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オライリーのバッハ:平均律クラヴィーア曲集


今晩は、navonaレーベルから8月22日にリリースされたクリストファー・オライリー(Christopher O’Riley)のピアノでバッハの平均律クラヴィーア曲集を聴きます。
全く知らないピアニスト。バッハらしからぬジャケットの写真。あまり期待せず、まずは新譜の第2巻から聴きました。おや。おやおや、へぇ。最初はちょっと戸惑いつつも面白い。最近は古楽やチェンバロ意識したピアノ演奏がほとんどのバッハですが、これは異色です。第1巻から聴いてみようと昨年リリースされた彼の平均律第1巻から聴いてみます。
クリストファー・オライリーは1956年米国シカゴで生まれ、幼少期よりピアノを学び、ポップスにも興味を持ってジャズ・ロック・フュージョンへの道に進みますが、ニューイングランド音楽院でクラシックを専門にすることを決意。以後いくつかの国際コンクールで優勝、入賞を重ねます。彼が一躍有名になったのはNPRラジオで若いクラシック音楽家を紹介する番組「From the Top」のホストになったこと。NPRラジオは、リスナーの寄付や公的助成から成り立つ公共放送で、コマーシャルはあるけれど短いものだけ、という全米で放送網を持つラジオ放送。オライリーは2000年から20年間に渡って務めています。インタビューを交えた構成で、若い才能の発掘と伴奏者として共演しています。テレビ版もあってエミー賞もとっていますね。
それからポップスやロックの分野でも活躍したので、番組の冒頭にロックバンド、レディオヘッドの曲を編曲してピアノで演奏していて、それが話題になってそれを集めたアルバムがヒットしたとか。
さて、まずは平均律第1巻の第1番の有名なプレリュード。ゆっくりと始まり、音と音の間を微妙に変えつつ、最初のフレーズと次のフレーズに変化をつけていきます。そしてアゴーギクを微妙に変えつつ、一つ一つの音を噛み締めるように。そして後半からはペダルをたっぷりと使って美しいピアノの響きを生かします。この私でもそらで弾けてしまうこの曲をここまで変化をつけて美しく、しかも引き付けさせる演奏って・・・。そこにはいわゆる学究肌的な演奏は微塵も感じられず、感じるままに自由に弾いています。
ピアノの音は落ち着いた深みのある美しい音。ベーゼンドルファーですね!近いところにマイクを置いたオン気味の録音。続くフーガも静かに始まり、大きく旋律線を描きテンポを少しずつ揺らしながら、フーガの主題を音量で明確にするのではなく、ニュアンスで示して行きます。そこにあるのは、最近の古楽的演奏とは違う、このアルバムのジャケットにあるような印象派を連想させる瞬間も。
時にソフトペダルを使ったり音と音のあいだを微妙に広げたり縮めたり。そしてそれが時にテンポの変化にすらつながります。バッハといえば大体インテンポだと思いますが、彼の演奏は大きく逸脱することはないけれど、一つの曲の中でテンポをすごく揺らして行きます。
フーガの場合、一つのフレーズの中にある意味を探るように、ふと立ち止まるかのような、このまま進んじゃいけない、ちょっと立ち止まって味わってみよう、みたいな感覚で主題を始め、それがやがてさまざまな声部が加わりドラマが展開していく。チェンバロのようにフーガの主題とその他の音を対等の音量で弾いて行き、テーマが隠れてしまいそうでありながら、アーティキュレーションと独特の音価の差で際立たせるという離れ技。普通、フーガって次から次に出てくる主題を際立たせようとするじゃないですか。それがこの人の演奏だと、それぞれの主題がさりげなく、目立たないように入ってくる。気がつくとああ、テーマだ、と後から気がつく。それから、例えば第1巻のロ短調のプレリュード、ここの前半の終わりのトリル、上声下声同時に鳴るトリルで、これをわざと右手と左手でトリルのスピードを変えてていて、音がぶつかるような、不規則な響きを出していますが、このことで2つの声部の独立性を際立たせています。その後のロ短調のフーガ、ため息のモチーフに溢れたテーマは、最初瞑想的に、静かに、しかし音価はインテンポではなく伸び縮みがあり始まります。そして少しずつ声部が加わり展開するに従ってテンポが上がっていくのです。より複雑な感覚へと進み、感情があふれるように盛り上がって行き、最後は決然とし強い音で第1巻が終わる。なんか、硬いピアノの先生にレッスンで聞かせたら、インテンポで!って怒られそうな演奏。面白いですねぇ。短い1曲ごとにファンタジーと宇宙が広がると同時に、第1巻全体を一つの大きな宇宙に見立てているかのよう。
面白いなぁと思いつつ、彼のことをさらに調べていて、以下のインタビューを発見。

これによると、彼は数年前にゴルトベルク変奏曲を演奏するために本格的にバッハを改めて勉強し、数々の録音を聴くうちに、バッハは本質的には声楽の作曲家であるという気づきを得たとのこと。この視点から鍵盤作品にも歌の表現を見出して、多彩なアーティキュレーションを探求するようになったとのこと。
そしてオライリーの解釈のキーワードは、なんと日本の「間」にあるとのこと。音と音の間にある空間の緊張感、配置のバランスを重視して、音価やフレーズの繋ぎ方を自在に変化させることで、作品に無限の表現の可能性が与えられる。ダイナミックスに頼らず、残響や時間軸で声部を際立たせるという発想で、そのことによってより自由な解釈が可能になると。
そして現代のピアノで表現の自由を自ら制限する必要はないと強調しています。そしてバッハから学ぶことは、他の作曲家にも通用するとのことで、ベートーヴェンやブラームスのスラーの扱いについて述べていますが、楽譜に忠実であることが、逆に驚くほど自由で、解釈に深みを与えると感じているとのこと。
演奏にはこのことがよく現れていますが、日本的「間」については、日本人としてはちょっと違うニュアンスかなぁ。海外の忍者映画をたくさん観て武道を語っているような、アメリカ映画の中で描かれている不自然な日本の描写みたいにちょっと違う。彼は音と音の間隔・持続時間の操作による表現の効果を「間」と呼んでいて、強弱でなく時間空間で変化させることを語っていますが、要は時間的な「呼吸」の自由度が表現のための設計手段。でも日本の「間」って空間や時間における余白とか沈黙、その「無」そのものの中にある存在とか、何もないことに意味があるというか、何もないことそのものに価値があるというか、そんな大まかなイメージがありますが、オライリーのような時間軸の操作とは違うところにあるように感じます。だから演奏に空白とか間を入れるというのではなく、音価の自由な操作による、ためらい、あるいは逆に前に向かう意思、みたいなものを表現していますね。ちょっと日本と結びつけるのは違うけど、これをすごく意識した演奏で、それが彼のバッハに他と違う表現を与えています。
Apple TVでアルバムを聴くと、画面に表示されるジャケットに少し動画の効果が加えられていて、水の反映とか波紋とか、色彩が水に反映する樹々にポトっと絵の具が落とされて色彩感が変わるという様子が見られるんですが、それが美しくて、このアルバムのバッハにとてもあってます。堅苦しすぎるバッハではないし、かといって砕け過ぎているわけではない。そこには1曲ずつ異なった色彩とか物語とか何かの感情表現があって、対位法の面白さとか、そういう数理的なバッハの面白さに加えて、印象派みたいな響きが聴こえてきたり、時には瞑想的な世界が見えたり、個人的な思いが透けてきたり。面白い体験です。この長い曲集を本当に飽きずに聴くことができますね。
第2巻は少し第1巻とピアノの音色が違うように感じます。やはり録音のセッティングなどが違うと変わるのか。第1巻に比べると、陰影が深まっているように感じます。1巻よりも2巻の方が音楽的に複雑と言われますが、オライリーのピアノはもう少し音色が柔らかくなり幅広くなり、鋭さが減って暖かさが増しているような。基本的な方向性は同じですが・・・。
とまた色々調べてみたら、第1巻は1985年製のベーゼンドルファーでオリジナルのハンマーを使っていたのですが、第2巻では特注のハンマーに取り替えたとか。彼自身によるとまるで指先が直接弦に触れているかのようとのこと。よりデリケートな表現ができるようになったようですね。
1巻と2巻を全部一気に聴き終えました。普通だとかなり疲れるのですが何故か非常に充実した感じ。一言でロマンティックな平均律と片付けられない色々な意味で考えさせられる演奏。現代では珍しいかも。でも私はとても好きです。もしかしたら今、バッハの演奏というのはHIPという呪縛に囚われて、このような演奏が発表しづらくなっているのかもしれません。この全く知らなかったピアニストのアルバム、また宝を発見したような気持ちになりました。

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