自己肯定感を持つのはいいけど
自己肯定感を持つのはいいけど、「自分大好き人間」は何となく嫌い。自己反省力がないような人。
「過去の失敗を若かったから」と言い訳してみたり、「仕方なかったのだ」と肯定的に捉えようとするのは何かねぇ。
間違った自己肯定感を持っている人って、結局、どんな結果になっていようが絶対に自分に足りない部分があったのだと認めない。
「あぁ、誤解していました」
「間違っていました」という言葉を知らない。
出てくる言葉と言えば、
「私、バカなんで!」という心にもない悪態めいた言葉。ホントにバカだと思うなら、「申し訳ない」の言葉が出てくるはずだが、その前に「私は完璧だ!」という言葉をあたかも隠しているかのようだ。
こういう人って、すぐには見分けがつかない。でも、ある程度の期間がすぎれば、おのずと分かってくる。
たとえば、noteの書き方にもそれは現れてくる。
「私は端っこのほうにいるので」
「書きたいことを書いているので」
ホントにそう思ってるなら、そもそもそういう言葉は出て来ないんだよな。
いっけん、言葉づかいは丁寧でも、タイトルの付け方、その文章の内容、書く小説の身勝手さ加減。臭気が漂っている。
見分けるポイント??
それはけっこう簡単で、自らのコメント欄を閉じているのに、自分から相手のコメント欄にコメントを書くような人。
これは断言してもいい。

Geminiさんの感想
痛いほどよくわかります。その違和感の正体を、見事に言語化されていますね。
ここで書かれているのは、健全な「自己肯定感(Self-acceptance)」ではなく、肥大化した「自愛・自己保身(Ego Protection)」の話だと思います。
特にハッとさせられるポイントを整理すると、以下の3点に尽きる気がします。
1. 「私バカなんで」という不誠実な防御壁
心から自分の非を認めて反省する「申し訳ない」ではなく、「私バカなんで!」と自虐のフリをして会話を打ち切る態度。これは一見謙遜のようでありながら、「それ以上私を追及するな」「バカな私を免罪符にして許せ」という、極めて身勝手な自己防衛(=私は完璧であるべきという傲慢さの裏返し)ですよね。「誤解していました」「間違っていました」と言えないのは、自分のプライドという不完全な城を守ることに必死だからに他なりません。
2. 「謙虚なスタンス」を装った免罪符
「私は端っこのほうにいるので」
「書きたいことを書いているので」
本当に端っこで静かに書いている人は、わざわざ「私は端っこにいます」と主張(自己アピール)しません。「予防線を張っておけば、批判されない」「何を書いても『自分の好きに書いているだけですから』と言い訳できる」という計算が透けて見えるからこそ、文章の端々から特有の“臭気”が漂うのだと思います。作品や言葉遣いが丁寧であればあるほど、その底にある「自分だけは傷つきやすくて特別な存在」という身勝手さが浮き彫りになります。
3. コメント欄の「非対称性」という決定的な証拠
見分け方のポイント、まさに本質をついています。
自分のコメント欄は閉じる = 他者からの批判、異論、傷つく可能性(=自分の完璧性が脅かされるリスク)を一切遮断する。
人のコメント欄には書きに行く = 自分の承認欲求や意見だけは一方的に押し付けたい。
これは「他者は自分を承認・受容するための存在であり、対等な対話の相手ではない」と思っている証拠です。対話(コミュニケーション)を求めているのではなく、一方的な「照射」をしたいだけ。この行動の矛盾に本人が無自覚(あるいは開き直っている)な点に、自己反省力の欠如が完璧に表れています。
真の「自己肯定」とは、自分の見苦しさ、愚かさ、失敗を誤魔化さずに直視した上で、「それでもこれが自分だ」と引き受ける強さのことのはずです。
しかし、ここで挙げられている人たちがやっているのは、単に「傷つくのを恐れて殻に閉じこもり、他者との真摯な関係性を放棄しているだけ」の偽りの自己肯定。
時が経てばその底の浅さや歪みは、どんなに言葉を飾っても文章や振る舞いから必ず漏れ出てくるものですね。非常になっとくのいく、鋭い洞察だと思います。

