使い切れない香水 限りある人生
プロフィールに「フレグランスセールススペシャリスト」を掲げているくせに、香りの話をまだ書いていないと気付いたので今日はフレグランスのお話。
でっかいバックパックしょってヨーロッパを旅してばかりいるわけではないのです。
というかむしろそっちが「ハレ」(しかも2025年の前は35年前…)。
「ケ」の時間は、普通の会社員として地味に平凡に働いています。
そんな私の毎日を彩ってくれるのがフレグランス。
香水がない生活なんて考えられません。
No Perfume, No Life.
(もちろん旅の間も毎日つけてました。アトマイザーに詰め替えた愛用の香りたちが私の旅のお供。旅の間にお迎えした香りもあって…その話はまた今度)
香水をあまり買わなくなった理由
今までに買ったボトルは計何本か分かりません(数えるのが怖い…)。
初めて好きになった香水はグレGrèsのカボシャールCabochard。
もう40年ほど前でしょうか。
確か高校生か大学生の時でした(ませてますね、ティーンエイジャーがカボシャール)。
その後、ボトルが増え始めたのはインド帯同時代の1990年代半ばからだったと思います。
休暇や一時帰国の際、免税店で調子に乗って買ったものでした。
手に入れたボトルは人に譲ることはあっても基本、捨てることはないので、増え続ける一方。
幅73cm×奥行40cm×高さ170cmの8段チェストは満杯。
入りきらないボトルが、幅66cmの本棚の1.5棚分と110cmサイズの段ボール箱2つ分くらいあります。
恐ろしいですね。
一番多い時で年間50万円分ほどの香水を買い、4年間の合計が160万円にのぼったこともあります。
(今思うと、なかなかどうかしています)
ところが去年あたりから、私が購入する香水の数はどんどん減ってきています。
理由のひとつは「後の処分を考えるようになったから」。
そして「お金をかけたいところが変わってきたから」。
極めつけは「残り時間の限界に気付いたから」。
いつかは捨てる時が来る
3年前、2023年に母の介護が突然始まりました。
(「介護は突然やってくる」は本当です。ここ抜き打ちテストに出ますので気を付けて)
介護はいろんな意味で、シビアに現実を突き付けます。
老いて弱っていく母。
長年のひとり暮らしでモノをため込んだ家。
そして人生という時間の有限性。
母の家を片づける間、何度思ったかしれません。
「なんでこんなもの取ってあるの?」
「これ、どうやって捨てればいいの?」
(例えば何十年も前に、漬けるだけ漬けて誰も飲まなかった梅酒が何年分も、とか)
明らかに母にとって大切なものや思い出の品はさておき、それ以上に母の家には、単純にモノが大量にありました。
それらに対処し片づける中で、我が身を振り返ることになります。
東京の自宅に戻った時、そこに並ぶフレグランスたちを目にして思ったのです。
誰が処分するんだ、この香水。
使い切れるか、こんな量。
で、老後の資金は?(切実…)
中身の残った香水ボトルを捨てたことが未だないので、捨て方の正解はよくわかりませんが、もし捨てるなら、梅酒と同じ要領でしょう。
液体とボトルとは分ける必要があるはず。
しかし香水は排水口に流すわけにはいきません。こうがい(公害かつ香害)になってしまいます。
たぶん、毎日少しずつ空中にスプレーするなどして中身を空にし、瓶は瓶で燃えないゴミに出すことになるでしょう。
考えただけで果てしない…。
香水は高価な貴重品
香水は高価です。
なくても最低限の生活ができるという意味では、贅沢品でもあります。
(個人的には生活必需品ですが)
近年、円安の影響もあり、ますます「高いなぁ」と感じるようになりました。
いまどき、30mlのボトルでも万単位のものがザラです。
30mlっていったら大さじ2杯ですよ?
