メイドの飛脚⑫
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メイドの飛脚⑫
私は机に向かい、まっさらな便箋に新しい物語の続きを書くことにした。
「私が走り始めたのは、誰かの笑顔を取り戻したかったから。手紙は、そのための魔法だったんです」
メイドのさんの言葉が思い浮かんだ。「誰かの笑顔」の「誰か」と誰なのだろう?
「君が走り続けるなら、想いは必ず届く」とも言っていた。
メイドさんに「君」と呼び掛けた人は誰だったのだろう?
友だちか彼氏、あるいは先生だろうか?
そういえばメイドさんは、引っ越しで思いを伝えられなかったと言っていた。私はそこまで考えたとき、ふと亡くなった妻のことを思い出した。
今から十数年前に、亡くなった妻は、担任をしていたクラスの女の子が転校していったときのことをよく話していた。もしも、その女の子がメイドさんだとしたら。
そんな思いを馳せて、私は「メイドの飛脚」の新章を書き始めた。
題 : メイドの飛脚
「えっ?、また引っ越すの?せっかく友だちとも仲良くなれたところなのに」
「ごめんね、江梨子。お父さんのお仕事の都合だから、どうしようもないのよ」
中学2年生の11月のことだった。父に辞令が言い渡されたのだ。私は頭では「仕方ない」とわかっていた。けれども、親友のひーちゃんにも、住み慣れたこの街にもお別れしたくなかった。
「近いうちに、担任の大里先生には、引っ越しのことをお伝えしなくちゃ」
母が言った。
「大里先生になんか言う必要あるのかな?担任だけど、いつも私にスカートの丈が短いとか、髪を縛りなさいとか、小言ばかり。音楽の先生なんて、五教科を教えてるわけじゃない。音楽なんて自分で楽しめるものだし、受験にも関係ない。ただの口うるさいオバサンだよ」
「江梨子、それは言い過ぎなんじゃない?あなたのことを気にかけてるからこそ、小言を言うのよ。私はいい先生だと思うけどな」
私は大里先生の肩をもつ母が許せなかった。
「わかった、わかった。担任だしね。私は嫌いだけど、お母さんに任せる。私は大里先生になんか何も言わないからね!」
次の日に、母は学校に行って、大里先生に転校のことを伝えたらしい。
大里先生から「お別れの会」をすることを打診されたが、私の性格を考えて、クラスメートには伝えないことにしたという。
それから数日経った頃、ひーちゃんが私に「江梨ちゃん、引っ越しするって、ホントなの?」と尋ねてきた。
「なんで知ってるの?」と聞き返すと、たまたま職員室に行ったとき、母と大里先生の話を耳にしてしまった、ということだった。
「ひーちゃん、聞いちゃったんだね。だけど、他の人には内緒にしていてくれるかな?へんに気を遣われるのもイヤだし」
「わかった、江梨ちゃんがそう言うなら。でも、寂しくなるな」
「ありがとね、ひーちゃん。ひーちゃんとは新しい学校に行っても、連絡するから。これからも仲良くしてくれると嬉しいな」
「当たり前でしょ?友だちなんだから。江梨ちゃんはこれからもずっと親友だよ」
私はひーちゃんの心遣いがとても嬉しかった。
あっと言う間に引っ越す日が近づいてきた。今日でこの学校も最後という日の放課後に、母から渡すように頼まれた菓子折りを職員室に持っていった。
「大里先生、これ、母からです」
そういうと大里先生は言った。
「ありがとう。ご丁寧に。これからも元気でね。ごめんね。悪いけど、これから先生忙しいから、さようなら」
先生はそのままどこかへ行ってしまった。
「やっぱ、大里先生は冷たい人だ!」
私な率直にそう思った。
次の日は、この街から去る日だった。トラックに入り切らなかった荷物を車に積めて、これから出発という瞬間だった。
マンションから一歩出たところに、大里先生とクラスメートたちが現れた。
「えっ?なんでみんないるの?」
びっくりした私に先生は言った。
「江梨ちゃん、今日でお別れだけど、江梨ちゃんはこれからも私の大切な教え子です」
そう言うと先生は私に背を向けて、ポケットから指揮棒を取り出した。
「みんな!昨日の練習の成果を思う存分出そう!」
先生が指揮棒を振った。
♪暮れなずむ町の光と影の中
去りゆくあなたへ 贈る言葉♪
♪悲しみこらえて微笑むよりも
涙枯れるまで泣くほうがいい♪
私は涙が止まらなくなった。こんなことされたら、悲しくなっちゃうじゃない?
