ブリュッセル到着|優しい人たちに救われた【ヨーロッパ47日間バックパックひとり旅】
ブリュッセルの空港に降り立って、まず感じたのは花の香り。ふわっと良い香りがして、香りマニアの私は、それだけで緊張していた心が少し軽くなった。
続いて美しいフランス語の響き。ゲート脇に立つ係員のフランス語にも「うわぁフランス語だ!」と心の中でひとり声を上げていた。
これから47日間、ヨーロッパをひとりで旅するのだ。ミレーのサースフェー60+とクーラ30、合わせて30kg近い荷物を担いで。
私と同じANA NH231便でブリュッセルに到着しゲートを出た人々は、迎えの人と合流したり次の交通機関の乗り場に向かったりして、すでにそれぞれ散って行った。
だが私は歩き出せない。
バックパックを成田空港で預け入れる前に、ラッピングサービスでぐるぐる巻きにしてしまったからだ。

(海外の空港では荷物は放り投げられるというし、破損や盗難の危険性を考えてラップしてもらったが、不要だったかも…)
まずは、このぐるぐるラップを剥がさないことには、背負うこともできない。
だがもちろん機内持ち込み荷物に刃物は入れられないので、旅の相棒ヴィクトリノックスも、このぐるぐるの中だ。
あたりを見回し、私はカフェの店員さんに声を掛けた。
「このラップを切って開けたいんだけど、ハサミか何か貸してもらえますか?」
するとその女性はカトラリーを指差し、使い捨ての木製ナイフを使うことを提案してくれた。さらに、どこか突破口はないかと、しばらくぐるぐるを一緒に探ってくれた。
優しい…。
仕事中の彼女を拘束するのが申し訳なく、「あとは自分でやります」と言って私はひとりでぐるぐると格闘した。
木でできたナイフの刃は鋭さに欠け(空港内だからということもあるのだろう)ラップを破ってバックパックを解放するまで苦戦したが、なんとか背負って歩き出すことができた。

ホテルは、リンクと呼ばれるブリュッセルの中心エリアに予約してある。空港からどう行ったらよいのだろう。
スマホをこわごわ操作してインターネットに接続する(「パケ死」という言葉に心底恐怖を覚える古い「新人類」)。
そして、インターシティ(SNBCベルギー国鉄)とやらに乗ればよいらしいと当たりをつけた。
きっぷ売り場にたどりつくと、係員が
「ボンジュール、マダム」
と挨拶してくれる。
ブリュッセル市内に行きたいことを伝えると
「どこまで?」
と行き先を聞かれた。
私は慌ててスマホを開き、ホテルの住所をそれらしく発音してみる。
係員は一瞬フリーズし
「それ住所な。行きたい『駅』を聞いてるんよ」
と続けた。
聞かれてさらに慌てた私がスマホで、もたもたと最寄りの地下鉄を探そうとすると
「ああ、いいよ。こっちで調べてみるから。住所、何だって?」
そう言って幾分あきれたようにモニタに向かい、キーボードに住所を打ち込んで地下鉄の駅を調べてくれた。
「あった。OK。…いい?今から3番線の電車に乗るんだ。18:13発だからね。それからブリュッセルMidi(南)駅でメトロに乗り換える。6番線だよ。Madouという駅で降りなさい」
言いながら、今発券したチケットにメモを書き込んでくれた。
優しい…。

