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💮noteではnoteでしか読めない記事を読みたい❗

わたしもnoteするようになってから3ヶ月が過ぎた。

なんとなく始めたnoteではあったが、いろいろと初めて考える🙄ことがあった。

当初は自分がなにをどう書くかを考えていたが、最近は、noteで「なにをどう読むか」を考えている。

振り返ってみて、わたしはどういう記事を好んで読んできたか?

一言でいうと、「肉声が聞こえてくる記事」を好んで読んできたような気がする。

どんなに自分とは異なる趣味や考え方であったとしても、その記事を書いた人の声が聞きたいのだと思う。「客観的」な記事より、「主観的」な記事のほうが、はるかに面白い。

具体的なお名前を挙げると差し障りがあるので、想像上の例を挙げてみる。
(A)と(B)なら、あなたはどちらを選ぶだろうか?

(A)客観的な記事

北緯○✕度、東経○✕度に位置する墓地をある男性が訪れた。手には💐花束をもっていた。
快晴☀️だったが、その男性が墓参りを終えた頃、前線が通過したため、一時間あたり5ミリの雨☔が降った。

(B)主観的な記事

わたしは、中学生のときも、高校生になってからも、問題児だった。
お袋には大変な迷惑をかけてきた。そのお袋が突如、交通事故で死んでしまった。
わたしは、生前、お袋には感謝していたが、結局「ありがとう」のひとつも言えないまま、お別れすることになってしまった。
「もう、手遅れだ」とは思ったが、バイトで貯めた金で花屋で💐花束を買い、墓前に置いた。
「母さん、ホントにすまなかったね」とひとり呟いたとき、わたしの声が天国👼にいるお袋にきっと届いたのだろう。
さっきまで晴れて🌞いたのに、まるで、天国にいるお袋が泣いたかのように、急に雨☔が降り出した。わたしは、お袋が許してくれたのだ、と思った。


端から見た場合、(A)も(B)もまったく同じ状況を表している。
しかし、わたしは、(A)の「客観的な記事」より、(B)の「主観的な記事」のほうが断然いいと思っている。

わざと極端な例にしてみたが、自分の気持ちを殺して、客観的になろうとすると、(A)のような記事になってしまう。

もっと言えば、客観的な経済分析とか、客観的な自己啓発のための処世術のような記事は、読んでいて辟易するのだ。

客観的なことなら、新聞や雑誌や書籍を読んだほうが、noteの記事を読むより、はるかに有益ではないだろうか?

冷静な経済分析より、「おとなのおもちゃ」にハマった人の話とか、「今日の勝負下着は赤にしてみました」という話を聞いたほうが(比較するのも失礼なくらい)ずっーと、ずっーと面白いし、読んで得した気持ちになる。

あなたが、「自分では大したことない!」と思ったとしても、わたしにとっては、「そういう考え方もあったのか!」となることが多い。

人からどう思われるかとか、恥ずかしいとか思わずに、自分が感じた、人との「違和感」みたいなものを書いたら、それは間違いなく、他人にとっては「読みごたえ」のある記事になるはずだ。

人それぞれ、みんな違う人間なのだから。

わたしは「ミスターX」の話ではなく、心も体も1つしかない、あなたの声を聞かせてほしい、と思う。

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山根あきら | 哲学者 記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします