鈴木雅明さんとBCJによるブラームス ドイツレクイエム
今晩は、鈴木雅明さん指揮、バッハ・コレギウム・ジャパンによるブラームスの《ドイツ・レクイエム》を聴きます。
この曲は、最近ではケント・ナガノによる初演時の演奏再現アルバムが非常に印象的でした。あちらは合唱が大人数による大規模な編成でしたが、こちらの録音は少人数編成で、かなり印象が異なります。
鈴木さんは、宗教的な共鳴度がとにかく高く、バッハのカンタータでも他を寄せ付けない深い祈りを感じさせますが、この《ドイツ・レクイエム》もまた、非常に深い祈りの音楽になっています。
この作品は、ブラームスの母親の死をきっかけに着想されたとされていますが、作曲開始が32歳、全曲初演が35歳。なんと若い頃から老成していたんでしょう。この年齢で、すでに人生の本質を見通したような音楽。ブラームスは信仰心がそれほど篤かったわけではないものの、聖書の内容には驚くほど精通していたといいます。そして、キリストや復活といった明確な宗教的主題を極力避けたことで、キリスト教の教義に詳しくない者にも深い共感を呼ぶ作品となっています。だからこそ私たち日本人には、このテキストが心に深く染み入るように思われます。
第1曲の冒頭「Selig sind, die da Leid tragen, denn sie sollen getröstet werden.」――「悲しみ、苦悩を抱える者たちは幸いである。なぜなら彼らは慰められるからである」。この言葉だけでも胸に響きます。キーワードはやはり「慰め」ですね。第1曲では、悲しむ人に慰めが約束され、第5曲では母のような慰めが与えられ、そして最終曲では死者に対する究極の慰め――「彼らは労苦から解き放たれ、行いは彼らに従う」に至ります。
この「慰め」という概念は、日本人の感性、つまり「諸行無常」の感覚に近いものではないでしょうか。第2曲「Denn alles Fleisch, es ist wie Gras(すべての肉は草のごとく)」――「草は枯れ、花はしぼむ。だが主の言葉は永遠に続く」。人の命のはかなさ。あるいは第3曲「Herr, lehre doch mich(主よ、教えてください)」の中にある「私の日々のはかなさを知るように」といった歌詞は、死を直視し、虚しさと向き合う感覚で、日本人が根源的に持つ死生観と重なるように感じます。死の不条理を受け入れつつ、自然や人の情に慰めを見出そうとする姿勢に共鳴します。
さて、鈴木雅明さんとBCJの演奏。合唱は少人数で、ハーモニーを重視した澄んだ響き。劇的でドラマティックな従来の演奏、たとえばカラヤンのような名演とは一線を画します。合唱はノンヴィブラートで、ひたすら純粋な和声。色彩はモノクローム。録音はBISらしいオフマイクで、柔らかく清らかな響きです。
オーケストラも同様で、三宮さんのオーボエ、福川さんのホルンなど超名手ぞろいですが、さすが完璧なイントネーション。合唱は各声部の動き、特に内声の対位法が明瞭に聴き取れます。長くバッハ演奏を積み重ねてきた団体ならではの強みでしょう。
第2曲の冒頭も澄み切った弦合奏で、これまでの演奏では聴けなかった響き。合唱は淡々としており、「草は枯れ、花はしぼむ」の箇所には、諸行無常の厳しさと、どこか諦めを含んだ響きが感じられます。その後の「耐え忍びなさい」と語りかける声は、明るく清らかで、後半の歓喜もあくまでも抑制された表現にとどまり、爆発的にはならない。すべてが制御されているのです。
第3曲、ヨッヘン・クプファーのバリトン・ソロは、まさにドイツ・リートのように説得力ある語り。明瞭なドイツ語で、人の生の虚しさを淡々と語ります。
第4曲は明るく軽快な響き。全体が重くなりすぎないのも、この演奏の大きな特徴です。
第5曲は安川実空さんのソプラノ独唱による慰めの歌。伸びやかで澄んだ美しい声が、この曲にぴったり。あまり成熟しすぎていない声質なのが、むしろこの演奏には合っています。
第6曲では再びクプファーが登場し、ややオペラ的で劇的な表現を見せます。この楽章は唯一、演出的な色彩が濃い場面ですが、それでもあくまで柔らかな響きの中で構築されており、フーガの部分では多声音楽を専門とするBCJらしく、各声部が明確に歌い分けられています。残響の多い録音ながら、明瞭さを失わないのはさすがです。
第7曲では、澄み切った合唱と木管アンサンブルが清々しい世界を描きます。「主にあって死ぬ者は幸いである。彼らは労苦から解き放たれる――」まさにその通りの音楽です。
この演奏は本当に美しいものでした。鈴木雅明さんの《ドイツ・レクイエム》は、ヨーロッパの演奏とはやはりどこか違う。墨絵のような世界。枯山水のように静かで淡々としながら、その中に祈りが宿る。しかもそれはキリスト教に限らず、もっと普遍的な「死と慰めの祈り」として響きます。死を静かに、あるがままに受け入れ、そこに哀れと救いを感じさせてくれる――そんな、他にはない演奏でした。