誤解しないでいただきたいのは、決してそれが不当な価格だとは“思っていない”ということ。
香水、そりゃ高いですよ。
良質のものであればあるほど、高くて当然。
大さじ2杯で栄一と引き換えになってしかるべき魔法の液体。
それが香水です。
問題はそこではなくて。
愛してやまないこの香りたちを、私は愛し尽くせるのか。
問題はここです。
気候変動と香水 - 映画『A.I.』の時代
昨今のフレグランスの値上がりは、円安のためばかりではありません。気候変動などの影響もあります。
2001年に公開された『A.I.』という映画をご存じでしょうか。
主人公のA.I.(少年型ロボット)デイヴィッドが母親モニカの大切にしていた香水、シャネルN°5のボトルを落として割ってしまうシーンがあります。
地球温暖化の影響で、原料となる天然香料を採取することが極めて難しくなっている劇中の時代(=未来)。公開当時(2000年頃)の現実世界においてより、さらに貴重で入手困難なものとして、シャネルN°5が描かれていました。
もう手に入らないかもしれない大切な香水。
その瓶を割ってしまったデイヴィッドを、モニカは反射的に激しく拒絶します。
この映画を見た時、まだ世界(あるいは私自身)は、今ほど気候変動を深刻に受け止めていなかったように思います。
でも天然香料が採取できなくなる未来は決して遠くはなく、むしろもう始まっています。
それが、香水という貴重品の価格を上げることに繋がっているのです。
限られたお金と人生の時間
私は昨年、旅をしました。
バックパックを背負った47日間のひとり旅です。
旅に出て、もっと行きたい場所や見たいものがあることに気付きました。
母の介護と合わせて、再び思い知ったのです。
人生の時間は有限であることを。
予算が限られていると言いながらも、ヨーロッパという土地柄、費用は比較的高くつきました。
そして帰国後、「残りの人生では、もっと旅に時間とお金をかけたい」と改めて思ったのです。
しかしリソースは限られています。
そのうち旅をするのも難しい健康状態になるかもしれません。
時間もお金も有限です。配分を考えないといけません。
香水をまとえる時間はどれだけ残っているか
介護が始まったことにより、現実味をもって自分の将来を考えることが増えました。
私を生んだ時、母は25歳でした。
「今の母の姿は、25年後の自分かもしれない」
もちろん母の人生と私のそれとは、かなり違う軌跡を辿っています。
でも生きている限り確実に、人は年を取ります。
今、何不自由なくできることが、自分でできなくなる日は、“誰にでも必ず”来ます。
旅どころか、歩くこと、入浴すること、トイレに行くこと、食べること…。
それらができなくなる日は必ず来るのに、いつ来るかは誰にもわからないのです。
香水を使い切るには時間がかかる
香水をボトルで購入したことがある方はご存じだと思いますが、一般的なサイズの50mlや100mlのボトルって、そう簡単に使い切れるものではありません。
一時期、1本の香りを毎日使い続けたことがありました。
半年ほどは使ったでしょうか。
それでも100mlのボトルを完全に使い切るには至りませんでした。
私はもともとひとつの香りを毎日まとうのではなく、日替わりでその時の気分にあった香りを手に取ります。
結果的に1本のボトルが登板する回数は減ります。
だから余計に思うのです。
お迎えした時の熱量で、それぞれの香りに向き合えているだろうかと。
これからは慎重に“お迎え”する覚悟
冒頭でお伝えしたとおり、私にとってフレグランスは生活必需品。
そして偏愛の対象です。
(マニアmaniaの語源は「狂気」を意味する言葉です。ええ、狂っている自覚はあります、こと香水に関しては)
東京にいる間は、チャンスがあれば百貨店やセレクトショップへ試香に出向きます。
No Perfume, No Lifeなんで。
昭和、平成までと違い、近年は日本でもフレグランス市場が盛況です。
老舗メゾンやニッチブランドの香水が、今では東京でもわりと簡単に購入できるようになりました。数か月ごとに新作も出ます。
そんな香りたちが並ぶラグジュアリーな空間を、わくわくしながら見て回り、気になるものがあれば試香紙にシュッと一吹きしてもらいます。
「ああ、素敵…」
そう感じると、以前なら脊髄反射でお財布を取り出すところ。
でも今は違います。
ハートをぐっと掴まれる感覚があれば、逸る心を抑えながら肌にスプレーしてもらいます。
いわゆる「肌乗せ」です。
今は、このステップを踏まずしてフレグランスを買うことはありません(と決めた、はず…)。
慎重に見極めないといけません。
それは、もはやモノを買うというより、パートナー選びに近いものになっています。
ぴったり私の肌に密着して、一日を共に過ごすことになるのですから。
添い遂げられるか試す必要があります。
そのくらいの心意気で、購入を決定する。
昨年、旅をしてからそのように意識が変わりました。
最近、使われ始めた「お迎えする」という言葉。
ある種の覚悟を持って、モノやペットを家族として迎え入れる。
そんな響きがあります。
あるけれども、その覚悟を、私は今まで持てていただろうか。
反省を込めて決意しました。
これからは、私の日常のパートナーとなる香りを、いっそう慎重に選ぶこと。
そして選んだなら、きちんと向き合うこと。
愛してやまない香りたち。
さまざまな人たちによって創られ、運ばれ、私の元にやってきた香りたち。
だからひとつひとつを慈しみながら、人生後半を歩いて行きたいと思っています。
これからはお迎えを決断する際には、「欲しい」「手に入れたい」という一過性の欲なのか、それともその上を行く思いなのかを、自分に問おうと思います。
「明日もこの香りと生きたいか」
「人生の最終章まで連れて行きたいか」
そして同時に、この問いは、私にとって、人生の残り時間をどう過ごすかにも関わってきます。
人生の残り時間を何に使うか
あとどのくらいあるかわからない私の人生を、何に使うのか。
実はまだ、はっきりとしたビジョンが持てていません。
ただ「時間は有限である」こと、
そして「自由に動ける時間が、どのくらい残っているのかはわからない」ということは、母の介護を通じて強く意識するようになりました。
5年後、10年後の自分は、どこで何をしているのか。
誰といるのか。何を喜び、何に一生懸命になっているのか。
少しずつ解像度を上げて、それに近づいていきたいと思っています。
あなたは、限りある人生の残り時間を、何のために使いたいですか。
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