けれども、音楽のことになると、大里先生はさすがだった。みんなの歌声をしっかりまとめ上げていた。
歌い終わったとき、先生がこちらを向き、指揮棒を空に向かってふると、クラスメートたちがみんな、私に大きく手を振ってくれた。
これが私と先生が直接出会った最後の日になった。
それから数年間、年賀状を出していたが、大里先生からのお返事が途絶えた。まめな先生にしては珍しいな、と思っていたら、ハガキではなく、封筒が届いた。差出人は「大里久夫」だった。
江梨子さん、はじめまして。妻は昨年、ガンで亡くなりました。
生前、妻は「江梨子さんに会いたい」とずっも申しておりました。
江梨子さんのことはいつも「かわいい」と言っておりました。
もしかしたら、口うるさくて、江梨子には嫌われていたかもしれませんね。お許しくださいね。
せっかく今年も年賀状をいただきましたのに、返事を返すことができず、妻は無念だと思っていることでしょう。
江梨子さんが少しでも、妻のことを思い出していただけたなら、幸いです。
勝手なことばかり申しました。
今まで大変お世話になりました。
お元気で!
大里久夫
私は便箋を握りしめ、胸が熱くなるのを感じた。大里久夫、私の亡妻の夫、つまり私からの手紙。そして、江梨子という名前。メイドさんが、かつて妻の教え子だった江梨子だとしたら…。彼女が「手紙を届けたかった人が、突然引っ越してしまって…その笑顔を、二度と見られなかった」と漏らした言葉が、頭の中で響き合う。妻がよく話していた、あの転校した女の子。もし、それがメイドさんだったら、彼女が飛脚として走り続ける理由は、妻への届かなかった想いにあるのかもしれない。
私はペンを手に、再び物語に戻った。海辺の町のメイドは、夢の中で、引っ越してしまった相手の笑顔を探し続ける。ある夜、彼女は古い手紙を手に、港に立つ。手紙には、こう書かれていた。
「君の歌が、いつも私の心に響いていた。ありがとう」
だが、その手紙は、相手が町を去った後、投函されることなく彼女の胸に残った。メイドは決意する。
「私が走り続けるなら、この想いは、いつか届く」
彼女は「メイドの飛脚」として、誰かの笑顔を取り戻すために走り始めた…。
書きながら、私は思った。メイドさんが償うために走り続けると言った、その想いは、妻への感謝の手紙だったのかもしれない。大里先生(私の亡妻)が、江梨子にとって特別な存在だったとしたら。彼女が冷たいと思っていた先生が、実は心から彼女を想い、送別の歌を贈ってくれた。あの別れの後、江梨子は先生に感謝を伝えられなかった。その後悔が、彼女を飛脚にしたのかもしれない。私の物語は、彼女の真実にどれだけ近づいているのだろう?
夕暮れのチャイムが鳴り、玄関を開けると、メイドさんがいつもの笑顔で立っていた。
「ご主人様、ただいま参りました!」
彼女は軽やかに息を切らし、メイド服の裾に町の風をまとっていた。目はキラキラと輝き、まるで私の物語を待っているようだった。
「おかえり、メイドさん。」
私は便箋を手に、微笑んだ。
「君の物語、だいぶ進んだよ。海辺の町のメイドが、届かなかった感謝の手紙を抱えて走る話。…もしかして、君が届けたかった笑顔って、先生のものだったのかな?」
メイドさんは目を丸くし、くすっと笑った。
「まあ、ご主人様! またまた素敵な物語でございますね! 感謝の手紙だなんて、なんだか胸に響きます!」
彼女は軽く首をかしげ、いつもの口調で続けた。
「でも、飛脚の守秘義務がありますから、ただ…」
彼女の声は一瞬止まり、柔らかな笑みが浮かんだ。
「ただ、ご主人様の物語、なんだか私の心にそっと触れるみたいです。もしかしたら、ちょっとだけ近いのかも?」
私は息を呑んだ。彼女の言葉は、いつもより少しだけ素直で、まるで私の空想が彼女の真実に近づいたことを認めるようだった。
「メイドさん…君が走り続ける理由、ほんとに先生への想いだったら、すごい偶然だよ。私の妻が、君の先生だったかもしれないなんて…。」
メイドさんはいたずらっぽく目を細め、軽く手を振った。
「ふふ、ご主人様! 偶然も、物語の魔法の一部ですもの! でも、守秘義務で、これ以上はヒントなしですよ!」
彼女は笑顔でかわしたが、その瞳には、どこか懐かしそうな光が揺れていた。
「ご主人様の物語、どんな笑顔を届けてくれるのか、飛脚として楽しみにしております!」
彼女が夕暮れの町へと走り出すのを見送りながら、私は便箋を手に取った。
メイドさんの過去。江梨子として、引っ越しの別れ、届かなかった手紙、そして大里先生への想い。それらが、私の物語に新たな命を吹き込む。海辺の町のメイドは、手紙を胸に、夜の海を背に走り続ける。彼女が求めていた笑顔は、遠く離れた先生のものだったのかもしれない。私の物語が、メイドさんの心にたどり着けるかどうか。次のページをめくりながら、私は書き続けた。
…つづく
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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします