ミュンヘンのビアホールで、見知らぬ人たちに守られた夜|1990年ひとり旅
※1990年のヨーロッパひとり旅のお話です。
地元の人たちと飲む楽しい時間
Mくんがミュンヘンでここ数日、毎晩通っているというビアホールに、ふたりで入って行く。
店の入り口のカウンターのようなところにソーセージが何種類も並んでいて、選ぶとおばさんがお皿に取ってくれる。日本で見たことがないような色や大きさのものがあった。
Mくんがそのソーセージやビールを注文しに行き、私はテーブルについて待っていると、店のおじさんがぶんぶん手を振って近づいてきた。
上にぶら下がっている札やテーブルを指さして怖い顔をしている。
どうやらそこに座ってはいけないらしい。
Mくんが来たところでテーブルを離れると、カウンターで立ったままビールを飲んでいたふたりのおじさんたちに手招きされた。
小太りで眼鏡をかけた中年の男性と、白髪頭の小柄なおじいさんだ。
「あそこは、余分にお金を払わなきゃいけないんだよ。ここで一緒に飲もう」
「日本から来たのかい?」
おじいさんの方はイタリア人で、おじさんはこのミュンヘンの人だという。ふたりは昔からの知り合いらしい。
Mくんも加わり、3人でジョッキを傾けている。
Mくんは、私に目配せしながら
「こういうのが楽しいんだよ」
と言った。
なるほど、おじさんたちは調子が良い。
ドイツ人のおじさんの方はビジネスマンで、あちこちの国を訪れたことがあるという。
どこか中近東の国に行った時の写真を見せてくれた。
手帳にはアラビア文字と数字がメモしてある。私は大学で少しアラビア語を習ったので、抜けている数字をいくつか書き足し、間違えているところを直してあげた。
するとおじさんは大喜びで
「このお嬢さんは、なんとインテリジェントなんだ!可愛らしいだけでなく、頭も良いなんて!」
と大げさにお世辞を言ってくれた。
Mくんもイタリアのおじいさんと意気投合している。
おじいさんはフィレンツェの出身だという。
「サケ!フジヤマ!サムライ!」
と知っている日本語を叫ぶと、Mくんが喜んで、それを日本語でメモ帳に書いていく。
その文字を見てドイツおじさんは
「日本の文字は複雑だ。絵のようだ」
と感心していた。
それから、年齢あてゲームをしたり、お国自慢をしたりして、大いに盛り上がった。
私は旅の間じゅう、ろくに化粧もせず髪はゴムで束ねるだけ、着ているものもジーンズにトレーナーといった様子だったのだが、ドイツおじさんはそんな私を見て、懸命に褒められるところを探してくれたらしい。
「その赤いゴムは、とてもあなたに似合っているよ!」
「ありがとう」
お礼を言いながらも、なんだか可笑しかった。
「ビールをおごろう。飲みますよね?」
と誘ってくれる。
Mくんは大喜びで
「ありがとう!」
と答えるが、私の方は
「ごめんなさい、お酒はちょっと…」
「じゃあ、レモネードは?」
「でも、悪いから…」
するとMくんが日本語で小さく
「こういう時は、好意を受けとくもんだよ」
少し怖い顔をして言う。
「じゃあ、頂きます」
それから3人の飲むこと飲むこと。
私も付き合って、レモネード2杯、コーラを3杯も飲んでしまった。
ドイツおじさんが「コーラをたくさん飲んだけど、眠れるかい?」と心配してくれたほどだ。
途中、もうひとり、ひどく酔っぱらった男性が近づいてきた。
ちょっと危ない感じで、テーブルをばんばん叩いて怒鳴り声をあげている。
私は怖くなって、Mくんの陰に隠れた。
イタリアのおじいさんはぐっと黙り込み、ドイツおじさんも一瞬怯んだが
「テーブルをそんなふうに叩くのは失礼ですよ!」
勇敢に言い返す。
しばらくその男性は私たちに絡んでいた。
何かいかがわしいことをドイツ語で言っていたらしい。
通りかかったウェイターさんを捕まえて通訳しろと言っているようだが、ウェイターさんも無視している。
でも3人がしっかりガードしてくれたおかげで、私はそれほど嫌な思いをしなくて済んだ。
そろそろお開きの時間が近づいてきた。
ドイツおじさんは家に帰らなければいけないという。
「私の妻はいくつだと思います?18歳なんですよ。いや、それは冗談だが、普通のドイツの女性のように太っていなくて若々しくて(*ドイツの女性に失礼な記述となってすみません)実に美しい魅力的な女性です。
では、妻が家で待っていますから、私は帰らなければいけません。
そう、私は妻を愛しているのです!」
高らかにおじさんは言って、みんなと握手をし、私には手の甲にキスまでしてくれて上機嫌で帰って行った。
「私たちもそろそろ出ようか」
「そうだね」
イタリアおじいさんは、別のグループに交じって飲み続けるらしい。
Mくんは、駅のそばのホテルまで私を送ってくれた。
「会って間もないのに飲みに誘うなんて、オレすごいことしたなぁ」
「そお?」
「ま、旅は道連れっていうからね。明日はどこへ行くの?」
「オーストリアへ行こうと思ってる。Mくんは?」
「ベネツィア。夜行が出るまでには、まだ時間があるけどね」
「お付き合いしましょうか?」
「いや、いいよ。ホントに遅くなるから」
「じゃあ、ここでお別れ。気を付けてね」
大きく手を振りながら、Mくんは振り向きもせずに駅前の灯りの中に消えて行った。
ホテルの部屋は昨日のダブルルームからシングルの部屋に変わっていた。
暗い部屋に戻って、私はひとつため息をついた。
誰かと半日一緒に過ごしたのは何日ぶりだろうか。
今日は、いろいろ心に残ることがたくさんあった。
ドイツおじさんは、自慢の奥さんの手料理でも食べている頃だろうか。
イタリアおじいさんはまだ飲んでるのかな。
そうだ、絵葉書を書いてあったのに、切手がなくて出してない。
明日は一番に郵便局を探そう。
私の旅はまだこれからだ。
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