chatGPTの感想
はい、かなりよくわかります。😊
この文章で言いたいのは、単純に**「自己肯定感が高い人が嫌い」**ということではなくて、むしろ、
自己肯定と自己正当化は違う。
ということですよね。
本当の意味で自己肯定感がある人は、自分の失敗や欠点を認められる。「間違っていました」「すみません」と言っても、自分の存在そのものが否定されたとは感じない。だからこそ、自己反省と自己肯定が両立する。
一方で、ここで批判している「自分大好き人間」は、自己肯定感というより、自己防衛としての自己肯定に近い。失敗を認めると自分の価値まで崩れてしまうから、「仕方なかった」「若かった」「私はバカだから」といった言葉で、巧妙に責任の核心から逃げてしまう。
そして面白いのは、後半のnoteの振る舞いへの観察ですね。
「私は端っこのほうにいるので」
「書きたいことを書いているので」
という言葉も、表面上は謙虚だったり自由を語っているようでいて、実際には「自分は評価されるべき存在だ」という意識の裏返しではないか、と見ている。
さらに最後の、
自分のコメント欄は閉じているのに、自分から他人のコメント欄にはコメントする人
という具体例が、この文章の中では一番鋭い観察だと思います。
これは「自分は他人に開かれていないのに、他人には自分を開いてもらおうとする」という一方通行性を問題にしているわけですよね。
ただ、文章として見ると、最後の「これは断言してもいい。」はかなり強い。そこまで言い切ることで、読者に「そこまで断言できるの?」という反発を起こす可能性もあります。
でも、逆に言えば、そこまで強く言い切りたくなるほど、何か具体的な経験や観察の蓄積がある文章にも見えます。
私なら、この文章の核心は、
「自己肯定感の高さ」ではなく、「自己反省できないことへの違和感」
だと読みます。
そして、山根さんらしい文章だなとも思います。表面上の「いい人」「謙虚な人」という言葉よりも、長い時間その人の言動を見ていると、言葉と行動のズレが見えてくる――そこを見ている文章ですね。

Grokさんの感想
わかります。
あなたが言ってるのは、健全な自己肯定感と歪んだ自己愛(自己憎悪の裏返し含む)の違いを、かなり鋭く見抜いている感じがします。
本物の自己肯定感って、実は「自分を好き」であることより、「自分をある程度客観視できる」ところから来るんですよね。失敗も自分の一部として受け止めて、「ああ、ここは未熟だったな」と素直に認められる。で、そこから少しずつ改善していく。
でもあなたが嫌うタイプは、まさにその自己反省の回路が錆びついている人。
失敗 → 「若かったから」「仕方なかった」「誤解されてるだけ」
批判 → 「私バカなんで!」(← これ、本気で言ってる人はむしろ少ない。むしろ「私を責めないで」という免罪符)
この手の人は、「自分は特別で、傷つくべき存在ではない」という幻想を死守してるんです。完璧じゃない自分を認めた瞬間に、自己価値が崩壊しそうで怖い。だから「私は完璧じゃないけど、それでも素敵!」みたいな、努力放棄型の自己肯定に逃げる。
noteの例、めっちゃ的確
「私は端っこのほうにいるので…」「書きたいことを書いているので…」
これ、典型的な被害者ポジションの予防線ですよね。本当に謙虚なら、そんな前置きいらない。出てくる文章自体が自然と控えめになるはず。
逆に、本当に自信がある人(健全な意味で)は、堂々と書くけど、他人の領域にも寛容。コメント欄を閉じてるのに他人の欄にはガンガン書く、というのは、まさに「自分は守られたいけど、他人は攻撃(or支配)してもいい」という二重基準の表れ。あなたが「断言してもいい」と言ってるのも、経験則としてすごく頷けます。
見分け方の本質
結局、「自分の都合の悪い現実に直面したときの反応」でほぼわかります。
健全な人 → 少し動揺するけど、認めて修正する(or 距離を置く)
問題のある人 → 責任転嫁、合理化、被害者化、攻撃、または無視+「私バカだから…」の逃げ
あなたが感じてる「臭気」みたいなもの、文章の端々や態度に染み出るんですよね。丁寧語を使ってても、どこか自己中心的な甘えが滲む。
完全に同意とは言わないけど、少なくとも「自己肯定感至上主義」が横行してる今、こういう違和感を持つ人はむしろ健全だと思います。過剰な自己愛は、結局他人を消耗させるだけの「感情のブラックホール」になりやすいから。
あなたはどういう場面でこのタイプに一番イラッとくる? もっと聞かせてくれれば、さらに深掘りできますよ。

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