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note論 | 自分の記事に自分でコメントを書く人の心理について。




note論 | 自分の記事に自分でコメントを書く人の心理について。


コメント欄には、記事を書いた本人がコメントを書くことができる。たいていの場合、私が記事を書けばコメントするのは、私の記事を読んだ他人なのだが、自分の記事に自分でコメントを書く人がいる。

投稿後に補足したいことが出てくれば、記事の本文に書けば事足りる。記事を修正するほどではないが、付け加えたいことがあれば、本文中に注記として書けばいい。コメント欄を「あとがき」として使う人もいるが、それも本文中に書こうと思えば書けることだ。

もちろん、読者からコメントがなくても、自分でコメントを書いてはいけない理由はない。だが、本文中に書けることをコメント欄に書く意義はどこにあるのだろう?

たとえば、「コメントはお控えください」と書くことは理解できるが、それ以外の場合はどのような心理が働いているのだろう?


書いた時点での記録として、記事をそのまま残しておきたいならば、自分で自分のコメント欄にコメントを書くのは理解できる。

しかし、自分の記事にコメントを書く人はだいたい毎回のように、自分でコメントを書いている。

最初の頃は、私にはそれが不思議だった。

コメントが欲しいのに、誰もコメントを書いてくれないから寂しいのかな?、と思ってみたり。他人が書こうが、自分が書こうが「アクセス状況」の数字には、コメント数として表示されるし、自己満足というか、自己憐憫というか、そういう意味合いがあるのかな、と考えたこともある。

だが、自分の記事のコメント欄に自分でコメントを書くメリットはある。

それは、いちばん最後の行までちゃんとスクロールしてくれたかどうか確かめられることにある。

noteのコメント欄は記事の本文の最後にくるものだから、コメント欄にたどり着くには最後までスクロールしなければならない。

スキ❤️はページを開かなくても押すことができるから、最後まで目を通したという証拠にはならない。ビュー数にしても、単に画面に表示された数だからページを開いたのかどうかわからない。

だから、コメントを書く人は少なくても最後までスクロールした人だ。そこに自分で自分のコメントを残しておいて、コメントに「スキ❤️」する人がいたら、「最後まで見た」という証拠になる。

コメント欄も自分の記事の一部のようなものだから、どう使おうがかまわない。コメント欄を閉じるのも自由だ。だから、自分でコメントを書いても問題はない。






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山根あきら | 哲学者 記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします