ロシア・ピアノ三重奏の歴史・第7回
今晩は、ナクソスから7月25日にリリースされた、ブラームス・トリオによるヴラディスラフ・アロイス(1860–1918)のピアノ三重奏曲 ヘ長調 作品40(1894)と、アレクサンドル・ウィンクラー(1865–1935)のピアノ三重奏曲 嬰ヘ短調 作品17(1910)を聴きます。
このシリーズは、ロシアのピアノ・トリオの名作から隠れた作品まで掘り起こしている企画。ロシアにおけるピアノ三重奏(ピアノ、ヴァイオリン、チェロ)は、他のヨーロッパ諸国の同編成の作品とは少し異なった意味合いを持っています。それは、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲 イ短調 Op.50《偉大な芸術家の思い出に》が原点になっているということ。重厚かつ悲劇的な構成で、葬送行進曲風のフィナーレが「追悼」的ですね。
そして、アレンスキーのピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 Op.32も第2楽章はエレジーで、やはり死者の追悼の感情が表現されています。また、ラフマニノフの《悲しみの三重奏曲》は第1番、第2番ともに短調で、特に後者はチャイコフスキーの死を悼んで作曲された明確な追悼作品です。
このように、ロシアではピアノ三重奏というと「追悼」の意味を持った作品が多いのだとか。そして、ブラームス・トリオのこのシリーズはそこに焦点を当てており、今回は第7枚目のアルバム。それまでにも今あげたチャイコフスキー、アレンスキー、ラフマニノフの作品の他、リムスキー=コルサコフ、グリンカ、ルービンシュタイン、キュイ、ボロディンなど、さらには全く知られていないロシアの作曲家のピアノ・トリオも取り上げています。
今回の二人の作曲家の三重奏曲は、世界初録音。ただ「世界初録音」というだけで取り上げているわけではなく、曲、演奏ともに非常に優れています。録音も素晴らしい。
ブラームス・トリオは1990年創設で、ニコライ・サチェンコ(ヴァイオリン)、キリル・ロージン(チェロ)、ナタリア・ルービンシュタイン(ピアノ)というメンバー。三人ともモスクワ音楽院の教授で、モスクワを拠点として国際的に活動しています。ナクソスは2020年からこのシリーズを始めて、全15枚で完結させるとのこと。
この第7巻では、ロシア音楽の歴史の中に見られる「ヨーロッパ的な側面」に焦点を当てているとか。「Lost in Russia」、つまり“ロシアに消えた作曲家たち”というサブタイトルが付けられています。
19世紀末から20世紀初頭、ロシア音楽はかつてないほどの国際的躍進を遂げており、チャイコフスキーやリムスキー=コルサコフらの作品が欧米の舞台で熱狂的に迎えられ、ロシアは芸術の最前線となっていました。そのため、数多くの外国出身、特にヨーロッパの音楽家がロシアへ渡っていたとのこと。ヴラディスラフ・アロイス(1860–1918)もその一人。チェコ出身の名チェリスト・作曲家である彼は、ロシアの地で大きな足跡を残しながらも、今日ではほとんど忘れられた存在となっていますね。
アロイスは1860年プラハに生まれ、若くして優れた音楽教育を受け、ウィーン、キーウ、ワルシャワなど各地で教え、演奏家・指導者として活動を広げていく中、1897年にサンクトペテルブルク音楽院の教授として招聘されます。皇帝直属の宮廷オーケストラの首席チェロ奏者も務め、名実ともにロシア音楽界の重要人物だったそう。
しかしロシア革命の影が迫る1918年、彼は突如として消息を絶ちます。脱出を果たしたのか、それとも激動の街ペトログラードで命を落としたのか――今なおその最期は謎のままとのこと。
このピアノ三重奏曲 ヘ長調 Op.40を聴くと、その完成度の高さとロマン性に驚かされます。3楽章からなっていて、第1楽章はメンデルスゾーン的な初期ロマン派のような歌心あふれる旋律と共に、チャイコフスキーにも通じるような情熱や抒情性が光る作品。また展開部なども非常に充実していて、彼の作曲技法の高さがうかがわれます。
第2楽章は「Andante con passione(情熱をこめて)」と題され、弱音器をつけた弦とピアノが静かに語り合うような哀惜の楽章。エレジー的な性格を帯びたこの楽章は、まるで故人を偲ぶような深い静けさと情熱、そして内面性を湛えています。このあたりはロシアの伝統に近いですね。
最終楽章では、技巧と遊び心に富んだ「Allegro giocoso」。まるで人生の豊かさを肯定するかのように明るく閉じられます。この後のアロイスの人生を思うと、どこか切なさが残る終結です。
ブラームス・トリオの演奏は感動的と言っていいほど。トリオとしての活動も長いのでしょう、息もぴったり、そして何よりピアノのナタリア・ルービンシュタインが素晴らしい。美しく通る音と激しいロマン性を見事にピアノで表現しています。
アレクサンドル・ウィンクラー(1865–1935)は、オーストリア系の家系に生まれ、今ウクライナで大変な状況となっているハルキウの出身。これを書いている今もドローンによる攻撃が続いていますね…。
そのハルキウのロシア音楽協会ピアノ科を卒業。ウィーンとパリで作曲を学び、1890年にはハルキウに戻って演奏会を行ったり貴族に教えたりしていましたが、1896年、サンクトペテルブルク音楽院でピアノを教えるように招かれ、以後は30年以上にわたってロシア音楽の中核で活躍。門下にはミャスコフスキー、プロコフィエフらがいたそうです。
ピアノ三重奏曲 嬰ヘ短調 作品17は、ブラームス的なメロディとハーモニーを受け継いだ作品。アロイスの明朗さとは対照的な、暗い中にも情熱と哀愁が感じられる作品です。第1楽章はアレグロですが、美しく柔らかいピアノのソロから始まります。内省的な中にも熱い気持ちがあふれる作品で、ピアノもかなり技巧的。
第2楽章はスケルツォ。結構凝った作りで、展開と調性の変化に富んだ三部形式。
第3楽章のアンダンテは、美しくも哀愁を帯びたメロディが、ピアノの美しい分散和音の上に乗って夢幻的。そして中間部ではピチカートに乗ってピアノが旋律を奏でます。
第4楽章はとても煌びやか。そしてここでも対位法的にも色々工夫されつつ劇的な展開。ピアノがかなり技巧的で最後はまるでピアノ協奏曲のようにドラマティックに終わります。感動的な作品。
この演奏は、ブラームス・トリオのこれまでの録音と比べても演奏も音もとてもいい。録音自体はナクソス・レーベルの室内楽の特徴が出ています。クリアであまり残響を多く入れすぎず、オン気味だけど決して不自然ではなく、分離もバランスもとてもいい。特にピアノの音が際立っていて、弱音から強い音までとても明確に捉えられています。録音は、かのモスクワ音楽院大ホール。
ナクソスは音、進化しましたね。以前の音のつくりはそのままで、ハイレゾになりより繊細な音から力強いフォルテまで見事。このシリーズ、まだまだ続くとのこと。今から楽しみ。また過去のシリーズも改めてじっくり聴いていきたいと思います。
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