優しい係員さんのおかげで、私は無事にMadou駅に着いた。
地上に出ると雨が降っていた。さらさらとした小雨だった。
ホテルは、駅から徒歩10分かからない場所にあるはずだ。
「ゴアテックスのジャケットを買って正解だったな」
私は雨なのにうきうきして、GPSを頼りにホテルまでの道を歩き始めた。
それほどひどくない雨だったせいか、傘をさしている人は見当たらなかった。
建物や舗装された道路が、夜の光と雨でキラキラしている。
(本当にブリュッセルにいる。本当にヨーロッパに来たんだ…)
荷物は約30kgと重いのに、私の心は軽くなっていった。
それでもさびしさは感じていたようで、ホテルに到着しチェックインして部屋に入ると、すぐにテレビをつけた。
東京の自宅でもほとんどテレビなどつけないというのに。
チャンネルをいくつか変えた後、音楽番組を選び、荷解きを始める。
翌日はブリュージュ観光をする予定を立てていた。ここから2時間もかからず行けるはず。
でも今夜は眠って休まなくては。
まずシャワーを浴びようと思ったが、その前にスマホやモバイルルータの充電をしておこうと思い立った。
現代の旅では、機器のバッテリチャージは非常に重要。
ガジェットは単なるツール以上であり、まさに命綱だ。
日本から持って来たテーブルタップに変換プラグ(Cタイプ)をつなげ、コンセントに差す。
と、途端にバチッ!!と音がしてすべてが消えてしまった。テレビも部屋の電灯もバスルームの明かりも。
慌ててフロントに行き「電気が消えてしまったの」と告げる。
コンシェルジュは部屋を見に来て、スイッチをぱちぱちしてもつかないことを確認すると「15分待って」と言って姿を消した。
どうしよう。壊してしまったんだろうか。
明らかにテーブルタップを繋げたせいだが、私はそれをコンシェルジュに言えなかった。
海外旅行保険は、クレジットカードの付帯で入っている。楽天プレミアムカードとMIゴールドカード。どちらも旅行前にグレードアップしたカードだ。
30日を超える日程では契約できる海外旅行保険はなかなか見つからなかったから。グレード高めなクレジットカードなら、付帯する旅行保険がある。
当然、年会費も高くなるが、保険料を払うよりはずっと安い。
そして私は心配性なので、海外旅行保険の自動付帯があるカードを2枚用意した(結果的に複数のカードを持っていてよかったという場面が何度かあったので、これから海外旅行に行くみなさん、カードは少なくとも2枚、できれば3枚は持ちましょう。私は保険の付帯なしのカードも入れると計4枚持って行きました)。
ともかく自動付帯とはいえ、手厚い保障だったはず。
もし過失でこの部屋の電気系統を壊してしまったとしたら、いったいいくらになるのだろう…。
さっきまでのうきうきは、ドキドキに変わった。冷汗がでるような嫌なドキドキだ。
まだ着いたばかりなのに。どうしよう。旅を続けられるだろうか。
あのコンシェルジュは怒ると怖そうだ。
私は文字通り頭を抱えて、暗い部屋で待った。
(差した後で気付いたが、テーブルタップの規格がいけなかったようだ。よく確認していなかったが、私が使ったのは日本国内では問題ない125V。でもヨーロッパで使うなら「100~240V」等の表示があるものでなければいけなかった。みなさん、どうか電圧にはお気をつけてね…)
しばらくすると電気工事作業員が現れた。30代になるかならないくらいの、ちょっとぽっちゃりした男性だった。
もう夜7時を過ぎているから勤務時間は終わっていただろうに。申し訳ない。
私は良心の呵責に耐えられなくなって、さっき繋げたテーブルタップを見せて説明した。
「たぶん、これのせい…」
電気工さんは「ふむ」と私の手元を見て、すぐに出て行った。
それから待つ時間の長かったこと…。悪い想像ばかりしてしまう。
でも10分か15分ほどして、ぱっと電気がついた。
よかった。とりあえず破壊してはいなかったようだ。
電気工さんが戻ってきて、まず「僕、英語苦手なんだ」と言う。
“朴訥とした”という形容詞が似合いそうな彼は、それでも英語で話してくれた。
「もう大丈夫だと思う。でも、それはもう使わないでね」とテーブルタップを指して言うと去って行った。
優しい…。
怖そうなコンシェルジュは戻ってこなかった。
代わりに、うきうきが戻ってくる。
その後、水と翌朝に食べるものを買うため、夜遅くまでやっているスーパーを探して出掛けた。そこの店員さんも優しかった。
ANAのCAさんも優しかったな。
聴覚障害のある私に、メニューをあらかじめ渡してくれたり手書きのメッセージカードをくれたり…。
47日間の旅の初日に、出会って言葉を交わした人たちがみんな優しかった。そのことが私はとても嬉しかった。
旅の記憶を思い返した時にその印象を決めるのは、やはり出会った人々だなと思う。
そして優しくしてくれた彼ら彼女らに、私は今も心から感謝している。
※2025年の旅についてはマガジン▼にまとめています。
