前に、かわいそうに、生まれてすぐに死んでしまいました。
 でも、
 まだ悪事を考えることもできない、生まれてすぐの赤ん坊で死んでしまったので、
  ②の「現世で罪を犯さずに一生を終えた」条件は満たしています。
つまり、
  条件①「洗礼を受けた」は満たさないけど、
  条件②「罪を犯さず一生を終えた」は満たしている。
というわけで、
当時のカトリック教会の偉い人たちが、いろいろ議論した結果、
「このような、洗礼を受ける前に死んだ赤ん坊は、
 天国でも地獄でもない、
 「辺獄(limbo)」という場所に行くのだ!!!」
と決めたそうなんですね。 
言い換えると、
 洗礼を受ける前にかわいそうに死んでしまった赤ん坊は、
 この世で罪を犯さずに死んだので、地獄に行くことは絶対にないけれども、
 洗礼を受けていないから、天国に行くこともできない。だから
 天国でも地獄でもない、
 白黒はっきりつけられない
 中途半端な場所「辺獄(limbo)」に、永遠にとどまるのである!
と、カトリック教会の偉い人たちは決めたのでした。

だから、
 「リンボ(limbo)」というのは、検索すると、
 「曖昧で宙ぶらりんな状態」(👈天国でも地獄でもない所なので)
 「忘れられていること、無視されていること」
 「ローマカトリックにおける死後の世界(辺獄)」
という検索結果が出てくるんですね。

この「in limbo」状態、つまり、
白黒はっきりつけられずに「曖昧で宙ぶらりんな状態」に居る人が、
けっこう多いんじゃないでしょうかね?  

で、こういう、
今まで投じた「投資💴」の金額が「投棄🚮」すなわち「金銭的な損失💸.。o○」に確定することを直視できない人たちが、
ピアノ教育の世界にもけっこういるんじゃないかと。

だから、
そういう人たちは、
 大人のピアノ初心者が、
  「大人から始めるピアノだから、
   ピアノが好きかどうか自分でわかるまでは、
   とりあえずお金をかけずに、
   ネットの情報を使って無料で気軽に初めてみようかな~ ♪」
とか、
 大人ピアノ再開者が、
  「大人の再開組なので、
   今は昔と違ってネットで無料の情報が手に入るから、
     とりあえず自分でやってみようかな~ ♪」

と思っている人たちを見ると、
ヤキモキして居ても立っても居られなくなるんじゃないでしょうかね?
だって、
「無料」でピアノを始めたり再開したりする人たちが、
「無料」のまま、自分たちよりも、あるいはそうでなくても、
自分たちに匹敵するくらいに上達してしまったら?
そしたら、
自分たちが長年ピアノのお稽古に「投資💴」してきた金額が、
「投棄(とうき🚮)」したことになっちゃうじゃないですか?

大人ピアノ初心者や再開者がタダで結構いいセンで上達しちゃったら、
自分たちが大損こいたことになっちゃう!

そういう無意識の気持ちもあって、
大人になってピアノを始めたり再開したりする人たちを、
「彼らの側」に引っ張り込んで沈没させようとして、
お節介みたいなフリをして色々と言ってくるっていう側面も、
無きにしもあらずなんじゃないでしょうかね? 
そういう、
地獄に行く覚悟ができずに、宙ぶらりん状態のまま時だけが過ぎて行っている人たちは。 
彼らは、そう意識しているんじゃないけど、
彼らの脳の無意識領域が、彼らにそう言わせたり書かせたりしている可能性も有ったりして。

だから、
そういう人たちの「脅し」や「煽り」や「虚勢」の言葉を、
額面どおり真に受ける必要は、ぜんぜん無いんじゃないでしょうかね。 
趣味ではお金は増えませんから、お金はかけないに越したことありませんからね。 
「お金をかけずに趣味のピアノを弾いて楽しむ」以上の成功は、ありませんものね。


~ピアノ方丈記~


いいなと思ったら応援しよう!