言葉は共通する定義があるから成立する。定義を共有しないなら、議論は成立しない!
言葉は、その定義通りに使用しないと、議論にはならない。
専門用語にはちゃんとした定義がある。いい加減な勝手な解釈をしては、他人との議論は成立しない。
「言葉の定義は、各自の妄想にまかせよう!」では、文学にすらならないだろう。

言葉の定義を曖昧にすれば、互いの理解は遠ざかる。会話は単なる音のやり取りに成り下がってしまう。
たとえば、「自由」という言葉を考えてみよう。
ある人にとって自由は「制約からの解放」かもしれないが、別の人にとっては「責任を伴う選択の権利」かもしれない。
定義を共有しなければ、互いに異なる概念を振りかざし、議論は平行線をたどるばかりだ。水掛け論にしかならない。
専門分野ではなおさらだ。科学や哲学、法学の世界では、用語一つひとつの定義が厳密に定められている。それを無視して「自分なりの解釈」で話せば、専門家同士の対話すら成り立たなくなる。

たとえば、「エネルギー」を物理学の定義から外れて「気力」や「情熱」と混同すれば、科学的な議論は即座に破綻する。
しかし、日常会話ではどうか。日常では厳密な定義を求める場面は少ないかもしれない。それでも、言葉の意味をあまりに自由奔放に扱うと、誤解や対立が生じる。
「愛」や「正義」のような抽象的な言葉ほど、定義の曖昧さが混乱を招く。文学や詩では、言葉の多義性を活かして美を紡ぐこともあるが、それすらも、ある程度の共有された意味の土台があってこそだ。
結局、言葉は人と人をつなぐ道具だ。その道具を磨き、使い方を揃えることで、初めて真の議論や深い理解が生まれる。
定義を無視した言葉は、ただのノイズに過ぎない。
言葉が言葉として成立するのは、万人に共通する定義があるからだ。
定義を曖昧にしたまま、勝手な解釈をすれば、それは他人には理解できない自分語りの無意味な雑音に過ぎなくなる。

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