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その選択は本当に自分の選択か

ここ最近お仕事のことを書いていて気づいたことがあります。

どうして条件的に恵まれてるにも関わらずこんなにも辞めたいを連呼しているのか…

前回
「得意なこととやりたい事は違う」
と言ったようなことを書きましたが、まさにここにひとつの答えがありました。

経済的自立のステージは、精神的自立のステージでやったことの総復習&現実に根差したより明確な言語化につながっているな〜と感じます。

なぜか昔から妙に接客に執着がありました。
仕事といえば接客というくらい。
だから、長らく1人で続けてきたお仕事も、なんだか仕事をしている気がせずにいました。
そして今回、その執着の正体がやっとわかりました。

「向いている」

と言う言葉。
今回も実際それで選びましたが、思い返せば昔から、「自分以外の誰かに言われたこと」が行動の決め手になってしまっていました。

20代半ばまでの私は、環境的に自分の意向などあってないようなものだったので、自分の心地よさで選ぶなんてオプションはありませんでした。
なので行動の決め手は全て誰かの言葉。

お仕事に関しても、星の数ほど業種はあるのに「向いている」と言われる接客以外をなぜか選べず、毎度苦しんでいました。
それどころか人に関わらずに済む自由な仕事を得てもそこに居心地の悪さを感じてしまう始末で。

「向いている」への呪縛というか
自分で疑問が持てない状態というか
なんなら他の選択肢が見えない(存在しない)状態で
誰かを基準に生きていることにすら気づけない

そんな状態で長らく生きてきたのだと改めて理解できました。

今ようやく言える本音が、「実際向いてなくはないけど、やりたくない」です。

ほんっとうにやりたくない!笑

これがわかったのは大収穫。
それ以外の部分をできるだけ自分にとって心地よい条件を選んだから…つまり、コアの部分以外は自分軸で選べたことで、その気づきにつながったのかなと思います。

「あーもっと力まず気楽にお金を得たいと思っていいんだ」

なんて。
そして実際できると思います。
何にもしないと言う意味ではなく、自分にとって何もやってないと感じるくらいに当たり前のように動けるものってあるんですよね。

でも、仕事とはこう言うものとか、お金を得るとはこう言うものと言った先入観に阻まれてしまいがち。
それも深く深くアイデンティティに刻まれているので、先入観という認識すらなかなかできないのだと思います。
私にとっての仕事=接客も、まさかそう思ってるなんて意識の上では理解していませんでした。

不必要に狭められていた視野が本来の広さを取り戻しつつあるのか、
「世界は本当は広くて
自分が動ける自由も十分にあるんだ!」
と小さな実感が積み重なっていくのが嬉しいです。

今考えるべきは「辞めること」よりも、どうしたらもっと心地いいと思える現実的な在り方にシフトしていくかだなと思います。
社会との関わり方、収入の得方、ライフスタイル、それぞれがどんなふうにあれば、私は心地よく生きられるのか?
それを考えるのがもどかしくも楽しい今日この頃です。

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