未来側の自分で積み重ねる小さな一歩
意識に上らないくらいの小さな小さな心のブロックのお掃除が続いています。
テーマ自体はそう多くはなく、繰り返し見慣れたものです。
解像度の問題ですね。
わかりやすいものは一通りお片付けできた感じはしますが、窓の桟のほこりまできっちり取らされてるようなかんじ。
やはり長年生活のすべてを通して体に染み込んだ感覚ですから、頭で一通り理解したくらいでは取れません。
以前は「またこれ~!?」と、がっくりしていましたが、今は理解がより深まるような感覚で面白いです。
この辺りも結果(とくに彼との関係において)を急がなくなったことや、自分への許容度が大きくなったことが影響しているようです。
最近の繰り返しテーマは「今ここ」「使命」「見るべきは自分」
お仕事を通してこれらを改めて感じています。
使命のこと、前になんて書いたのか最早覚えていないのですが。汗
以前は「やること(仕事や活動そのもの)」に意識がいっていたので、そういう感じで書いていたかなと思いますが、重要なのはよく言われるようにそれじゃないと思います。
「何の見返りも求めず、誰のためでもなく、ただ自分の心がワクワクすること。止められてもやってしまうようなこと、心が動いてしまうようなこと」
です。
仕事に繋げたいならそれでいいし、仕事じゃなくてもいいと思います(私はつなげたい気持ちが強いですが、お金とは切り離されてる感じはします)
私にとってのテーマも「それだったのか…!」という感じでして。
見つけるどころか20年前からずっと側にあったものです。
20年の大半は、自分を目の前のままならない現実に適応させるための知恵や知識としてそのテーマを求めていました。
「環境に適応できないどうしようもない自分を何とかするためのもの」というような認識をしていたのですが、別にそれ以外にも選択肢はあったのに、私の興味のフォーカスは常にそこにありました。
でも、それをやりたい事だとも興味だとも意識的には認識していませんでした。
だからそれを現実的に形にできると思っていない。
現実にするには現実にするための何かが必要で、先にそれを手に入れなければと、ずっと「いつか」で動いていたのです。
(これは仕事で疲れ果てて、その何かを得るための活動する体力がない…!と嘆いているときにはたと気づきました)
理想的な結果だけ見ようとすると、残念ながら今すぐに得られないものばかりです。
だけど、小さくできる範囲で動くことは今からでもできるんじゃないか?と。
そして実はその20年、実際にそうしてきたことを思い出しました。
理想的ではないなりに、できる範囲で出来ることをいつも模索していました。
その結果、いざ環境が動いた瞬間、今人生の中心にある活動に繋がり、彼に出会いました。
そうして動いた現実からのフィードバックでまた興味を深めて次のタイミングを待っている…
よく考えたら、現実が動かないようなときでも、内側は決して止まってはいないんですね。
結果ばかりに目を向けず、”その瞬間模索している自分”を認めてあげる大切さを最近強く感じています。
そして今ちょうど模索の最中なのだと思います。
やはり動かない外側の現実に目を向けるとしんどくなってしまいますが、内側は着実に未来側のルールで動き始めています。
そんな自分に目を向けて「できることをできるだけやる」ということを許してあげると、試行錯誤の日々の負担がすっと軽くなるようです。
