自分に真剣になるほど、現実が軽やかになっていく
人生でこんなにもお金が欲しいと思ったことがあるだろうかというくらい、お金の事ばかり考えている今日この頃です。笑
自分にとっての豊かさがどんなもので、それを実現するのにどれくらい必要なのか?
お金だけでなく、どれくらいの時間や体力が必要なのか?
そういったことが少しずつ明確になる中で、自然とお金を求めることへの抵抗が減っていっている気がします。
なんだろうな…
”自分を生きること”に真剣になれるようになってきたな、と感じます。
お金問題はあくまでそれに付随するもの。
自分の生き方に真剣になればなるほど、お金に関しても真剣になっていく…ただそれだけの事のようです。
自分を生きるに真剣になる、そんなの当たり前じゃないの?と言われそうです。
思春期の頃には実際そういう言葉を投げかけられたこともありますが、心の中で私は悪態をついていました。
「家族や環境のしがらみにとらわれずに、自分”だけ”の将来やら夢やらを考えられる余裕があっていいね」
って。
まず自分以外の何かから切り離された、自分に固有の望みを抱けること自体がうらやましかった。
実際にはいろんな兼ね合いがあるはずですが、望みを抱く段階で罪悪感が生まれないこと、それ自体が許されてること、それがうらやましかったです。
できないと思い込んでいたし、動かせるものだとすらその時にはもう思っていませんでした。
本来は自分の望みを抱くことは当たり前のことで自己中でもなんでもないんですが、私にとっては実質的に自己中(まずそう自分に課していました)
だけどそうでないこともわかっていたので、彼らの声高な語りを聞くのが苦しく、苦々しいジレンマを感じていたのを思い出します。
だから今、自分以外の何かにとらわれず、ただただ自由に望みを抱けるようになってきたことは、個人的には本当に革命的なことだったりします。
さてさて今日からお盆ですね。
昨日ちょっと不思議な夢を見ました。
私が父に課せられていたことに対して「もう嫌だ!やりたくない!!」とわめいている夢でした。笑
苦しいと伝えたことはありますが、ちゃんと「やりたくない!!」と本人に言ったことはなかったです。
実質許されていなかったから。
でもいつのまにか、環境ではなく私が私に課していたのだなと思います。
父がなくなってしばらく経ちますが、今ようやくこんな思いでいます。
帰ってくるご先祖に申し訳ない話なのですが…お父さんほんとあの時サクッと逝ってくれてよかったなんて目が覚めたときに思いました。爆
それでも父をとても愛しているし、父の娘でよかったと心底感謝しているし、そこは変わりません。
いやむしろ、こう思えるようになったことは大きな変化なのかな。
一つ一つ無理を手放していってる気がします。
