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8/20 | #理解はしてほしいこと(死者| 障がい|承認欲求 |母親 |註 |ピンク)

#理解はしてほしいこと

 共感はしてもらえないかもしれない。けれども、理解はしてほしい。
 普段の生活の中では、なかなか言えない内に秘めた想いを短いエッセイにして語ってみよう!という個人企画です。

募集要項はこちら(↓)

💝きいて、い、ま、す、よ💝
ふふふ😄

ももまろさん(2回目)

 さきほどの記事で、紹介させていただきました😳💦。
 2回目のご参加、どうもありがとうございます😃💕。
 ご紹介記事はこちら(↓)


偏光さん

 偏光さんの自己診断によると、「解離性障害」だという。
 私は医師ではないので、判断することはできません。ただひとつ言えることは、身体的な外傷は、周囲の理解を得られやすいけれども、内面の障害というものは周囲の人々には理解されにくいと言うことだけです。
 骨折してギプスをしていたり、松葉杖をついていれば、怪我で苦しんでいることは理解されやすい。その一方で、ウツ状態や適応障害といったものは、素人には見た目だけではわかりません。

 ウツに関する質問項目が仮に10あるとすると、私はだいたい7~8コくらい当てはまってしまう。私はウツなのだろうか?、については分かりませんが、ゼロっていう人もあまりいないような気がします。
 精神的な病か否かということの判断は、専門家プロパーに任せるしかないのですが、第三者はその人の「気質」というものに配慮することが必要ですね。同じ言葉でも、人によって受け取り方は様々です。

 偏光さん、企画へ参加していただき、ありがとうございます😃💕。どれだけ偏光さんの気持ちを汲み取れたか、心許ないのですが、理解、少なくとも「配慮」されるようになることを願っております。


ion_Irisさん(2回目)

 人から認められたいという気持ちは、誰にでもあるものではないでしょうか?それ自体は悪いことではありませんね。
 認められたい気持ちがあると、一生懸命がんばるモチベになりますね。その場合には、たいてい「公平に評価してほしい」という気持ちも同時にもっていると思います。
 「公平さ」が担保されているならば、他人に負けたとしても、ある程度納得できますが、「不公平」な評価だと「何であいつのほうが評価が高いんだ。おかしいじゃないか?」という気持ちが醸成されます。
 かつてのセンター試験のようなテストは、唯一解を求めるテストなので「公平さ」はあるように思います。しかしながら、会社における評価というのは、単純に売上に貢献した人が評価されるとは限りません。それが、厄介なところですね。「人柄」「温厚さ」「調整力」というものは、なかなか判定が難しい。
 人脈とかコネといったものも、「ヒューマン・ネットワーク力」と言えるわけで、「コネ=悪」とも言えず。

… …ええと、なにを言おうとしたのだろう?

 単純に言えば、人の「承認」というものは、「努力」や「成果」だけではない!、ということでしょうか?
 運や時勢というものにも大きく影響されますね。何が起きても「ケ・セラ・セラ」と思っていれば間違いないですね😊。
 ion_Irisさん、2回目の企画参加、どうもありがとうございます😃💕。


n@毎日投稿さん

 私が幼かった頃「めそめそするな」とか「男のクセに泣くな」みたいなことを、家でも学校でも言われた記憶があります。女の子の場合はどうだったか、という記憶はありませんが、女の子に泣かれると、こちらのほうが泣きたいということはあったと思います。
 女性だから、男性だから、というと男女差別になってしまうでしょうか?
 何年か前に、「涙は女の最大の武器だからね」と、とある国の人気のある総理大臣が述べて物議をかもしたこともありましたね。
 私は、別に泣くこと自体は、いいとも悪いとも思いません。悲しいときは、泣きたくなることがあります。うれしいときだって泣くこともあります。
 笑っていたって心の中で泣いているときもあります。
 私は別に無理して泣かないようにする必要はないと思います。感受性が豊かなのかもしれません。
 泣きたくないのなら、自分がどういうときに泣きやすいのかということを想起してみて、事前にそのような状況になることを避けるしかないようにも思います。避けられないときは仕方ないですよね。泣かない人が立派だとは言えないと思うのです。

 n@毎日投稿さん、企画へのご参加、どうもありがとうございます😄。


のーこさん

 のーこさんは、亡くなったお母さまへの後悔の気持ちをつづっていらっしゃいます。以前、のーこさんと同様にお母さまを亡くされた経験をもつ1976blueさんの記事を紹介させていただいたことがあります。とても感動的な記事で、今でも読み返しています。

 娘と母親との関係性と、息子と母親との関係性が同じものなのかどうか分かりませんが、いずれにしても「母親」の存在は大きいですね。生まれる前からおよそ10ケ月の間、一心同体だったわけですから。
 今でこそ、共働きが一般的になりましたが、昔は母親と過ごす時間のほうが圧倒的に多く、思い出もたくさんあったことでしょう。
 今回のこの「#理解はしてほしいこと」で、何回か人の死を扱いましたが、死というものを前にすると、生きている私たちは沈黙せざるを得ないことが多いですね。
 亡くなってしまった方に、直接なにかしてあげられることはないのですが、亡くなってしまった方のことを、時折思い出すということは、私たちにできる最大の供養ではないでしょうか?
 少なくとも、私たちが亡くなった方のことを思い出すとき、私たちの心の中で亡くなった方は生きていると思うのです。墓参りとは、亡くなった方、そして自分の内面との対話ですよね。

 のーこさん、企画へご参加していただき、どうもありがとうございます😃💕。


九條正博さん(2回目)

 歴史書についている「註」(補注、注釈)の重要性に関する記事です。
 「註」がついていても、目を通さない人も多いと思いますが、「註」こそ、本や論文の価値を決めるものだと言っても過言ではありませんね。
 その著者がなにを参考にしたのか、そしてなにを思ったのか?

 私は、経済学専攻だったのですが、註の大切さを知ったのは、大学院生のときでした。
 自分で、修士論文を書くときに、出典を明示することや、註(注)の付け方について、けっこう口喧しく指摘されました。理系の論文についてはよく知りませんが、歴史などの人文科学、経済学のような社会科学では、ひとつの註もいい加減に扱うことはできませんね😄。

 歴史の論文というものは、あまり読んだことはありませんが、その註の付け方は大変だろうな、という想像はできます。特に、「引用」ひとつとってみても大変なのではないでしょうか?

 自分が引用しようとしている箇所に、「誤植」があった場合。一般書や個人的なブログでは、あまり気にせず「誤植」を正しいものに「改竄」しても大きな問題はありません。しかしながら、「論文」としてまとめる場合には、「ママ」(『原文のまま』の意味)とルビをふった上で、註に「*◯◯は✕✕の誤植である」というように、「原文」を尊重しなくてはなりません。これが、けっこう面倒くさい。
 論文の最後に載せる「参考文献」(references, bibliography)を作るだけでも、かなりの重労働ですね。
「前掲書」とか「ibid」とか、面倒なことこの上ない。
 しかしながら、ここをいい加減にすると、九條さんも指摘されている通り、論文の程度が低いという評価を受けることになってしまいます。

九條さん、企画へ2回ご参加していただき、感謝にたえません。ありがとうございます💝。重要な御指摘だと思います。本を選ぶときも、注釈のきちんとしたものを選びたいですね😃💕。


リコットさん

 リコットさんは、ピンクが好きでいらっしゃるようですね。女の子👧はピンクが好き、という印象はあります。どうなのでしょう?ピンクはあまり、、、という方もいるとは思いますが、好きな色があるのはいいですね😊。
 自分の好きな色の持ち物をもつことは、ひとつのアイデンティティだと思います。
 男女で差別するのはよくないとは思いつつ、男子でピンク好きな人はどうなのでしょう😊?
 私は、ブルーか黒いものが好きです。別にいいですよね。

 リコットさん、企画へのご参加、どうもありがとうございます。
てはまた。
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山根あきら | 哲学者 記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします